京都教育大学 教育学部幼児教育科 教 授 古賀 松香
園生活は、子どもがさまざまな人と共に生きる生活へ向かうスタート地点になります。その大事なスタートを、あたたかさの中で、そして子どものペースで歩めるようにと願います。今年度、私はある幼稚園の3歳児クラスに定期的に観察に来ています。入園した当初は保護者と離れられず、毎日園で保護者と一緒に過ごしていたあいちゃんも、7月のこの日は朝小走りに「せんせーおはようございます!」と後ろを振り返ら ずに保育室に入っていきました。
この日はプール遊びが予定されていたので、保育者 は保育室でプールカードを点検していると、テラスの 方から泣き声が聞こえてきました。保育者はパッと声 のした方を見て立ち上がると、近くにいたサキちゃん が話しかけてきます。サキちゃんと会話しながら「ち ょっとミトちゃん泣いてるから、行ってみよう」とサ キちゃんの手を取ってテラスへ出ます。「どうしまし たかー?」と声をかけますが泣いて言葉にならないよ うです。どうやら、だんごむしの入った飼育ケースの 土の入れ替えをしようと、先生を待っていた途中で心 細くなったようでした。保育者は「お待たせやったね。 みんなの分あるかなーってみてたんよ。」とカードを 見せながら 1 枚ずつ数えあげていると、周りに子ども たちが寄ってきます。保育者は数え終えたカードをま とめ、立ち上がる時に、ミトちゃんの手をそっと取り ます。ミトちゃんはすっと保育者について歩きます。 保育者はミトちゃんの思いを受けるように、テラスに置いてある飼育ケースを一緒に見ながら「だんごむし さんのおうちをきれいにしてあげようと思うんだけ ど」と周りにいる子どもたちに話します。すると、シ ョウちゃんはじっと飼育ケースを覗き込みます。保育 者は「じゃあミトちゃんもお靴履いていこうか」と言 うと、ミトちゃんは泣きながらもはっきりと「うん」 と答え、靴を取り出し始めました。一緒に外に行こう と思ったのか、帽子をかぶりながらマコちゃんは「な んでミトちゃん泣いてるの?」と聞いてきます。保育 者は「なんでだろうね。朝からちょっと元気なかった みたいなんだよ」と言って、ミトちゃんの靴を出すの を手伝い、しゃがんで見守っています。そうしている うちにまた子どもが寄ってくるので、保育者は「だん ごむしさんのおうち」の話をし、話を聞いた子どもは 飼育ケースを覗き込み、そうか、と納得するのか、帽 子をかぶり靴を履いて、一緒にでかけようとしていき ます。中には、友達の帽子までとってきて渡す姿もあ り、保育者が「ありがとう」と声をかけています。保 育者が支えるゆるやかな集まりは、みとちゃんやだん ごむしさんのおうちにそれぞれに思いを寄せて、それ ぞれに支度をし、園庭に出かけて行きました。なんだ かわからない思いもそのままに受け止められ、思いを 寄せ合うことで支え合うような時間を過ごす。こうや って人と共に在るここちよさを感じ育つことの価値、 尊さを思うのです。
京都教育大学 教育学部幼児教育科 教 授 古賀 松香
一人ひとりの子どもの今の思いに応じることは、言 うまでもなく大切なことです。子どもは、その子なり に周囲の事柄を感じ取り、関わってみるなかで、こう したい、ああしたらどうかなと思いを膨らませます。 思いの表現はその時々、一人ひとり異なるので、保育 者は行為としての表れに子どもの思いを感じ取ろうと し、推測しながら試行錯誤的に関わっていきます。つまり、子どもの思いの表現も、読み取る保育者もそれ ぞれなので、「一人ひとりに応じる」実態にはかなり のバリエーションがありうるわけです。
あるとき伺った園の 3 歳児たちと保育者はこんなふ うでした(名前はすべて仮名)。年度の後半の園生活、 3 歳児たちも安定し、さまざまな場所で遊びが展開し ていました。担任保育者はそこここで子どもと遊びな がら、必要なところを支え、楽しく展開し始めたらま た次の遊びへ、という援助を行っているようでした。 そんな中、担任が廊下を歩いていると、3 歳児のはる ちゃんが「鶴折って」と言ってきました。担任は「鶴? 鶴って難しいよね」と歩きながら話し、ちょうどそこ を通りかかった用務員の澤さんに「澤さん、鶴折れ る?」と声をかけました。すると、「昔は折れたけど、 今も折れるかなあ」と澤さん。はるちゃんは担任と澤 さんの会話の行方を聞いています。担任は「大丈夫! 絶対できるよ!」と澤さんを 3 歳児の保育室に招き入 れます。折り紙を机の上に出し、澤さんを 3 歳児用の小さな椅子に座らせて、「はい、どうぞ、お願いしま ーす」と笑顔で頼みました。はるちゃんも担任も椅子 に座り、澤さんと折り紙の様子を見ます。担任は「思 い出して!絶対できる!」と笑顔で励まします。その 楽しそうな雰囲気を感じ、机の周りに 3 歳児たちが集 まってきます。澤さんは「昔は折れたんだけど」と言 いながら、折り始めます。すると 3 歳児たちは澤さん の応援をし始めました。「昔を思い出すんだ!」「自信 を持てばできる!」とあちこちから面白い応援が飛ん できて、澤さんの折り鶴遊びは、一緒に楽しむ観衆た ちによって盛り上がっていきました。その盛り上がり の中で、担任はスッと立ち上がり、他の遊びの援助に 移っていきました。
鶴折ってと言ってきたはるちゃんの思いに、担任は どう応じるか、瞬時に判断していました。はるちゃん はなぜ鶴を折ってほしいのか、それで何がしたいのか は判然としませんが、鶴を折ってほしいという願いは 明快です。担任との関係も安定している時期に、鶴を 折るのは担任でなくてはならないか。担任がそのまま 受けとめるのではなく、鶴を折ることは叶えながら、 広がりのある展開はできないか。観ていた私は、この 展開を相当な変化球に感じましたが、子どもも澤さん も鶴を折る時間を楽しみ、一方の担任は共に楽しみな がらもクラス全体の子どもの援助を可能にしていまし た。子どもの思いに応じる保育者のしなやかな豊かさ に感嘆した一場面でした。
京都教育大学 教育学部幼児教育科 教 授 古賀 松香
私たち大人はたいてい時間に縛られて生きていて、 忙しいあまりに無駄のないように過ごそうとします。 学生たちの中では「タイパ」という言葉が使われ、時 間対効果(タイムパフォーマンス)が悪いことは切り 捨てていくような風潮すらあります。できるだけ直線 的に、効率的にと、追い立てられているような気持ち になることもあります。
その対極を生きているのが子どもです。子どもは今 このときを生きる天才です。子育て生活は直線的に生 きようとする大人と、地図も時計も予定表ももたない 世界で生きている子どもとの間で、どう折り合いをつ け、共に楽しい時間を生み出すかという大人の知恵が 試されます。一方の幼児教育の現場には、子どもため の場や時間が広がっており、ときどきハッとさせられ るます。
あるとき伺った園ではこんなふうでした。その日は 月曜日で、週末の間にいろいろに抱えてきた気持ちを 吐き出すように表現する子どももいれば、関わりを求 めずどこかに引っ込んでしまうような子どももいて、 さまざまでした。保育者はあちこちから声がかかり、 常に身体は子どもにふれられたりのっかかられたりし ていましたが、声をかけてこない子どもにも関わりな がら過ごしていました。ある女の子 2 人はそんな忙し そうな保育者に「竹馬を出してほしい」と言っていま した。四方八方からくる子どもの思いに廊下で対応を していた保育者は、その声をキャッチして「そうだっ た、竹馬ね、行く行く」と立ち上がり、園庭の倉庫の方に歩き出しました。倉庫は保育者と一緒に行く場所 のようで、観ていた私は、ことの顛末を見届けようと ついていきました。すると、そこにスッと別の男の子 が近寄ってきました。保育者は彼と一緒に歩きながら にこやかに話しかけ、園庭に出ると思いきや、出口の ところに座って話し始めました。なんでもない日常の 会話です。やわらかな笑顔と声を交わして、2 人はゆ ったりと座っています。
観ていた私は「ここで座る?」と驚きました。当然、 竹馬を出しに子どもとまっすぐそちらに行くと思って いたからです。しばらくすると、保育者と男の子は、 ああ、そうだ、竹馬だった、と立ち上がり、男の子は 満たされた顔をして、一緒に園庭へと出ていきました。 倉庫の近くでは女の子たちが話しながら、待つでもな く過ごしています。
このひとときが、どんなにか彼の心をあたたかくし ただろう。頼まれたことをすぐに解決しようとしてし まうことは、子どもにも大人にも寄り道を許さないこ とに、いろいろなことに出会う機会を奪うことになっ てはいないだろうか。余白があることで、関わりの豊 かな時間がひろがっていく。子どもと共に生きようと する保育とは、こんな名付けようもない時間があちこ ちにあるものなのではないか。そんな「直線的に生き ない」保育の価値を考えさせられた一場面でした。
真宗佛光寺派 大行寺住職 英月
仏教の気づきを皆さまと共有できればと思って書いてきたこのコラムも、最終回になりました。ということで今回は、今までのコラムの「種明かし」をしたいと思います。その前に、ちょこっとおさらいを。
「天上天下唯我独尊」という言葉を通して、お釈迦さまが仏教として明らかにされたことは、「あなたは、誰とも比べることも、代わることもできない尊い存在」ですよ、ということ。そして、私自身、色々な思い込みがあったことを気づかされたこと。つまり仏教の教えとは、難しい言葉の意味を知ることではなく、自分自身が知らされること。そんなことを話してきましたが、これらの話しの「種明かし」って何? と、思われるかも知れません。実は大事なことを、話していなかったのです。それは、お釈迦さまが明らかにしてくださった「仏」のことです。
大行寺の御本尊は、鎌倉時代の仏師快慶の作で、国の重要文化財に指定されている阿弥陀さまです。阿弥陀というのは音写語で、漢字そのものに意味はありません。Amida(阿弥陀)の「a」には打ち消しや“無”いという意味があり、「mida」は“量” る。阿弥陀とは、“量” ることが“無” いという意味です。これに、いのちを表す寿命の“寿” と“仏” さまを合わせて、阿弥陀さまのことを無量寿仏ともいいます。
量3 ることの無3 い寿3 (いのち)をいただいているという、いのちの真実が言葉になり、文字になり、そして仏像などの見える姿になったものが、阿弥陀さまです。
しかしお恥ずかしながら、私自身が阿弥陀さまを見て、快慶だ、重要文化財だと、他の仏像と量り、比べていたのです。いのちの真実を知らないのです。つまり阿弥陀という言葉で表される、量3 ることの無3 い寿3(いのち)をいただいているということが、今までのコラムを貫いていた「種明かし」なのです。「種明かし」された、いのちの真実を知ることで、踏み出せる一歩があるのではないでしょうか?
「シワも 白髪も 老眼も すべて 老化劣化と
言わないで 私は今も 成長中」
これは私が作った標語です。昨年1月に本山佛光寺の掲示板に掲載されました。赤ちゃんが成長することで、立ち上がり、歩き、走り回るように、シワや白髪ができ、眼が見えにくくなってくることも、順調な成長です。老化、劣化とは“量” った話です。このように、“量” ることの“無” い、他者とも、過去の自分とも、比べる必要のない自分だと知らされることで、いのちの景色が変えられるのではないでしょうか?
そう、私は自分のいのちを“量” るけれども、私がいただいているのは“量” ることの“無” い、いのちなのです。同じように、自分の思いや、考え、予定していたことは行き詰りますが、いのちが行き詰ることはないのです。そのことを表した標語を紹介して、今回のご縁とさせていただきたいと思います。ありがとうございました!
「この道も あの道も 行き詰まった もう、道がない と思うけど 行き詰まるのは 私の思い 道は必ず、ある」
真宗佛光寺派 大行寺住職 英月
こんにちは、英月です。早いもので『共に』でのご縁も3 回目となりました。先月は、時々講演に行っているよ、と申しておりましたが、何をしている人だろう? と、お思いの方もおられるかも知れません。ご挨拶が遅れましたが、こんなことをしていますと少し紹介をさせてください。
実は私、普段は学生をしています。今年の4 月から大学院で真宗学を学んでいて、週に4 日は大学に通っています。余談ですが、20 年ほど前、アメリカでカレッジに行っていましたが、日本の学食はいいですね。見た目もよく美味しいだけでなく、健康にも配慮されていて感動しました。
さて、学生ではありますが、僧侶として講演やカルチャーセンターでの仏教講座の講師なども務めています。『毎日新聞』では映画コラム「英月の極楽シネマ」を連載しています(「ひとシネマ」のサイトでお読みいただけます)。仏教書、エッセーなどの本も5 冊ほど出ていますので、機会があればお手に取っていただけると嬉しいです。と、なんだか宣伝のようになりましたが、時々、テレビやラジオにも出ているので、見たことあるよという方も、おられるかも知れません。
さてさて、これは私がテレビの情報報道番組で、コメンテーターをしていた時の話です。自身がその立場になるまでは、テレビを見ていて「自分が思ったことをしっかり話して欲しいわぁ」と、コメンテーターの方たちに対して思っていました。「歯切れの悪い話し
方はしんといて」と。しかしいざ、自分が出る側となると大違い。私個人として出演するなら、好き勝手に、自分の感情の赴くまま、自分が思ったことを発言すればいいのです。けれども僧侶として出演する以上、仏教の教えを通した視点が必要になります。しかしこれが、思いの他に難しいのです。
たとえば、元気に走り回る子どもたちが、画面に映し出されたとしましょう。キャスターの方に「英月さん、どう思われますか?」と聞かれたとしたら、私はどう答えるのか。「いいですねぇ。元気な子どもたちの姿に、私が元気をもらった気がします!」という、当たり障りのないコメントでさえ、病気のお子さんを抱えた方がご覧になられたら、傷つかれるかも知れない。そう思うと、言葉を発することが恐ろしくなりました。誰も傷つけない言葉などないのだと、知らされた思いがしたからです。と同時に、ハッキリしたことがありました。それは私自身の中に、子どもは元気でないといけない、そうでないと可哀想だとの思い込みがあったということです。確かに不便なことはあるでしょう、けれども決して可哀想な存在ではないのです。
仏教の教えを知るというのは、難しい言葉の意味を知ることでも、偉い人になることでもないのです。仏教の教えによってハッキリするのは、口を開けば誰かを傷つけている私、自分の思いや価値観で勝手に可哀想だと他人を評価している私、他でもない、そんな私自身がハッキリさせられるのです。
真宗佛光寺派 大行寺住職 英月
こんにちは英月です。突然ですが、みなさんは「ゲンを担ぐ」ことって、ありますか? 以前に良い結果が出たことと同じことをして、また良い結果が出ることを推し量る意味があるこの言葉。実は、私の友達が面白いゲン担ぎをしています。
彼女の仕事は歌手。作詞作曲をし、ツアーで全国を回っています。透き通るような歌声、ゆるくパーマのかかった長く茶色い髪、レースを多用したヒラヒラの舞台衣装。そんな彼女はステージに立つ時、「お年寄りの銀座」といわれる巣鴨で買った、おへその上まで覆う赤いパンツを履くそうです。儚げな雰囲気とのギャップに、聞いた時は声を出して笑ってしまいました。けれども彼女は大真面目。何でも、運気がアップするといわれている下着を、面白半分で買ったのは10 年近く前のこと。有名なお笑い芸人さんたちも愛用しているというそれを、試しにライブの時に身に着けたら、満足のいくステージになったそうです。以来、ライブでは必ず身に着けるようになったとか。関西在住ですが、わざわざ東京の巣鴨まで買いに行くというから驚きです。
さて、ライブではないですが、私も仕事でステージに立つことがよくあります。全国各地、そして時には海外でも、講演のご縁をいただきます。僧侶としてお声がけをいただいているので、お話しをする時は、黒い衣の上に輪袈裟という、輪っか状になった袈裟を首
にかけます。そして、手にはお念珠を持ちます。輪袈裟のデザイン、お念珠の色や素材は様々で、それぞれ何種類か持っています。たとえば輪袈裟なら、春には桜が織られたものを、夏には蛍と季節に合わせたものを選ぶこともありますが、実はそれだけではありません。講演会が盛り上がり、自分自身、うまく話せたと思う時に身に着けていたものは連続して使い続け、思うように話せなかった時に身に着けていたものは、しばらく使わなくなります。何となく手が伸びないのです。
講演会の出来不出来の原因が、輪袈裟やお念珠にないことは百も承知です。けれども、心のどこかで、それらの“せい” にしているのか、ハタマタ“せい” にしたいのか。同じ物を使い続けたり、反対に身に着けなくなったり。けれどもこれは、私だけではないと思
います。「勝つ」に通じる豚カツを食べたり、「ご縁」があるようにと5 円玉を身につけたりしたことは、皆さんもあるのではないでしょうか。
そのようなことが、ダメだと言いたいのではありません。私自身、輪袈裟やお念珠を選ぶ時に、何気なくやっていたように、意識せずともやっているのがゲン担ぎです。当然ながら、それには根拠はありません。そして、根拠がないと知ることが、実は大事なことなのかも知れません。残念ながら、これを身に着けていれば大丈夫!とゲン担ぎで得られる安心は、裏を返せば、それがないと不安に駆られてしまうものです。安心だと思ったものに振り回されているって、滑稽ですね。他でもない私自身のことですが。
真宗佛光寺派 大行寺住職 英月
はじめまして! 四条烏丸近くにある小さな寺の住職を務めております、英月と申します。この度は会報誌にご縁をいただき、ありがとうございます。
さて、4 月8 日は、お釈迦さまのお誕生日です。約2500 年前のインドで釈迦族の王子、ゴータマ・シッダールタとして生を受けたお釈迦さま。驚くことに、生まれてすぐに歩くこと7 歩、右手で天を、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったとか。新生児がそんなコトを出来るハズがない! と思いますよね。確かにそうです。けれどもこれは、お釋迦さまが明らかにしてくださったことを、象徴的に表しているエピソードなんです。
とはいっても、「天上天下唯我独尊」って、なんだかお山の大将っぽくも聞こえます。この世で俺サマが一番エライんだー! ってね。けれども早まるな、です。そういう意味じゃないんです。これは、「天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人として、このいのちのままで尊い」ということなんです。他の誰かと比べて、私のいのちの方が尊いと言っているのではなく、いのちの事実を明らかにした言葉なんです。
いのちの事実とは、健康か病気か、お金があるかないか、いい学校を出たか出ていないか、社会的地位があるかないか、結婚しているかしていないか、子どもがいるかいないか、持家か賃貸か…等々の世間の価値観に関わらず、私たちのいのちは、そのままで尊いということです。そして、当然のことながら、今、これを読んでくださっているあなたも、そして私も、その尊いいのちをいただいているのです。
数年前に、こんなことがありました。講演会が終わって控室に戻ると、イベントスタッフの方がお茶を淹れながら私に向かって「話しが素晴らしくても、独身で、子どもを産んでいないのはダメね」と仰ったのです。その言葉が持つ、他者を傷付ける暴力性に言葉を
失いました。と同時に、私の母親世代のその女性にとって、女性の価値はそこなのかと悲しくなりました。
ご一緒したのはわずかな時間でしたが、テキパキとイベントを仕切り、お仕事のできる方でした。結婚して子どもがいること以外にも、ご自身には価値があることに気づいて!と、思ったことを覚えています。しかし今、改めて思い返してみると、評価された私もま
た、他者を評価していたのです。何様のつもり? です。
世間や自分の価値観で、他人や自分のいのちを評価するだけでなく、評価をしていることにも気づいていないなんて、オメデタイ。否、恐ろしい。そんな私たちに、お釋迦さまが明らかにしてくださったことは、「あなたは、誰とも比べることも、代わることもできない尊い存在」だという、いのちの事実です。そう、「天上天下唯我独尊」です。
今回から4 回のご縁は、このような仏教の気づきを、皆さまと共有できればと思っております。紙面を通してですが、“共に” ご一緒できますこと、楽しみにしています。
絵本でSDGs 推進協会代表 朝日 仁美
偉人と絵本
「偉人」を辞書で引くと〈偉大な人・すぐれた人・大人物〉(広辞苑 岩波書店)と載っています。もう少し分かりやすく言うとするなら、歴史に名前を残すようなすごい仕事をした人・多くの人から尊敬される人とでも言い換えることができるかと思います。学校図書館などにはこのような人物について書かれた伝記というジャンルの本があり、皆さんも読んだことがあるのではないでしょうか? 絵本でも偉人の生い立ちや功績を綴った作品が出版されています。今回は「伝記絵本」について紹介します。
伝記絵本を読んでみよう
伝記と聞くと戦国武将や発明家の本と思う人も多いと思いますが、絵本に関係する人についても描かれているのでその本から紹介します。
イギリス湖水地方の田園風景の中、いたずらなウサギ ピーターが登場する「ピーターラビット」のお話は世界中で読み継がれ、キャラクター商品としても馴染みがあるかと思います。このシリーズを生み出した女性について描かれた『ピーターラビットのふるさとをまもりたい ビアトリクス・ポターものがたり』(廣済堂あかつき)を読むとこのシリーズがなぜこんなに読み手を惹きつけるのかが分かります。
『おやゆび姫』や『雪の女王』といった多くの名作童話を世に残し「童話の王様」と呼ばれたアンデルセンの伝記は『アンデルセンの夢の旅』(西村書店)で読むことができ、アンデルセンの明言や人物像、そしてたくさんの作品について知ることができる絵本になっています。
ポターやアンデルセンの描いた物語を読んだ後、その作品を作った人について知るといろいろな気づきがあり、再度読んでみたくなると思います。伝記絵本は文章量もあり、大人が読んでも十分楽しめるものが多いのでぜひ手に取ってみてほしいです。
「切り傷などに貼る絆創膏はどうやってできたのか?」そんなこと考えたこともないですよね。そこで『「いたいっ!」がうんだ大発明 ばんそうこう たんじょう ものがたり』(光村教育図書)を読んでみてください。百年以上前の実話を基にしたお話です。素敵なご夫妻の思いやりからこの発明がうまれ、今につながる製品になっていることが分かります。何度も繰り返される商品開発の苦労や発明者の「誰かの役に立ちたい」という思いを絵本から知ることができます。ユーモラスに描かれた絵も必見です。絵だけお話が分かるよい絵本としておすすめします。
生活と絵本を紐付けて・・・
絵本を軸に4回コラムを書かせていただきました。子どもの読書離れなどと昨今言われていますが、毎月新しい絵本がたくさん発売されます。またロングセラーと呼ばれる読み継がれてきた名作もたくさんあります。この中から何を読んだらいいのか?と迷うこともあるかと思います。そこはあまり難しく考えず、子どもたちと一緒に「今」を楽しみながら絵本探しをして読んでみてほしいです。時には想像したお話と違ったり、ちょっと内容が難しかったりするかもしれませんが、それは読んでみたから分かることです。そんな経験も後に役に立つ時がきっと来ると思います。今回のシリーズで物語絵本以外のジャンルを少しだけ紹介しました。子どもたちの興味はその時々、日々変化しています。その変化に近くの大人が気づき「今だ‼️」と興味を深めて知識に変化させていってほしいです。絵本はそれができるツールだと思っています。勉強のためではなく、楽しみながら学ぶ時間は思い出となり、その経験はそれぞれの財産として心と頭に刻まれていくことでしょう。
拙い文章で絵本から広がる多方向な世界を紹介した4回でした。いかがでしたでしょうか? 子どもたちと一緒に読み手の大人が楽しむことが大事だと最後に再度伝えておきます。これからも多くの方々に絵本で楽しく、幸せな時間が過ごせることを祈っています。
絵本でSDGs 推進協会代表 朝日 仁美
4回シリーズのコラムも折り返しとなりました。
絵本を通じてこのように多くの方と紙面上ではありますが、交流できることに感謝しています。
今回も「何を読もうかなぁ?」と思っている方へのヒントになればと思って書かせていただきます。
今回は「天気と絵本」について書こうと思います。
先日も今までに無い寒波がやってくると報道され、皆さんもその対応に追われたのではないでしょうか?私の住んでいる場所は雪の降る地域ではありますが、寒波と聞くと最近の一度に降る雪の量が恐ろし時もあるので身構えます。いつも雪が降っても積もらない地域だと突然の降雪は非常事態。そして積もりでもしたら身動きが取れなくなり…不自由なことばかりかと思います。しかしこんな時こそ「雪」が出てきる絵本を読んで雪国気分を味わってみてください。私は雪の降り始めに『はつゆき』(岩崎書店)から読み始めます。初雪を降らせるために夜中に湖で空からこぼれ落ちた星屑を集めたり、森の奥で光るコケを集めたりして準備します。夜明けと共に初雪が降り出す様子はなんと
も幻想的お話です。
「雪が降る」と言ってもチラチラ降る雪もあればドカっと降ることもあり、このドカ雪が私たちの生活に支障をきたす訳で…『おおゆき』(鈴木出版)は大雪で車が1000台も立ち往生。そんな状況をそこに住んでいる人たちの思いやりある行動で渋滞に巻き込まれた人々を助け、大人たちの行動を見て子どもたちも手伝います。楽しい雪だけではなく突然脅威に変わる自然の力も教えてくれる絵本です。
『ふぶきのみちはふしぎのみち』(アリス館)は小学生の姉妹が吹雪の日の登校途中に突如現れたしろくまとの楽しく不思議なお話です。絵本は体験できないことをその物語の世界から疑似体験できるところに魅力を感じのですが、まさにこの絵本が楽しい雪の日の通
学を体験できるお話です。
雪に関してはこのほかにも、雪の結晶を写真で紹介するものや雪だるまが主人公の物語などたくさんあるので、この時期に探して読んでみてください。
空の絵本 雲の絵本
空の絵本も探してみるとたくさんあります。『そらの100かいだてのいえ』(偕成社)は縦に開いて読み進める人気のシリーズのひとつです。冬のお話なのでぜひ今読んで空の上へ登ってみてください。お天気のことも想像しつつ、1から100までゆっくり数字も数えてみてください。最近私が読んだ絵本の中では『リジーと雲』(化学同人)がおすすめです。ちょっとせつないファンタジーですが見ごたえ、読みごたえがある作品です。
『くもとそらのえほん』(PHP 研究所)は雲のことがよく分かる科学絵本です。空の探検家が監修をされている本で雲の名前や形を小さな子どもでもわかるように解説してくれています。これを読んだ後は間違いなく親子で雲談義ができるようになりますよ。
地球のことを知るチャンス!
天気に興味を持ったら、地球にまで話を広げてみてください。
『地球と天気の絵事典』(パイ インターナショナル)はめくって楽しみ仕掛け絵本です。30 ヶ所の扉を開きながら、地球と天気のことを12のテーマで学べます。10ヶ国語に翻訳された作品で大人が読んでも充分楽しめます。「火山」や「どうくつ」のページは冒険家になった気分で楽しめおすすめです。
私たちの住む地球がどうなっているか知るとこで、今起きている自然現象を考えるきっかけになると思います。地球温暖化に関する絵本もありますので、興味が湧いたら大人も子どももどんどん知識を広げていってほしいです。
絵本でSDGs 推進協会代表 朝日 仁美
今年もよろしくお願いします
令和6年元日、石川県能登半島を震源とした大きな地震が起こりました。私の住む糸魚川でも震度5強の揺れを感じました。今までに体験したことのない長い揺れでした。幸い本棚などが倒れることはなく、火の元を確認し玄関に置いてある防災用品を持って外に出ました。ここまでするのがやっとでした。避難は免れましたが、その晩は家族全員で洋服を着たままリビングにて就寝しました。
震源地付近の皆さまにはお見舞い申し上げ、これから私たちができることを考えていきたいと思っています。
京都の皆さまには今一度 防災についてご家族で確認されてください。避難時に持って出るものや避難経路などです。防災用品の中に今の子どもの月齢にあったものが入っているかどうかです。どうかすぐに行動してください。お願い致します。
今回は「しりとりと絵本」について書こうと思います。
突然ですが、最近子どもたちとしりとりをしましたか? 我が家は子どもが小さい頃から車の中でよく行いました。そのせいか我が子の特技の一つにしりとりが入っている気がします。しりとりはものの名前などを知らないと続かないゲームです。ではやったことない子どもにどうやって教えるか? ですが、ここで絵本の登場です。
実はしりとりをテーマにした絵本はたくさんあります。物語仕立てになっている『しりとりのだいすきなおうさま』(すずき出版)を読んでみましょう。何でもしりとりのように〈マド ドア アルバム〉と並んでいないと気がすまない王様が主人公です。お話の中のしりとりを体験してルールを理解するのがいいと思います。こちらの作品はたくさんの子どもたちに読み聞かせができるビッグブックもありますので、園での読み聞かせにもオススメです。