新連載

3回シリーズ(2)

「子どもと周りの世界」

京都聖母女学院短期大学 児童教育学科 教授 松井玲子

 親として保育者として責任をもって子どもに対するとき、時として子どもが見えなくなったり、分からなくなったりしてしまうことがある。子どもの言い分や
理屈がわがままに思えたり、言うことに素直に従わない子どもに手を焼いたり、突飛な行動をする子どもを理解できないと嘆いたりする。私たち大人もみんな、
かつては子どもであって、子どもとして生きていたのに。

 子どもはどのような世界に生きていて、そしてそれをどのように受け止め、どう対しているのか。子ども、それも幼ければ幼いほど、よくわからないことに取り
囲まれて生きている。見て触って口に入れて確かめてようやく分かってくると、活動の範囲の広がりとともに知らない世界が迫ってくる。ベビーベットから見ている世界、這っていける空間、家の中、公園、友達の家、幼稚園、・・・・・征服されることのない「未知の世界」がどんどん広がってくる。自分が理解できないことに
取り囲まれながら生きるとは、どのようなことなのだろうか。私たち大人には、見知らぬものを探る手だてがある。経験であり、知性であり、本やネットなどの検索ツールもある。しかし、子どもたちはその大半をもたない。子どもとして生きるとは、身を守るすべをもたないまま、困難な状況に立ち向かうことのように思えてならない。

 昨年、入園当初の子どもたちの様子を泣き出す子どもに注目して観察研究をした。ある子どもは登園するときから泣いている。玄関で出迎えた園長が「どうしたの?」と優しく声をかけるも、「あっちいけ!」と強い調子で拒絶した。緊張を解きほぐそうと園庭での自由遊びに誘っても、いすに座ったまま「絶対、外、行きたくない。オッチンしてる」と頑張っている。保護者との別れ際に泣き出したある子は、保育者との関わりの中で落ち着き、外遊びでは元気に走り回ったり他の子どもたちと一緒に遊んだりしているのに、時々思い出したかのように泣き出す。入園を楽しみにし、園生活になじみ積極的に活動していたある子は、園生活のきまりが理解できていない他の子に注意を促すこともできていた。しかし、何日かが過ぎ多くの子どもが園生活に慣れ始めたころ、その子どもが小さくしゃく
りあげる姿が幾度かみられた。

 幼稚園に入った、一つ大きくなったという自覚と誇りがあるから、どの子どもも初めての園生活に必死に耐えている。つかみどころない状況に身を置きながらも、真剣で懸命に生きている姿である。そうした子どもを目にするにつけ、えらいなと思い、人として尊敬すべきものを感じる。子どもであれ大人であれ、目の
前には新たな地平が広がっており、未知の世界を開拓しつづけることが生きることなのであろう。