新連載

【新連載】2回シリーズ(2)

「何にでも向くこと」

池坊短期大学 幼児保育学科 講師 矢野 永吏子

 子どもたちは日々、からだも心もひとつのものとなって表現しながら遊ぶことを楽しんでいる。遊びの中には表現の萌芽がたくさんちりばめられている。時には、無自覚な表出でさえ、保育者をはじめとした大人やお友達とのゆるやかなかかわりの中で志向性を持ち、その子らしさや思いを伴った表現へとなっていく。

 表現は、「言葉、音楽、造形、身体」という四つの手段で、内側から外側へと「あらわす」活動とされる。近年の社会が変化する中で、これらの行為を使って何かを「あらわす」力がより重視されているように感じる。この先の人生をより多くの人たちと関わりあいながら生きていくための一つの資質としてとらえられてもいる。だからこそ、大人に子どもに、表現力が重視され、表現を高め、発信することが求められる。

 子どもたちにとって表現とは、まず感じたものを受け止めて捉え、認める、というところから始まる活動である。つまり伝える力を育むことよりも、楽しみ、取り組んだ心の動きが言葉や動きとして表れ、造形や絵となる経験が始まりとなり、その過程を共に楽しみ、受け止められることから表現の楽しみを知ることが大切なのである。それは遊びを通し、自己内の対話を充実させるような活動である。自らの感性を育むことである。そのことをもとに自己を表現できるようになり、他者と対話し、仲間と対話しながら協働し、表現する
力が生まれる。

 このような過程に大人はどうかかわっていくのか。以前に教員免許更新講習の講師をさせていただいた時、表現遊びの指導は正解がなく、技術が必要なので難しいとおっしゃられた先生がいた。きっとそうなのだろうと思う。正解がなく、たくさんの方策がある中で子どもたちの興味に合うことは何かと考え、時に子どもの葛藤やぶつかり合いに保育者自身も悩む、そんな時間と試行錯誤を楽しみながら子どもの表現に向き合っていくことにこそ醍醐味がある。保育者自身が発信優位になりすぎず、子ども達の今見つめて感じていることに共感しつつ、評価を押し付けない姿勢であること。できるできない、良い悪いをこえた自己肯定
感を育むことが求められている。

 「大らかで柔らかい笑顔の人の親もまた、大らかで優しいもんやろ?」これは家ではただの親でいいということをうまく体現できなくなっていた私に、息子が投げかけた言葉だ。大人は時として分からなさに目をふさがれ、そこに見えている正解らしいものに固執し、向き合うことが難しくなってしまう。先を急ぎすぎずに、子どもたちそのままの表現を大人が包み込み、大らかに柔らかに大人が向き合うとき、自然と表現の中の子どものイメージや心の動きが浮かび上がってくる。このような瞬間、わかり合う喜びに溢れ、学びと教育とが一つに交わり、保育の中で「表現」することの喜びが味わえるのではないだろうか。