新連載

【新連載】3回シリーズ(2)

就学前の擦り込み(その2)

龍谷大学短期大学部 こども教育学科 教授 羽溪 了

 前回(4 月号)では、就学前、すなわち保育の段階で、既に表現活動とは、予め先生が決めたことを行う、又先生が求めるもの=あるべき表現があり、それを意識して行うことだと、いつの間にか擦り込まれているこどもの姿を、そして場合によっては、決められたことを、先生が教えてくれる様にすると言う、暗黙のルールが擦り込まれてい
るこどもの姿を、就学したてのこども達の具体的な問いかけから考えてみました。

 今回は、その様な不安になっているこどもに対し、実践された事例を通して、新たに課題となるところを見つめていこうと思います。

 「4月、クレヨンを使って【歯みがきをしている自分】の絵を描いた。
 〈歯みがきしたことある人?〉と質問すると、全員が元気よく〈はい。〉と返事をした。ところが、〈歯みがきしている自分の絵を描こう。〉と投げかけると、ほとんどの子はパッと表情が明るくなったのだが、何人かの子は、〈どうやって描いたらいいかな。〉と心配そうな表情を見せた。」

 ここで疑問が起こります。何故、この時期のこどもにとって、“歯みがき”とういう本来超難しい課題設定がなされているのでしょう?小学校1 年生の図工の教科書には、このような題材はありません。それは当然、このような活動を裏打ちする「目標」も「内容」が学習指導要領にはないからです。
指導要領からの逸脱です。しかしこうしたことが、〈今までやってきたこと〉とだけのことで、公然となされている現状があります。これはこどもの形態認識や描画の発達の道筋からも、およそ自らの力では出来る活動ではありません。大人でも、いきなりこの題材を仕向けられたら、如何ですか?意外に難しいですよ。こうしたことが、就学前教
育の乱れに影響している一因かもしれませんし、又、その逆もあるかもしれません。

 題材が生活のひとつとして興味関心の持てる行為だから、明るくなったこどももいるかもしれません。しかし、その多くは就学前でとっくに経験しているから、安心して明るくなったのではないかと想像します。こども達が困らないなら、それでいいじゃないかと考えることも出来ます。しかし、本来の小学校1・2 年生では必要のない経験や、
育てたい力とは無関係のものを、何故就学までに経験させたり、育てようとするのでしょうか?そのことを小学校側から、もっと発信してもらわねばならないのですが、今回のケースの様に、その点への認識は持たれず、こども達の歪んだ心を解き放つこともなく、そのままの状態でスタートを切られます。

 こども達のその現状を現状としてそのまま受け入れ小学校側が、こども達の多くが既に経験済みだからと、言葉は悪いですが、胡坐をかいているのかもしれません。それでも、活動に戸惑いを示すこども達の存在に、優しい先生は「何とかしなくては」、との思いで、その対策を加味した実践に取り組まれます。本当にこども思いの優しい先生、
「良い先生」です。しかしその「良い先生」だけに罪が深い、問題が大きいことを、次回でご一緒に考えていきたく思います。