新連載

【新連載】4 回シリーズ(2)

「少子化克服への視点」

レジリエント・シティー京都市統括監 元京都市副市長  藤田 裕之 

 子どもは社会の宝。ところが、我が国で、既に数十年にわたり、子どもの数が減少し続けていることは皆さんご承知のとおりです。

 いわゆる合計特殊出生率が最も高かったのは戦後直後で、4.3 もありましたが、以降、低下し続け、人口を維持する上で必要な2.0 を、ちょうど1964年の東京オリンピックの後に下回ってからは、1.2から1.4 程度の数値で推移しています。特に都市部で低くなっており、都道府県で最も低いのは東京都です。残念ながら京都も全国でワースト3から脱することなく低迷しています。

 出生率が下がっている要因は様々考えられますが、ひとことで言えば、女性の進学率や就職率が高まると共に、結婚して出産することが「普通」、という価値観が変化し、結婚も出産もその人の自由という具合にライフスタイルが多様化したことでしょう。

 具体的には、女性の未婚率の増加、出産の高齢化に伴い、平均した出生率が低下している訳で、決して、子どもを授かりたいと望んでいる方の比率が大幅に減っている訳ではありません。

 特に、人口動向で忘れてはならないことは、出生「数」が減少の一途を辿っていることです。京都市の数値でも、25 歳から44 歳のいわば出産対象と言える女性の数は、25 年後には今の約60%に減る見込みです。つまり、母数となる女性の人口が大きく減少するため、出生率が同じであれば、出生数は大きく減少してしまうことを意味しているのです。

 せっかく子育て支援を充実しても、肝心の子どもの数が減っていては、真に持続可能な社会は実現しません。少子化対策としっかり結び付けた子育て支援こそ、喫緊の課題なのです。

 とはいえ、少子化の背景には、経済的事情をはじめ、未婚率の増加、子育て世代の就労環境の未改善、核家族化の進行など様々な要因が存在します。そのために様々な調査が行われていますが、個人的には少子化対策の対象を既婚者や子育て中の方に限定するのでなく、将来、家庭を築き、親となっていく世代への支援に繋げることが不可欠であるないように感じます。

 同時に、子育て中の親御さん、特に母親の孤立感、徒労感の克服のため、男性の育児・家事参加を含む男女共同参画、企業文化としてのワークライフ・バランス、地域コミュニティによる子育て支援が一層重要になっています。

 少なくとも、価値観の多様化の中で、平均出生率2という数字を確保するためには、子どもを3人、4人と授かっている家庭が相当増えることが期待されますし、それに見合った施策が展開される必要がある訳です。

 その場合には、育児に従事する年数が当然長くなりますし、経費も嵩んできます。その意味では、子育て支援策においても、安心して3人目、4人目を授かれる条件を社会全体で作っていくことが大切になってくるのではないでしょうか。

【新連載】4 回シリーズ(1)

「子どもの育ちに大切なこと」

レジリエント・シティー京都市統括監 元京都市副市長  藤田 裕之 

  皆さんは、ご自分の子どもたちにどのように育ってほしいと願っていますか?

 たくましく健康で、思いやりのある、また賢く、自立した子ども。様々な困難に直面しても、勇気を持って立ち向かい、ポキッっと折れそうなことがあってもしなやかに耐え、万が一、折れてしまうことがあっても、また立ち直ることができる人間。親なら、誰でも子どもたちに、そんな風に育ってほしいと感じるでしょう。

 そのために、必要な環境はどのようなものでしょうか?物質的に豊かで便利な社会は、子どもたちの育ちにとって、好ましい環境だと言えるのでしょうか?

 加えて、インターネットやスマ―ト・フォンの普及で、何でも簡単に手に入り、相手を傷つけても何も感じない「仮想現実」が、子どもたちに無限の可能性を提供
してくれるような錯覚を与えていますが、子どもたちにもっと必要なものがないでしょうか?

 私の好きな言葉に
  「乳児はしっかり肌を離すな!
  幼児は肌を離せ、手を離すな!
  少年は手を離せ、目を離すな!
  青年は目を離せ、心を離すな!」
 という子育て四訓があります。

 青年に成長した時に、「心」が離れないために、乳幼児期にはしっかり子どもの目を見ながら関わりたいものです。

 その意味で、近年、私がとても気になっているのが、「ながらスマホ」です。こう申し上げると皆さんは、歩きスマホや自転車スマホを思い浮かべるかも知れませ
ん。もちろん、それらが、自分にとっても周囲の人にとっても危ない行為であることは言うまでもありません。しかし、私が敢えて申し上げたいのは、「子どもと
関わりながらスマホ」です。子どもがぐっすり眠っている時ならいざ知らず、家で子どもと一緒に過ごしている時間に、あるいは、電車やバスに乗って、子どもが一生懸命、話しかけたり外の景色に目を輝かせたりしているのに、親はスマホの画面を見ている光景を見ると、とても悲しくなります。おそらく、親御さんにも事情があってスマホを見ている場合もあるでしょうが、それなら、子どもに、「今、あなたの相手をしているより大切な情報が、このスマホの画面に出ているので、しばらく我慢していてね!」とちゃんと説明できるかどうか、考えてみてください。

 ある調査では、乳児は、親が一生懸命見つめるものを、自分も大切だと感じるようになる傾向があるそうです。幼少期の子どもにすれば、親が後生大事にいつも見ているスマホは、きっと「世界で一番大切なものなのだ!」と信じても、決して不思議ではありません。

 大変なことも多いけど、今しかできない子育てです。子どものお手本となるべき大人が、スマホやゲームにばかり、肝心な時間を奪われてしまうことは避けたいものです。

【新連載】3 回シリーズ(3)

「ポジティブに」

京都光華女子大学 こども教育学部こども教育学科  永本 多紀子 

 「この科目では,このことを伝えたい」と授業資料をつくって授業に臨んだのですが,私は,自分が経験してきたことを伝えたい!という思いが強すぎたようです。どの授業も90 分ほぼしゃべり続けました。授業評価で,「先生がどれだけ幼稚園が好きかわかった」「先生の熱い思いが伝わった」というプラスの評価と共に,「一方的である」「大事なことは何かがわかりにくい」という意見もあり,「これではいけない。修正しなくては」という気持ちはありながらもなかなか修正できずにいました。自分は分かっているつもりで話していて,それでは相手に伝わらないのだということも改めて学びました。保育においてもちょっとした「間」があくと,どうしたらいいかなと思うことがあります。大学の授業においても,自分がしゃべり続けないと自分自身が不安であるという
ことも大きかったと思います。

 「あ~困った。やっぱり無理かな」と弱気になる気持ちをぐっと抑えて,どんな風にして修正をしたらいいのかを考えました。幼稚園の保育においても「主体的,対話的,深い学び」ということを考えていましたので,この視点から授業を考えてみました。『保育者がすべてお膳立てをしない』『保育者が見通しをもって計画をするが,保育者の計画通りに子どもを誘導しすぎない』『子どもたちに考えることのできる時間を保障する』など大事なポイントは,授業でも同じではないかと思いました。

 私が一方的にしゃべる授業でなく,『学生が自分たちで考えたり,相談したりする時間を保障する』ということを心がけて,授業を組み立て直してみました。グループでの話し合いや発表がうまくいくと「やった」と秘かに喜んでいました。若い学生さんと時間を共有したからこそ感じられた新しい発想は,新鮮でした。この時を共有できるのは,「声をかけてもらった時はチャンスと考える」「自分にできることを精一杯やろう」「やらない後悔より,やって後悔の方がいい」というポジティブ思考のお陰だと思っています。

 でもいろいろなことに自分から積極的に取組んでいるという訳ではありません。まだまだ本当のポジティブ思考というのではないと思っています。振り返ってみると,ずっとこれまで仕事中心の生活でした。仕事・子育て・家事の3 つをするだけで精一杯で,しかも仕事の締める割合が高く…。それは責任ある仕事に就いているのですから当たり前のことだと思っています。そのことに対して後悔がないかと言えば,やっぱりちょっと心残りはあります。私自身器用な人ではないので,あれもこれもすることはできないので仕方ありません。でもこれからは,ちょっと視野を広げて,自分に出来ることを見つけて楽しんでいければいいなと思っています。「○○が得意です」「○○が好きです」とまで言えないかもしれないですが,これからもポジティブ思考を大切にしていきたいと思っています。

【新連載】3 回シリーズ(2)

「ポジティブに」

京都光華女子大学 こども教育学部こども教育学科  永本 多紀子 

 絵の苦手な私でしたが,クラスの子どもたちは絵が大好きで,展覧会に応募して賞をいただいたこともありました。自分の得手不得手で子どもたちの遊びや経験を考えるのではなく,子どもたちが好きなことやいろいろな経験がたくさんできる保育をすることの大事さも味わいました。

 しかしながらポジティブ思考で行こうと思う反面,私はやはり自分に自信がなく,いつもどちらかというと穴があったら入りたい。逃げ出したい。目立ちたくない・・・と常に思っていることの方が多かったと思います。それでもいろいろな時に声をかけていただきました。保育を公開したり,研究発表を行ったり自分の思いとは逆の方に進んでいくように思いました。自分の実力以上のことを引き受けて,自分で自分を苦しめるようなことが多々ありました。
十分,期待に応えることができなかったこともあったのではないかと思います。それでも自分なりに一生懸命取り組みました。もしお声掛けいただいた時に,悩んで引き受けていなかったら,きっと「やっぱりあの時頑張っておけばよかったかもしれないな・・・」と後悔していたのではないかと思います。

 声をかけてくださるということは,やはり「この人なら何とかしてもらえるだろう」と期待をしてくださっているからだと思うのです。ネガティブ思考のままで何も引き受けなかったなら,楽に過ごせたかもしれません。でも,きっと今の自分は存在しなかったでしょう。自信過剰はよくないと思いますが,自信不足でも子どもたちの保育に良い影響はないでしょう。これまでたくさんの子どもたちと出会いました。同じ園に長年勤めさせていただいていたお陰で,幼稚園卒園後も高校生や大学生になった子どもたちと出会うこともよくありました。この子どもたちと過ごした幼稚園時代は私の本当に良い思い出で,いつまでも大事にしたいと思っています。

 幼稚園を定年退職して,大学にお世話になることになりました。「私に出来るのだろうか」「やっぱり無理じゃないかな」「え~どうしよう・・・」覚悟を決めたものの,また一気にネガティブ思考に陥り,ずっと悩んでいました。

 そして私ができることは何かを考え直した時に,『保育者を目指す学生さんたちに,この幼児と関わる仕事の素晴らしさや楽しさ,大切さを伝えることが使命だ』という気持ちで頑張っていこうと思いました。

 でもなかなか難しいことでした。私の出来ることを精一杯やろうと思いながらも,どんな風になるのだろうと先の予測が全くつかずにいました。それでも待ったなしで授業が始まります。助けになるのは,やっぱり子どものたちとの日々でした。撮りためた写真やエピソードがとても役に立ちました。「これで頑張ってみよう」とちょっと前向きになれたのです。

【新連載】3 回シリーズ(1)

「ポジティブに」

京都光華女子大学 こども教育学部こども教育学科 永本 多紀子

 タイトルから,筆者は「ポジティブな人」と思われるかもしれませんが,実は全く逆でネガティブな人です。では何故,このようなタイトルをつけたのかということについて3 回に渡ってお話をしていきたいと思います。よろしくお願いします。

 幼稚園を定年退職し,22 年度で現職に就いて5 年目を迎えました。私の人生設計の中に大学に勤めるという選択肢は全くありませんでした。私は従姉の影響もあって,小学生の頃から幼稚園の先生か保育士(当時は保母さんでしたが)になりたいと思っていました。そして念願叶って,幼稚園の先生として約40 年間を過ごしました。

 40 年間は,とても長い年月ですが,あっという間であったようにも思います。周りの先生方を見ると,絵画や音楽などのスペシャリストというような方がたくさんいらっしゃいました。私は特に取り柄のないごくごく普通の保育者で,そんな自分にあまり自信がもてませんでした。

 ある時,大きな大会のピアノ伴奏を頼まれました。私は1 オクターブが届くか届かないかの小さな手です。音楽は大好きでしたが,ピアノの演奏自体は得意という部類には入りません。私にできるのだろうかととても迷い,すぐには返事ができませんでしたが,「せっかく声をかけていただいたのだから」と引き受けることにしました。ところが予想以上に伴奏が難しく,ご指導いただくことになっていた日に,全く間に合いませんでした。  
 
 その後,猛練習を重ね,全体の歌唱練習の日には何とか伴奏をすることができました。「あの日はどうなるかと心配したけど,よく頑張って弾けるようになったね」とご指導の先生からお褒めの言葉をいただきました。ホッとすると同時に「頑張ってよかった」と思えた瞬間でした。「自分にできることを一生懸命やっていくことが大事だな」と思えたのは,このことがきっかけになったといっても過言ではありません。やり切った達成感を味わうことができたのです。声をかけてもらうことはチャンスであると考え,やらなくては,自分の性格からいつも私は避けて通る道を選ぶだろうと思ったからでした。

 「自分に出来ることは何だろう」と考えた時に「子どもたちに寄り添う」ということでした。「しっかり寄り添おう」と思い,登園拒否の子どもと毎朝,園庭の真ん中で格闘をしたこともありました。「帰りたい!」と泣きながら暴れる子どもの体はもちろん,心も抱きとめて,必死に向き合うことでようやく心を開いて,私に体を預けてくれた時,とても嬉しさと安ど感で一杯になりました。気持ちが通じ合うことは,こんなに嬉しいことなんだと改めて感じることができました。そのお子さんとはその後,強い信頼関係を結べたと実感しています。

 自分自身の気持ちがポジティブになることで,子どもたちとの向き合い方が変わってくると思いますし,子どもたちへの影響も大きいと思います。すぐにネガティブになりそうな自分に常に言い聞かせて,自分の気持ちを奮い立てていました。

【新連載】3 回シリーズ(3)

「子どもと森を歩く」

京都森林インストラクター会 会員 松井 千代栄

 昨年の夏、近くの森を散歩していたときに急に来たのです。「ん?これ、カブトムシのにおいやん!」そして思い出しました。小さい頃、近所のおじさんがカブトムシ捕りに連れて行ってくれたこと・・・。今、森歩きを楽しんでいるのは、あのおじさんのおかげかもしれません。

 さて、子どもたちといっしょに森を歩いていると、「こんな石みつけた♡」とうれしそうに手のひらにのせて見せてくれることが何度かありました。これは、私の中ではちょっとした謎だったのです。だんご虫が好きなのはわかりやすいけど、石ころかぁ・・・みたいな感じです。そんな中、昨年の10 月に川原できれいな石を探すイベントがあり、思いきって一人で参加しました。集合場所にはリュックを背負った大人たちや家族連れなど20 数名が集まっていました。川原まで約15 分歩き、現地で簡単な説明を聞いたあと、みんな散らばって石を探し始めました。もちろん黙々と。

これはかなり面白い光景ではないかと、顔を上げて周りを見渡したとき、「あっ、そうか!」と思いました。私を含め、大人たちはみんな腰をかがめて探していたのですが、小さな子どもたちは普段歩いている姿のまま、顔だけ下向きで探していました。しかも、きれいなガーネットや紅柱石を上手に見つけているのです。

 今考えれば当たり前のことですが、子どもたちは大人たちよりずっと近くで石を見ることができるのでした。子どもは背が低い―つまり地面に近いのです。いっしょに森を歩いていても、身長160cm の私が見ている森と、身長100cm の子どもが見ている森は違うかもしれません。地面に近いということは、土のにおいを強烈に感じたり、茂みの中のカサカサした音も敏感に聞き取れたりするのではないかな・・・と楽しい想像がふくらみます。きっと、子どもたちは見ている、聞いている、感じているけれど、大人にはわからないことがもっといっぱいあるんだろうなと思いました。

 そういう視点でこれまでいっしょに森を歩いた時の子どもたちの様子をふり返ってみると、みんな小さなからだ全体で森と関わっていたのだなぁと改めて感じます。岩の間からちょろちょろ流れる水にそっと指を近づけてみる、ふかふかのコケをごそっとひっくり返してみる、倒れた木に生えたきのこをつついてみる、落ち葉のじゅうたんを蹴飛ばしてみる等々、子どもたちは子どもたちのやり方で森を楽しんでいたのでした。

 「森は楽しいよ!」といっても、子どもは一人では森へ行けませんし、行ってはいけません。いっしょに出かけてくれる大人が必要です。家族、幼稚園の先生など身近な大人といっしょに出かけるのが最高です。そして、近くに住んでる森好きのおじさんやおばさんもいます。今年も歩きますよ、子どもたちといっしょに。

【新連載】3 回シリーズ(2)

「センスオブワンダー!」

京都森林インストラクター会 会員 板倉 豊

 最近特に幼稚園や保育園の自然観察会を引き受けることが多いいのですが、子供達はキノコを見るとすぐに「これ食べられる?毒キノコ?」と聞いてきます。変わった虫や植物を見つけると「名前は?!」と聞きます。いちいち答えますが「これはイヌビワ!名前はビワだけどイチジクの仲間だよ!」と説明しますが、子供達はメモすることもないので、その場で忘れてしまいます。現場で指導する先生方も植物や鳥や虫の名前を全部知っていなくていいのです、かくいう私も全部は知りません!あの有名な女性の生態学者のレイチェル・カーソンは著書の「センスオブワンダー」の中
で「もし、あなた自身は自然への知識をほんの少ししか持っていないと感じていたとしても、親として、たくさんのことを子供にしてやることができます。―中略―台所の窓辺の小さな植木鉢にまかれた一粒の種子さえも、芽を出し成長していく植物の神秘について、子供達と一緒にじっくり考える機会を与えてくれるでしょう。」と名前など知っている必要はまずないと言っています。

 最近自然観察会を行った某幼稚園の先生からこんなお礼のメールをいただきましたのでご紹介します。

 「今回改めて、小さな自然のひとつひとつに目を向けてみることでたくさんの発見がありました。鹿などの動物が降りてくる獣道があったり、木の実を食べた後があったり、蜘蛛の巣ひとつをとっても、糸にかかった虫が体液だけ吸われて体が残っている様子を見ることができたり、普段は見過ごしてしまっていることに目を向けられる良いきっかけになりました。川にはたくさんの鳥がいて、カワセミが魚を取る様子や、鵜が羽を乾かす様子なども観察でき、身近にこんなに素晴らしい自然があることに感動しました。子どもたちはお家に帰ってからたくさんお話ししたようで、保護者
の方からは『普段幼稚園の様子をぜんぜん喋ってくれない子なのに、この日は一晩中話し続け、気になったことを図鑑やネットで一緒に調べ、土日には散歩をしながら板倉先生に教わったことを、目を輝かせながら話してくれまた!』」

 自然観察会を企画した森林インストラクターにとってこんな嬉しいことはありません!

 ところで実際に自然観察会を企画するとき依頼者側では経費や日時の設定にとても苦労されているようです。半年も前に年間の行事を決めて保護者に通知しておく必要があるそうで、年度の途中で観察会なんか入れられませんよ!とのこと、悩ましいですね。京都森林インストラクター会の事務局には叱られそうですが個人的には経費はおひるご飯か交通費の実費で十分です!教え子に(元某大学の環境教育の教員でしたので)保育士、小学校教員が多くよく頼まれますが食育をやっている保育園ではそのサンプル試食で十分でした。日時の設定も雨天予備日さえたくさん用意しておけば
対応が可能です。ある保育園では「おおきな おおきなお芋!」の向こうをはって「雨でもかっぱと長靴と雨傘でランラン!カエルやカタツムリがたくさん見られるよ!」と雨天決行となりました。

 ご相談に乗りますのでまずは森に行う!川に行う!植物園に行う!公園に行う!

 最後に、またレイチェル・カーソンの言葉「私は、子供にとっても、どのようにして子供を教育すべきか頭を悩まさせている親にとっても、『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではないと固く信じています。子供達が出会う事実の一つ一つが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性は、この種子を育む肥沃な土壌です。幼い子供時代は、この土壌を耕すときです。」

【新連載】3 回シリーズ(1)

「京都の森林のお話をしましょう」

京都森林インストラクター会 会長 篠部 幸雄

 今京都市の中心に立って見ると、東北西の三方が山の緑に囲まれており、大きな都会ではあるけれど京都らしさを醸しだす要素の一つとなっています。緑は目にも優しく、心を落ち着かせてくれるものとなっています。また東山山麓には大きな寺や神社も多く、その風景林として機能しています。また森林は、くわしい定義は別として、二酸化炭素を吸収して地球温暖化防止に貢献すると考えられているのはご存知の通りです。

 江戸時代の浮世絵などを見てみても、東山はあまり樹木の生えていないところがありました。半世紀少し前までは森林は住いや燃料を供給するために広く継続的に利用されていたのです。それが、戦後の木材不足を解決するための拡大造林、東京オリンピックの頃をターニングポイントとする化石燃料を主体とする燃料革命などにより、全国の森林は天然林・人工林とも着実に蓄積を増やしてきています。

 上流の森林が荒れると、災害特に水害に見舞われることが増えてきます。京都では平安遷都以来、水害が繰り返されています。平安時代、白河法皇は意のままにならないものの筆頭に賀茂川の水を挙げています。これとても森林荒廃が原因の一つであったかもしれません。明治時代の地図で、鴨川の高野川合流地点上流が砂利におおわれて水流が隠れているのも、その影響を感じさせます。

 昭和10 年、京都の中心街でも大水害が起こっています。集中豪雨により、鴨川をはじめ各地で溢水が発生しました。前年の室戸台風による山地の荒廃と倒木の放置が、その要因であると指摘されています。

 最近では、3年前台風21 号が来襲、強烈な南風により広範囲の倒木をもたらしました。

 森林の土壌には樹木の根がはりめぐらされていることや土壌生物によって細かい隙間が多くあります。それが雨を吸収し、時間をかけてゆっくり流していくことにより、晴れた日も川の水は流れています。ご存知の方は少ないのですが、鹿ケ谷の上流に楼門の滝という立派な滝があり、晴れが続いても滝が枯れることはまずありません。

 また木の根が土壌の下の岩盤まで届き土石をしっかり抱えていることや、落ち葉や草が表面を覆っていることにより、雨の日に土砂が流れることが少なくなります。雨の日でも川の水が茶色になっていなければ、上流の森林は比較的健全に保たれているといえるでしょう。

 最後に、ある外国出身の経営者の言葉を添えておきます。「自然に近いところに身を置くと、いつもやすらぎとエネルギーが得られると感じています。自然とのつながりを取り戻し、生命のリズムを感じる」。この自然とはすなわち森林のあるところに他なりません。

 是非近くの森林に出かけ、自然を感じてください。いろんな発見・驚きに満ちあふれていることと思います。

【新連載】2回シリーズ(2)

保育者の働き方改革の実際

佛教大学教育学部教育学科 教授 佛教大学附属幼稚園 園長   佐藤 和順  

 保育者の働き方をより良いものにしていくためにはどのようなことが必要となるのでしょうか。 第一に,保育者が安心して働ける職場環境を作ることが前提となります。具体的には,保育者の休憩時間の確保を含む勤務時間の改善や有給休暇の取得促進などを進める。また,育児・介護休業法に基づく育児・介護休業制度や短時間勤務制度,子の看護休暇・介護休暇制度などについて就業規則などに整備することです。また,勤務時間・雇用形態にかかわらず,保育者の技能,経験,役割に応じた処遇に努めなければなりません。

 第二に,保育や行事の見直しです。行事の負担感が大きいという意見は,保育者からよく聞かれます。その行事が何を目的としていて,子どもの育ちにどのような影響を有しているのかを再度考える必要があるでしょう。例年通りではなく,その行事の持つ意義を検討しなくてはいけません。このことはコロナ禍により多くの園でも実践されてきたことではないかと思います。また,行事加えて,日々の保育の方法についても,検討をしている段階かと思います。

 第三に,書類削減,ICT 化などの活用による業務改善です。例えば「クラス記録(保育日誌など)」「長期的な計画」「短期的な計画」については最低限必要な項目を定め,簡素化するなど標準化することで保育者の負担軽減につながるのではないかと考えられます。行政との連携も必要となるでしょう。それをICT 化すれば負担は一層軽減されるでしょう。園ごとに検討することも必要ですが,国や自治体などが中心となりこのようなひな形を示すことが早急に求められます。

 第四に,多様な人材活用による業務改善です。例えば,行事に必要な装飾の企画やデザインはクラス担任が,そのデザインを基に製作する作業を保育補助者が担当するように役割分担を行うことなどが考えられます。
担当をすみ分けることによりクラス担任の行事準備にかかる負荷が減るという仕組みです。実現のためには,両者間でしっかりと意思の疎通が必要となるでしょうし,いかに雇用するのかということも課題となります。

 以上のような保育者の働き方改革が目指すものは,まずはノンコンタクトタイムの確保です。保育者の子どもの育ちに常にかかわりたいという気持ちは十分にわかりますが,時間は有限ですし,一人当たりがこなすことが出来る業務には限りがあります。時間を効率的に利用する高い時間意識を保育者間に定着させることが必要です。

 これまで述べてきたように保育者の働き方改革は,保育者,園だけではなく,運営事業者そして国や自治体すべてが連携をして進めていかなければならないものです。そして,すべては保育の質の向上,子どもの育ちを確かなものにするために行われるという意識が必要です。保育者にとって魅力的な園は,きっと子どもにとっても魅力的な園に違いないと思います。魅力的な園で,しっかりと子どもの育ちを支える,保育者が自己実現できることを目指して日々保育に勤しみたいものです。

【新連載】2回シリーズ(1)

保育者の働き方改革の必要性

佛教大学教育学部教育学科 教授 佛教大学附属幼稚園 園長   佐藤 和順  

  働き方改革関連法が施行され,その必要性やワーク・ライフ・バランスの実現が保育現場でも課題となっています。しかし,実際には「毎日残業」「事務仕事が増えている」「ノンコンタクトタイムなんてとっても無理」という声が多く聞かれます。一方で,実際に働き方改革に取り組んで,一定の成果を出している園もあります。どこにその違いがあるのでしょうか。

 保育者は長時間労働になりやすい傾向があります。「子どもの最善の利益」「子どもファースト」の理念のもと,子どものことを中心に考えることは大切です。しかし,生産性などで判断できないためにどこまでやればよいのかが見えにくいことも事実です。そのために保育者が長時間労働を強いられ,持ち帰りの作業があったりするのが現実です。保育者の就業継続の困難感や労働環境が低下するのであれば,そのことが子どもの育ちの保障に支障をきたすことも認識しておかなければなりません。

 安易な残業依存や仕事の持ち帰り体質が保育の現場にある背景には,必要な時にはいつでも残業や持ち帰りができる仕事中心の保育者が多く存在していることがあります。そのような働き方を前提とすると,働く時間や場所に制約があったり,仕事も仕事以外の生活も大事にしたいと考える人材活用が困難となります。短時間勤務,パートを希望する保育者,またフルタイム勤務でも残業免除で働きたい保育者,さらには仕事だけではなく仕事以外の生活を大事にする価値観を持った保育者などが働きにくい職場環境であれば,保育者不足は一層深刻化し,正規の保育者の負担が一層増加することになります。このことは新人保育者の就業継続にも影響を及ぼすことでしょう。

もちろん,仕事が好きなことは悪いことではありません。しかし,仕事が好きでも,仕事のみの生活をしている保育者は,視野や人間関係が仕事に偏ることで成長機会が制約される懸念もあります。このことは,保育者の成長を望む園にとっても課題となります。

 長時間労働や仕事の持ち帰りに疲れて,就業継続が困難になる。このような悪循環を断つためには,「今までそうやってきた」,「みんなそうしている」ではなく,自律的な時間管理のもとでの,自分で考える時間意識の高い働き方への転換が必要となるのです。企業と同様に園においても「仕事総量」を所与としてすべての業務が完了するまで労働サービスを投入し続けるような働き方ではなく,「時間総量」を所与として,その時間で最大の不可価値を生み出すことが求められるのです。保育はどこまでやっても,完ぺきということはないのではないでしょうか。そのことが保育の質の向上につながることも事実ですが,終わりがないということも働き方を考える上では難しい課題です。一定の質を保つことを前提として,ある程度のところで切り上げるという態度も今後は必要となるでしょう。