新連載

「保育の四季 その1 4月の園庭」4回シリーズ(1)

「保育の四季 その1 4月の園庭」

京都橘大学教授 神谷栄司

  

 幼児の発達にとって、身の周りにある自然は欠くべからざるものである。それは、小学生の発達に教科書や書物が果たしている役割と同じようなものであろう。

 10年以上も前になるが、かの倉橋惣三が著した「系統的保育案」(1935年)を読んだとき、「観察」欄に「とかげ、たね蒔き」「桜の花」「椿」「おたまじゃくし」「藤の花、毛虫」(1学期第1~5週)と園庭の自然と戯れる幼児の活動が挙げられていた。昔も今も幼児は身近な自然が大好きなんだ、と嬉しくなった。もっとも倉橋には、幼児が接する自然を、彼の保育理論の中心である「誘導保育」の主題にのせていくという構想力はなかったのであるが。

 園庭の自然が幼児を誘う

 旧知の保育者の4月の記録を読んでみた。「桜の花びら」「チューリップ」「ハチ」「タンポポの綿毛」と園庭で子どもたちの眼にとまったものが、一見すると脈絡もなく、2~3日づつ取り上げられている(小さな主題)。しかし、よく読んでみるとそれぞれにつながりがある。桜吹雪が眼にとまった。その花びらがチューリップのなかに入っていた。ちょっと暖かな日に園庭にハチが飛んできた。そのうちに園庭のすみに咲くタンポポに綿帽子ができていて、そこにもハチがやってきた。すべてが実際に子どもが見たことである。設定保育では、見てきたことを話しあったり身ぶりで表現したりし、その日に見たものの歌を教えたり(3曲)、チューリップのちぎり絵や桜の木、タンポポの絵画・製作をしたりしている。タンポポの綿毛については絵本も読んでいる。

 屋上から見た桜の大木には

 まことに無理のない自由な保育の展開である。4月によく掲げられる目標「楽しい幼稚園」の一つの姿であろう。ところが、記録を読みすすむと、保育の展開はそのような位置づけだけではなかったのである。

 タンポポの綿毛をとりあげた最後の日に、保育者は子どもたちを屋上に誘い、そこから皆でタンポポの綿毛を飛ばした。その屋上からは桜の大木が目と鼻の距離にある。その日の記録を引用しておこう。

 「綿毛をひとつずつ、屋上で飛ばす。すくそばの桜の木のおウチに毛虫がいるのがよく見える。子どもたち『毛虫や!』。下にも探しに行ってみる。おウチにたくさんいる(あちこちの)を見る。数匹、下にいたのを手にする。女児たちがまったく怖がらないのが不思議だった。この日は毛虫を見つけたことの話し合いのみする。」

 幼児の興味に従いつつ

 記録には、その後、一か月ほど毛虫の保育が展開され、最後の1週間は自由遊びのなかで自発的な「毛虫ごっこ」で皆が遊んだ、とあった。

 幼児が日々眼にした小さな自然に導かれた極めて自然発生的で脈絡のないように思われる4月の保育は、同時に、ちょっと大きな主題に導いていく意図的なものでもあったのである。記録をここまで読んで、僕は思わずつぶやいていた――「にくいお方やなぁ」と。そして、保育の本質は《興味にもとづく幼児》と《意図を持った保育者》の相互の働きかけと反応にほかならないが、幼児と保育者のそれらの具体的な比重や姿は一年間の時期によって大いに異なっていることを教えられた。

 4月は幼児の興味にもっとも従うべき時である。