新連載

【新連載】2回シリーズ(2)

地域母子保健事業に関わって

京都橘大学 非常勤講師 齋藤洋子(保健師)

 乳幼児健診が真に子どものために有意義なものになるように私達は何をするべきか。
 健診の実施者は、保護者に必要な事を伝えなければいけません。責任として問題を見逃してはいけないのです。
 保護者は健康に育っていることを確認するために健診を受けます。両者とも「子どもの健やかな成長・発育のために」を願っています。
 健診を受診する時、その健診に良いイメージを持っておられるか、マイナスイメージで捉えておられるかで結果の受け止めは変ります。健診に対して信頼感を持っておられたら、結果を正しく受け止め、必要な事
がスムーズに繋がります。

 では、マイナスイメージは、どのようにつくられるのか。健診を受けた保護者がその時の印象を他の保護者に伝える、その中身が地域に拡散するわけです。母子保健の担当スタッフの力量が問われるわけです。
 しかし、保育所や幼稚園の先生が健診の意義を保護者に伝えていただくと、保護者同士で話があっても、その話題が暴走することは防げると思います。

 乳児期は心臓や股関節の異常等の早期発見の役割がありますが、それらより最近は子育て支援に重きが置かれます。妊婦のとき、新生児訪問のときなどに訴えがあったり気になる様子があったケースに、地区担当の保健師が保護者に寄り添って相談に乗ります。(地区担当制の保健師活動を行っていました)

 近年は虐待が社会問題化し、乳幼児健診や予防接種の場は虐待の発見、予防、抑止効果の場としての役割を期待されています。健診未受診児は必ず把握するために家庭訪問が必要になります。健診に行かないと虐待を疑われるとの保護者の意識から、健診の受診率はアップしています。

 乳幼児健診では、身体の発育だけでなく精神・言語・対人関係の発達についてもスクリーニングを重視し、特に3歳児健診は歯科・視力・聴力・尿検査など盛りだくさんの項目を取り組みますが、知的発達に問題がない児は1 対1 の面接では気づきにくいし、保護者も問題意識を持っていません。おのずと集団生活に入ってから一斉指示が聞けない等で気づくことになるのです。3歳児健診は市町村最後の健診ですがその後も相談に応じます。そのことを健診では必要と思われる保護者に伝えています。特に幼児期の発達に関わる専門職として臨床心理士や臨床発達心理士が活躍してくれます。

 就学してからの療育は就学前に取り組むより約3 倍の時間がかかると言われます。発達障害があっても児と保護者が前向きに生活できるように幼児期に土台をしっかりつくってあげられたらと思います。知的には問題の無い発達障害児は、周りの取り組み次第で、本人の才能を伸ばすことにも二次障害をつくることにも成ってしまいます。

 今後とも母子保健を実施する市町村の担当と幼児教育を担う保育所・幼稚園のスタッフが、連携しお互いに協力して子どもの成長発達を見守っていきたいと思います。

【新連載】2回シリーズ(1)

地域母子保健事業に関わって

京都橘大学 非常勤講師 齋藤洋子(保健師)

 市町村は、母子保健法で1 歳6か月児健診と3 歳児健診の実施を義務付けられ、その他は努力義務となっていますが、全国的に乳児期前期(3 ~ 4 か月児)健診、乳児期後期(8 ~ 10 か月児)健診を実施しています。
健診だけでなく、妊娠・出産・育児に関わり家庭訪問や相談、教室など様々な母子保健事業を実施しています。

 長年母子保健事業に関わり、就学前の子どもの育ちに関わりを持つ事の重要性を痛感していました。縁あって幼稚園教諭・保育士養成の非常勤講師をさせてもらいました。

 幼児教育課程の学生に最初に言うことは、「子どもは、大人とは違い未熟です。発育・発達途上人です。それと、
世の中には先生と呼ばれる職業はたくさんあります。小・中・高・大学と学校にあがっていきますが、保育所・幼稚園が土台ですから一番大事な仕事をする先生です」と強調します。大学で、将来幼児教育の仕事をして欲しいと思う男子学生がいましたが、彼は結婚する相手が安定した収入が得られない人だからと、企業への就職を希望しました。もっと日本の幼児教育に関わる職員の処遇改善が必要だと痛感しています。

 さて、保健所や保健センターで乳幼児健診を受けた保護者の方からどのような感想を聞いておられるでしょうか。

 健診の場面だけの子どもを見てなにがわかるのですか?細かいところを指摘して異常だと言わないでほしい。うちの子障害児だというのですか。いやな事を言われるから健診を受けたくない。など等聞いたものです。もちろんその反対の内容の方が多いのですが…

 健診で何をされるか親も子も緊張しています。3 歳児では発達のスクリーニングの項目を練習してくるケースもありますが、長年同じ年齢の子どもを健診の場で観ていると、毎日みている保護者には気付けないことも気づくことができます。だから、乳幼児健診は大事だし、スクリーニングで気づく問題点はそれなりに課題だと言えると思っています。

 乳児期の問題は、身体的な事が多いので保護者の方も健診で見つけてもらって安心されます。保護者は健やかに育っていることを確認するために健診を受診します。幼児期の健診は、それぞれの個性が表面に出てきますので、発達上の課題が見えてきます。対人関係の課題など、これからの学校生活や社会へでてからの困りごとがなるべく少なくなるように早期対応を就学までに取り組むことを目的にしています。

 実は乳幼児健診で問題点を指摘されても、じゃあどうしたらいいのというのが呈示してもらえないとしたら健診を受ける意味がありません。だから受け皿をしっかり作ることも大事です。母子保健事業を取り組むにはその地域で何が問題でその課題を解決するにはどのようなシステムや事業があればよいかを考えてきました。特に発達支援法が国会で採択された期を逃さず、長年必要と考えていた「( 仮称) 就学前のことばの教室」を事業化しました。就学までの早期アプローチが望まれたからです。(実現までに時間はかかりました)地域の母子保健システムを作っていくのはとてもやりがいのあることでした。

【新連載】3回シリーズ(3)

よき聞き手として・よき話し手として

佛教大学 髙橋 司

 3回の連載の最後として、まとめておきたいと思います。

1. 子どもにわかることばで話していますか?
子どもにわかることば、すなわち理解できることばで、そのうえゆっくりと落ち着いた態度で話しているかどうかということです。日常生活においてはついつい繰り返しのことばが多いので、早口になったり、大人のことばで話してしまうことがあるかと思いますので、改めて確認しておきます。ゆっくりと話すと言っても、間延びしてしまっては子どももいらいらします。間の取り方も考えて話してみてください。

2. 具体性のあることばで話していますか?
「話を見せる」ということを意識して話すようにしてください。そのためには、「具体的なことばで話す」ことです。
「お日さまが、キラキラしているから暑いのね。」
「雨がザーザーと降ってきました。」
「水道の水が、チョロチョロでてるね。」
など、擬態音などを交えて話すと行動意欲を育むことができるのです。

3. 子どもの考えや主張をゆっくり聞いてあげていますか?
子どもにも言い分や主張があります。口の中でモグモグしている時も、「グズグズして」などと言ってし
まわないで、
「先生が聞いてあげるから、ゆっくり言ってごらん。」と言えば、発表する意欲も出てくるのです。受け入
れの態度はきっちり作っておきましょう。

4. 注意は急場を捉えて短く、失敗の時は現場に即して
 注意していますか?
注意や小言を毎日繰り返していませんか?それは決してしつけることでありません。あっさり適切に言いましょう。ダラダラと的外れの小言をいくら並べても効果はありません。失敗した時は、その場で叱るようにしましょう。後日思い出して、言ってみても少しも効果はありません。

5. 子どもが理解したと思うようなことでも、もう一度
 確かめていますか?
子どもは、「そんなん知ってる。」と簡単にいう場合があります。ほんとうに知っているのか、もう一度確かめてみることも大切です。くどくならないように、「知っているの?よかったね。先生にもう一度教えて。」と言ったことばで話してみようという心持ちを作ってください。知っていることでも異なったことを思っている場合があるので、復唱も必要なのです。

6. 興味を育むようなことをしていますか?
子どもは夢中になると、そのことにいつまでも体当たりします。そんな時、
「いつまでやってるの。早くやめていらっしゃい。」
と言って、興味を切らしてしまうことがあります。
「もう少し?それならもう少し後からね。」と言う度量のあることばも使ってみましょう。

7. 童話や絵本などを読んだり、語ったりしていますか?
家庭でこのような触れ合いが少なくなってきています。情操を育むためにも童話や絵本の読み語りは、積極的に取り上げてください。童話や絵本は子どもの現実と空想(虚構)を繋ぐ架け橋です。
夢を広げることに繋がります。子どもの新しい発見もここにあります。読書指導のはじめの一歩にも繋がるのです。

 以上、わたしたちの少しの努力によって子どものことばと情操はうんと広がっていくことがわかります。

【新連載】3回シリーズ(2)

信頼をなくす「あとで型」

佛教大学 髙橋 司

 日本の幼稚園教育の父と言われる倉橋惣三は、「飛びついてきた子ども」というテーマで、次のような文を表しています。
 〝子どもが飛びついてきた。あっという間にもう何処かへ駆けていってしまった。果たしてあの飛びついてきた瞬間の心をその時ぴったりと受けとめてやったであろうか。”

 そんなことを考えてみたいと思います。
 保育者の中には、「あとで型」はおられないでしょうね。
 「先生、あのね。」
とそれだけ言っただけでこの「あとで型」の保育者は、「あとで、あとで、ちょっと待ってね。」と後回しにしてしまう保育者のことです。

 特に目の前の行事に追われたり、日々の生活の中で忙しい時に、「あとで型」が出てくるのです。

 もちろん、猫の手も借りたい、両手が塞がっている時にはなかなか対応できないのでしょうが、そんな時には、 「そう、ちょっと待ってね。このご用が済めばゆっくり聞いてあげるから。」とまずは納得させて欲しいのです。

 それを、「あとで」で終わってしまい、その「あとで」は、用事が終わっても果たされないことはよくあることです。
 こんなことが何回も重なってしまいますと、やがて、報告をしたり、話しかけたりする意欲がなくなってきます。
 忙しいけど、その時は手を休めて、 「ちょっとだけでもいいから、話してちょうだい。」と顔を覗き込んでください。
 子どもが一生懸命に話したいと思っている時、いっこうに取り上げない姿勢は、子どもから信頼を受けることはありません。
 仕事の手を休めて、子どもの方を向いて視線を合わせて聞いてみましょう。
 その時の嬉しそうな顔には、自分の話を聞いてくれるという喜びが湧いてくるのです。
 話の合間には相槌を打ち、うなづいたりして、「よかったね。この続きは用事が済んだらまたしてね。」と期待を持たせての「あとで」を願います。
 大きくなった時、大人と楽しく自由に対話ができた子どもは幸せでしょうし、もっと大切なことは、思春期の難しい時期もこうした対話ができていると、きっと乗り越えられるはずです。
 そこには大人に対する信頼感があるからです。
 それがないと、
(ぼく、一生懸命見つけてきたのに、、、)
(先生に知らせて褒めてもらおうと思ったのに、、、)
(今度からもう言ってあげないから、、、)
(どうせ先生に言っても聞いてもらえないし、、、)
といった心がきっと残るでしょう。
 子どもの発言に耳を傾けてください。目を見て親身になって聞いてあげると、いつもお話をしたい心が湧いてくるのです。

【新連載】3回シリーズ(1)

「自らの思い出を語りましょう」

佛教大学 髙橋 司

  「先生がまだ◯◯ちゃんみたいに小さかった時のことよ。」
 と先生が子どもを前にしてポツリポツリと語り始めました。
 「先生はいつも幼稚園で泣いていたの。担任の先生はずいぶん困っておられたの。」
 子どもは顔をのぞき込み始めました。
 (先生は弱虫だったのかな)
 ときっと不思議に思うことでしょう。
 「幼稚園で逆上がりが出来なくて、べそをかいていたの。でも、毎日毎日お友だちと練習してやっと回れるようになった時は、とってもうれしかったよ。」
 「給食で嫌いなものが出た時、食べられなくて困ったことがあったの。みんなが頑張れ頑張れと励ましてくれて、やっと食べられるようになったの。」
といったように昔の体験を話してみましょう。
 子どもにとっては目の前の先生と、かつて小さかった先生と比較して考えるでしょう。
 このことで、先生のイメージがダウンすることはありません。
 子どもに語り継ぐことが大切なのです。完全な人間なんてありません。自分の体験から語り継がねばならないことを話しておきましょう。
 世の中の出来事も同じように話しておくことです。
 今までどのように生きてきたかを知ってもらう良い機会なのです。
 もちろん子どもにわかることばで語りかけをしなければなりません。理解できないことを話しても何もなりません。
 今の生き方を知らせるということは、人間としての価値に目覚めさせることなのです。
 「先生は、小さい頃、暗くなるまであそびすぎて、戸を閉められて外に出されてしまったの。」
 といったことも、子どもはその状況を想像しながら、今の自分の境遇とを比較してみることもできるのです。
 世の中の出来事や自らの体験を語る時は、その組み立て方に気を付けましょう。
 幼稚園で先生からいいお話を聴いて帰ってきた子どもは、
 「ただいま、今日とっても面白かった〝お話見てきた〟よ。」と話します。
 子どもが「お話を見る」ということは、話の仕方がとても上手だったと言えます。子どもは頭の中に映像を思い浮かべて聴いているのです。
 子どもは、絵本やテレビを観るような感じで話を受け止めているのです。愛情いっぱいをその話に心を映すことが望ましい
のです。
 ただただお話を聞かせておけばいいというものではありません。話し手がその話に惚れる(好きになる)ということで、その話と自分との間に隙
間がなくぴったりと心を映すことができていると、聴く子どももこころをそれに映すことができるのです。
 大切にしたいのは話の組み立て方、そしてその後ろにあるこころだと言えましょう。

【新連載】2回シリーズ(2)

「環境として伝える事」

㈱コト葉LAB. 代表取締役 安中 圭三

 よく部屋の中は家庭の雰囲気で環境構成して…と言う話を聞きますよね。
 「家庭…」「家・庭」「家+庭」…
 そうなんです。家庭という字は「家」と「庭」という字で出来ています。
 であるならば、部屋の構成を考える時は「庭」についても一緒に考えながら、環境構成をしていって欲しいなと思っています。
 かつての日本では、障子を開け放すと外の空気が全面的に入ってきて、そこで風鈴が鳴ったり…。
その外側には中の様な外の場所である縁側があり、そこでは庭で収穫した柿や梅を干していたり。はたまた、そこで昼寝をしたり。…と言った様に、いたるところで内と外とが曖昧に繋がって暮らしが成り立っていましたよね。
 家の中と庭での活動が生活として、分け隔てる事なく考えられていたように思います。しかしながら、現代の多くの家では、すでに「庭」なんてない家がほとんどになってきています。悲しいかな、子どもの育ちに外が介在しない生活へとなりつつあるのです。
 園舎もまた、どこか室内で完結しているつくりになってきていると言うべきか、縁側の様な内と外とが曖昧な場所がなくなっている感じですよね。
(これは、実は建築面積の関係から縁側的な場所を大きくはつくりづらいという理由もあるのですが…)
 幼児期は心や身体を通じて身につけていく学びが多くを占めている事からも、外遊びは子どもの育ちにとても影響を及ぼす場所だと思っています。
 だからこそ室内からの眺め或いは気配として、自分とは別の誰か…特に異年齢の子が外で遊んでいる姿を日常的に見て取れるか否かが、育ちにはかなり重要な意味を持っていたりします。年少や年中の子が、年長を見ながら、どうやってやるんだろう?や、どうしたら出来るようになるんだろう?という事を彼らなりに部屋の中からも見て、聞いて、学んで、自分自身で出来る姿をイメージしているんですよね。又、外は自然現象などの偶然と多く出会う場所でもあり、環境での適応能力を育めたりもしますし…と、外(園庭)側から見ると、という話は尽きる事なく出てきてしまいそうです。
 何かを大きく変えていきましょう!ということではなくて全然良いと思います。花が咲く季節ではちょこっと一輪挿しに花を生けてみたり、雨の日は雨の音が聞こえるようにしたり、外で遊んでいる姿や声が見たり聞いたり出来る様に仕向けたり、内外に美味しそうな香りを嗅ぐわしてみたり、ちょっとした偶然に気づけたり…。
 大人も子どもも身近な風景の中で見て取れる何気ない景色の移り変わりを意識しながらの暮らし、そして庭での外の気配を感じ取れる事が、本来の家庭的なる暮らしの在り方なのではないかと思っています。
 家庭的である暮らしの中に、もう一度ちょこっとだけでも「庭」の事も仲間に入れて考えてくれるとありがたいなぁと、園庭をデザインしている人間からの戯言として、どこか気に留めておいていただけたら幸いです。

【新連載】2回シリーズ(1)

「環境として伝える事」

㈱コト葉LAB. 代表取締役 安中 圭三

 私は、園庭や遊具、室内といった子どもの環境をデザインしています。
 そこで日々の考えを、「環境として伝える事」と題して2 回に渡って書かせていただきたいと思っています。
 「せんせー、あそこに登らせて」…
 子どもから言われると、手を貸してあげたくなってしまいますよね。
 でも、ここで一度考えて欲しいのです。
 ここで手を貸してしまう事で、かえってその子の育ちによくない事があるとしたら?
 遊んでいる時に、子どもの後ろから、高い所へと大人が押し上げている行為(よくやってしまいがち…)実はこれ、押し上げた子の危険が生じやすい状況へと導いている行為でもあるのです。その子自身の体力や能力がまだ備わっていない状態のまま、大人の力によって、能力以上の環境へと誘ってしまってもいるのです。
 これ!大変危ない行為です。絶対にやめた方がいいです!
 この事を踏まえた上で、少し矛盾するように感じられるかもしれませんが…
 私が遊具を設計する時には、あえて挑戦をしないと登れないところを計画する事があります。こうした遊具を設計すると、時に先生方から叱られます。「手を貸すなと言っておきながら、手を貸したくなるような遊具を設計して、どういうことなの?みんなが行けなくて、行けない子は可哀想だと思うんですよね…」と…うんうん、そうですよね、よくわかります。
でもね…今はまだ行けない場所や、まだ出来ないでいる時間には、すごく価値があると思っています。
 今、そこで手を貸してしまう事で、その瞬間の、その子の気持ちは満足させる事は出来ます。しかしながら、後に自分で出来た時の「達成感」だったり、「自分って凄い!」というような感動は薄まってしまいます。悶々と「出来ない」を繰り返しながら、どうやったら出来るだろう?という葛藤を繰り返し、やっとの思いで出来た事は、宝物のように貴重な経験になると思うのです。そこにこそ、本当の意味での「自由」の感覚が育まれると思います。ですから、その時まで、その感動をとっておいてあげたいですし、そういう経験によって得られる「自由になれた感覚」をしっかりと感じとってほしいですよね。
 自分自身で思う「出来た!」がとても大切な自己肯定感にも繋がっていくと私は考えています。
 大人は、すぐに「出来る為の環境」を用意してしまいがちですが、出来ないでいる時間を費やし、自分自身で達成し、自分ってなかなか凄い!と思える…そういう自己肯定感を育むことができる環境を作り出していくことが、我々大人に求められている事です。
 その為には出来ないでいられる時間が長ければ長いほど、そして、失敗を受け入れてくれる環境であればこそ…出来た!わかった!が本人の心の奥底から湧き上がる本物の価値として、彼らの根っこの部分となっていくのではないでしょうか。
 …そんな経験を、これからを生き抜いていく彼らに贈り届けていきたいと、私は考えています。

【新連載】3回シリーズ(3)

保育者養成雑感(3)

大谷大学 冨岡 量秀

 さて今回2回目となりました。引き続き養成に携わって感じていることを「雑感」として書かせていただ
こうと思います。

 さて今回が3回目となり、最後となります。本当に申し訳ありません!なんかまとまりもなく書かせていただいております。最後の「雑感」を書かせていただこうと思います。

 前回は各養成校が抱えているであろう共通の課題として、「ミスマッチの問題」を中心に「雑感」を述べました。今回は、これも多く耳にする言葉ですが「学生の経験不足」という課題です。

 「学生の経験不足」が言われる時、大きく二つの視点があります。それは①「生活経験の不足」と②乳幼児期の「遊び込む経験の不足」です。この経験の不足を考える前に、大前提があるかと思います。それは「今の」学生は、必ず私たち大人の世界で育ち、大人から様々なことを受け継いでいるということです。これは当たり前のことですが、でも忘れていませんか?大人たちは・・・。

 まず①「生活経験の不足」ですが、これは以前から、あるいは昔から、大人から子どもへ、年配者から若者へと指摘され続けてきたことかもしれません。私自身、かつて若者だった時、年配の方から「最近の若い者は・・・」と言われ続けてきました。今は私自身が年配者となってしまいましたが。生活はどんどん便利になり、さまざまな便利グッズも生まれました。家電も進歩しました。例えば、洗濯機の二槽式って、家庭で使われてますか?ほとんどが一槽式・ドラム式ですよね。また雑巾掛けって、家庭でもやっていますか?便利なフローリングワイパーなどが使われていますよね。箒と塵取り使ってお掃除をする経験はどこでできるのでしょうか?学校ですか?しかし学校でのお掃除の時間をとおして、お掃除の仕方を身につけたでしょうか?私自身はそのような実感がありません。これはほんの
一例に過ぎませんが、生活経験の内実は大きく変化し続けているのです。だからと言って、「学生が知らなくて当然だろう!」ということではありません。保育者として「本当に」必要とされる経験とはなにか?どこでその経験不足を補うことが望ましいのか?を様々な段階で関わる大人たちが共有し、社会に送り出す前の具体的な組み立てをするべきだろうと、養成校の課題としても思うわけです。

 また「遊び込む経験の不足」ですが、これは子どもたちというよりも、周りにいる大人たちの価値観に大きく左右されているのではないでしょうか。例えば、近隣との関係で声を出して園庭で遊んではいけないとか、大人の目を気にしながら遊ばなくてはいけない環境の園が都会には多々あると聞きます。そのような環境で遊んだ子どもたちの中に未来の保育者がいるのでしょう。子どもにとって遊びが大事と言いながら、遊べない環境を作り出し続けていく大人たち、この関係性はいつまで続くのでしょうか?このような状況にあって、保育者を目指す学生自身が、自らの興味のあることに取り組んだり、そこで試行錯誤したり、他者と
協働する経験等々を、養成課程の段階において、改めて経験できるような機会を保障していくということも必要な育ちと学びなのだろうと思います。

 この度、「保育者養成雑感」と題して、好き勝手なことを書かせていただきました。本当に申し訳ありません。今回書かせていただいたことを今後も課題として、皆様からもアイディアをいただいたり、様々な機会で連携・協働させていただき、より良い養成を考えていきたいと思います。

【新連載】3回シリーズ(2)

保育者養成雑感(2)

大谷大学 冨岡 量秀

 さて今回2回目となりました。引き続き養成に携わって感じていることを「雑感」として書かせていただ
こうと思います。

 前回、養成校の養成の高度化と出口(就職)のニーズの中、保育者養成校へ進学してくる学生の多くは、モチベーションの程度は様々ではあるが、「子どもが好き」や「先生への憧れ」などから、幼稚園教諭免許・保育士資格の取得を目指して進学してきています。しかし現在、養成校には、多様な課題を抱える学生が多く進学してきているのも事実ですし、養成の難しさも各校が実感していることですと書きました。その中で、各養成校が抱えている共通の問題として「ミスマッチの問題」があると思います。

 養成課程では、ほんとうに多くのことが求められていますし、カリキュラムも過密を極めています。幼稚園教諭免許のカリキュラムと保育士資格のカリキュラム、それに加えて各校の独自性を出すようなカリキュラムが加わります。この各校の独自性を出すものが、いわゆる各校の「売り」に繋がっていくと思います。これらを特に短期大学部では2年間で学生に取り組ませるわけですから、入学から卒業まで休むことなく「走れ!」とばかりに取り組ませていくわけです。このプロセスを走りきる原動力は「子どもが好き」や「先生になりたい」という熱い思いでしょう。しかしそれだけでは難しいのです。それは実際の現場も同じことだと思います。養成校でいえば、過密なカリキュラムですから、どうしても1時間目からの授業が多く組まれることになります。そして半期15 回の授業実施は必須であり、実習などで授業ができない場合は、土日に補講を設定されることが多くなります。また遅刻欠席を厳しくしている養成校がほとんどかと思います。さらに各科目(演習や実技系も多い)からの課題も多く出されます。つまり基本的な学習(修)習慣と基本的な生活習慣が身についていなければ、学生自身が「しんどい」のです。特に基本的な生活習慣は大切かと思います。実習もありますし、卒業後、先生というお仕事をする上で基本的なことだ思います。

 またコミュニケーション力も重要です。多くの受験生は面接などで「コミュニケーション力」があると自己アピールしますが、その多くは明るさ、ハキハキしているなどの一般的なコミュニケーション力です。しかし保育者の専門性としてのコミュニケーション力は、チームとしてお仕事をするうえでのコミュニケーション力であり、保護者の話に傾聴し、寄り添い、そして共に歩んでい行くという質のコミュニケーション力が求められているかと思います。つまり「大人」になることが求められる訳です。そのような意味で、私は保育者養成の学科やコースの学生は他の分野の学生より、社会人として、そして大人として素敵に育っていると思います。ちょっと贔屓目ですが。

 というか、それくらいの思いで、どの養成校も学生を育てていると思うのです。だからこそ途中で諦めたり、しんどくなって来れなくなってしまうことにつながるミスマッチを本当に減らしたいと思っているのです。このようなミスマッチを少なくするためにも、各高校ともっと連携し、保育者の専門性への理解を共有する努力を今後もし続けなければならないと考えています。

【新連載】3回シリーズ(1)

保育者養成雑感(1)

大谷大学 冨岡 量秀

  今回、3回シリーズの連載を書かせていただく機会をいただきました。私のシリーズでは、養成に携わって感じていることを「雑感」として書かせていただこうと思います。まずは養成を取り巻く状況について、ちょっと考えてみます。

 現在、保育者の養成校には、より実践的な専門的知識と技能を兼ね備えた「高度専門職」としての養成機能が求められていると思います。そして、そのニーズは今後ますます高まっていくのでしょうね。と同時に、国の待機児童対策もあって、都市部を中心に保育所の新設が長年続き、厚生労働省によれば2018年度11月の有効求人倍率は3.20 倍(全国で最も高い東京都では6.44 倍)といった状況であり、保育者の確保が喫緊の課題となっています。このような状況から、とりあえず必要とする保育者の数を確保することに各園が必死にならざるを得ない現状があると思います。

 以上のような養成校の養成の高度化と出口(就職)のニーズの中、保育者養成校へ進学してくる学生の多くは、モチベーションの程度は様々ではあるが、「子どもが好き」や「先生への憧れ」などから、幼稚園教諭免許・保育士資格の取得を目指して進学してきています。しかし現在、養成校には、多様な課題を抱える学生が多く進学してきているのも事実ですし、養成の難しさも各校が実感していることです。

 養成校の養成内容・方法の課題、そして学生自身の課題などなど、確かにあるのです。と同時に、私が個人的に感じることは、学んでる学生に対して「これだけのことをよくやってくれるなぁ」「すごいなぁ」です。もちろん現場の素敵な先生方にお会いした時には、「うちの学生もいつかはこんな先生になれるのかなぁ」、そしてやっぱり「すごいなぁ」と感じるのです。