新連載

【新連載】3回シリーズ(1)

「お節介おばさんになった日」

佛教大学 教育学部 講師  臼井 奈緒

 関西の梅雨入りが発表された翌日、ジメジメした空気とマスクの中の熱気をとても不快に感じながら、いつものバス停で職場に向かうバスを待っていた。その時、折りたたんだベビーカーを一生懸命広げようとしている女性が目に留まった。胸の前のスリングと呼ばれる布状の抱っこひもの中には赤ちゃんがいるようだ。手にも大きな荷物を持っている。おそらくさっきバスを降りたのだろう。こんな雨の日に大荷物で、しかもベビーカーで出かけるなんて、子育て熟練者に違いない。しばらく見ていたがなかなかベビーカーが開かないようだ。「あれ?もしかしてまだ慣れていないのかな?大丈夫かな?手伝いに行こうかな?」と思っているうちに無事に開いたので、一安心。胸にはとても小さな赤ちゃんの頭が見えたが、スリングは赤ちゃんには大きすぎるように思えた。

 バスがもうそこまで来ていたのでバスに乗ろうと赤ちゃんから目を離したその瞬間、女性のただならぬ悲鳴が聞こえた。振り返った時には赤ちゃんは雨に濡れた路上に落ちていたのだ。女性はパニックになり、その場に崩れ落ち、赤ちゃんを抱き上げようともせず、ただ泣いていた。慌てて駆け寄り泣いている赤ちゃんを抱き上げたが、それはまだ首もすわっていない生後2 か月の本当に小さな赤ちゃんだった。母親に「病院は?どこに行こうとしていたの?」と尋ねても気が動転していて答えられない。とにかく病院に連れていかなければ、と歩き出した時、彼女は震える手で携帯電話の地図を示し、「ここ」と病院を指示した。どうやら病院に連れて行こうとしていたらしい。母親に「大丈夫だから、しっかり!」と声をかけながら300 mほど先の病院まで急いだ。母親は大声で泣きながら空っぽのベビーカーを引きずり、何とかついてきている。

 病院で看護師に赤ちゃんを手渡した瞬間、力が抜けて安堵感が押し寄せてきた。半狂乱でその後到着した母親はよく見るとまだとても若く、新米ママさんで、出産後初めての検診をこの病院で受けるつもりであったと看護師が説明してくれた。看護師の話を聞き、安堵感のあとに押し寄せてきたのは自責の念である。「なぜベビーカーを開けるのに手こずっていた時に手助けに行かなかったのだろう。」「スリングが少しゆるいのでは?と思った時に、なぜ彼女はまだ不慣れなのだということに気がつかなかったのだろう………」。不慣れだからこそこんな雨の日に、慣れないベビーカー、スリングに大荷物でバスに乗るという暴挙とも言える行動に出てしまったのだろう。看護師の方も「私も電話で予約された時に、彼女に助言すべきでした」と反省されていた。

 保育者養成に携わっている職業柄、子育て中の人を応援したいという強い思いは常々抱いている。でも、やりすぎてお節介と思われるのが怖くて、躊躇する自分がいた。社会のつながりが希薄になってきたと言われる昨今、子育て経験、保育の専門的知識を有する者の援助を必要としている新米パパやママはたくさんいる。お節介と思われるか、ありがたいと感謝されるかを見極める線引きは非常に難しいが、世の中にお節介覚悟で若い親ごと育ててくれる大人たちが増えていってくれることを切に願う。保育においては、それが子どもの生命を守ることにつながっていくということを改めて感じる出来事であった。

 検査を終えた母親が電話で赤ちゃんの無事と感謝の意を伝えてくれたので、今、胸をなでおろし、自戒の念を込めてお節介おばさんはこの記事をしたためている。