輝く瞬間

【輝く瞬間】 2017年 4月

高倉幼稚園 佐賀枝 夏文

わたしたち「おとな」は目的なしには行動ができません。それを「有為」と考えてもいいかもしれません。子どもは「おとな」のように何かのためにすることはありません。いうならば、「無為」であり、何かのためには行動しません。有為な「おとな」と「無為」な子どもというコントラストがみえてきます。
しみじみおもうことがあります。子どもたちを「有為」なおとなにすることがわたしたちの目的ではないとおもうのです。子どもたちの「無為自然」な姿に学び、少しでもココロを解放するよう導かれたいとおもうのです。歳を重ね自縛したコテコテのボクを解いてくれるのは、園児さんだと実感するときがあります。それはボクのココロが曇り、暗闇の中にいるときです。ココロに「ともしび」が灯るとき、その「ともしび」は眩いくらいに「輝く瞬間」でもあります。
園児さんが転がるように幼稚園の門をくぐるとき、陽春の輝きを感じます。この子らに自然を、そして大切な伝えるべきことをちゃんと残し伝えたいとおもうのです。