新連載

「乳幼児のこころと発達 その2 ~『こころの抱っこ』の重要性~」3回シリーズ(2)

「乳幼児のこころと発達 その2 ~『こころの抱っこ』の重要性~」

花園大学児童福祉学科 講師 藤森旭人

  

 前回は「内的対象」という考え方についてのお話でした。今回はその続きで、気持ちに焦点を当てることの重要性について述べてみたいと思います。

 先生方は、子どもに「イタイのイタイの飛んでけー」と、されたことはおありでしょうか。実はこれが非常に大事な対応なのです。少し、そのような場面を詳しく描写しながら、何が起こっているのか考えてみましょう。

 幼稚園児のタロウ君は園庭で友達と楽しくサッカーをして、ボールを追いかけていました。すごい勢いで走っていた時につまずき転んで擦りむき、血が出てきました。かなりの痛さと血がどんどん流れ出ることに驚いたタロウ君は、「わー!!」と泣き出してしまいました。そこに担任の花子先生が、絆創膏を持って来てくれて、抱っこしてそれを貼りながら「ビックリしたなあ。痛いなあ。イタイのイタイの飛んでけー」と言ってくれるわけです。すると、徐々にタロウ君は泣きやみ、痛みも徐々に和らいで落ち着きを取り戻しました。めでたしめでたし。

 さて、すでにお分かりかと思いますが、もちろん物理的にその擦りむいた傷口が飛んでいくわけではありませんし、急に痛みがなくなるわけでもありませんよね。では、ここで何が起きているのでしょうか。こころの視点から見てみたいと思います。まず、タロウ君は、自分の中で抱えられない、擦りむいた痛さ・驚きを「泣く」という形で「排出」します。そこにやってきた花子先生が、その痛み・驚きを感じ取り「イタイのイタイの飛んでけー」という、タロウ君が受け止められる言葉にして返してあげています。すると、それまで抱えられなかった痛みを何とか抱えられるようになって、タロウ君は落ち着くわけです。大人の皮膚の中に抱えられる身体的な「抱っこ」と共に、花子先生は「こころの抱っこ」をしてあげているのです。この「こころの抱っこ」によって、乳幼児のこころは発達・成長していくと言われています。ポイントは身体的な「抱っこ」をしていてもその子に関心を持っていない状態での「抱っこ」では、子どもからすると抱えられているようには思えないということです(例えばケータイを使いながらの抱っこなど)。「こころの抱っこ」とその後学習する知識によって(この例では、血が出ても血小板の働きによって傷口は回復するから大丈夫など)、子どもは安心感を獲得していくのです。しかし同じような状況で、タクヤ君は「もう、うるさい。泣くんじゃない。それぐらいで」と言われていたらどうでしょうか。このつらい気持ちをどうにかしてもらいたいのに、こころの中でずっと残ったままになってしまいそうですよね。この気持ちを何とか「排出」しようとして、それが問題行動になってしまうことがあります。ジッと教室に居られないことや、おもらしなどがその例かもしれません。日々気づかないうちにしている「こころの抱っこ」について、改めて考えてみるのも、子どもたちとの関わりを振り返る手助けになるかもしれませんね。