新連載

3 回シリーズ(3)

「障害は個性なのか」に対してどう幼稚園教諭は受け止めるべきかについて考える

大谷大学 文学部 教育・心理学科 安田誠人

 早いもので今回が連載3 回目と最終回になりました。今回は幼稚園の先生や障害のある子どもを持つ保護者の方々からよく質問される、「障害は
個性なのか」に関して私見を述べてみたいと思います。

 私の子どもも3 歳児検診で「知的障害」「自閉傾向児」の疑いがあるとの報告を受けました。私自身はともかくとして妻は随分悩んだことと思いま
す。ただそのときに「障害は個性だから大丈夫、大丈夫」という励まし( ? ) を何度かしてもらいました。正直な気持ちを述べると、ある意味ありが
たく、ある意味戸惑った言葉です。

 ありがたかったこととしては、やはり気持ちが一時的とはいえ落ち着いたことがあげられます。今後の可能性に対する期待や希望を感じることができたことは、「障害は個性」の言葉の背景に大きな意味があるのだと思います。ある人にとっては励ましになり、ある人にとっては希望になり、またある人にとっては子どもの生きる意味を感じる後押しになっているのだと思います。

 ただその一方で戸惑ったこともありました。「障害は個性」といっても、なかなか人に対して自分たちの子どものことを平気で話すまでには時間がかかったことも確かです。「五体不満足」の著者である乙武洋匡さんは、「障害は個性と言われるとちょっとくすぐったい気持ちになる。」と述べられて
います。その理由の一つとして、「障害」は人に自慢できるというものではないからとも述べられています。乙武洋匡さんと私たちとでは、障害の種
別も違いますし、自分自身に障害があるのと自分たちの子どもに障害があるのとでは置かれた状況や感じ方に違いが当然あるわけですが、ある意味
強く共感できる言葉でした。

 そこで私たちの子どもに目を向けてみると、「障害は個性」というよりも「障害があると不便だなあ」というのが妻とよく話す障害に対する印象です。私たちの子どもは7 歳ですがまだ言葉が出ていない状況です。そのためなかなか自分の気持ちを家族や先生、周囲の友達に伝えることができず、何度も身振り手振りやサインによって自分の気持ちを伝えることになります。しかし分かってもらうのに時間がかかったり、きちんと伝わらないこともしばしばあります。言葉で伝えることができれば「便利なのになあ」と思う場面です。

 「障害は個性か」ということになると、結局のところ個人によって受け止め方が違うということになると思います。私たちのようにある程度障害を
受容している(と思っている)保護者にとっては、あまり気にならない言葉ですが、人によっては好意的に受け止め、また人によっては反発を感じることもあると思います。幼稚園教諭としてはあまりこうした「障害は個性」というような個人によって受け止め方の違う言葉は自分からは積極的に使わず、最初は保護者自身が会話の中で用いた段階で「繰り返し」として用いるのが望ましいと思います。

 ただ専門家としての本音を言えば、保護者から子どもの障害に関する気持ちを引き出した段階で、保護者から信頼されている幼稚園教諭として評価
されていると自信や手ごたえを感じてもらっていいかと思います。そうした自信や手ごたえを感じることのできる幼稚園教諭が育ってもらえることを大いに期待しています。