新連載

3回シリーズ(1) 「自分をコントロールするとは?」 稲垣 実果

「自分をコントロールするとは?」

京都聖母女学院短期大学 児童教育学科 講師
                稲 垣 実 果

 子どもの自分をコントロールする力、つまり自己制御に関する代表的な研究のひとつに、1960年代から現在に至るまでアメリカで継続的に行われている「満足遅延テスト」というものがあります。実験者が子どもの目の前にマシュマロを置き、「これを食べずに我慢したら、あとでご褒美があります。だから、私が帰ってくるまで食べずに我慢してね。」と説明し、実験者が去った状況で、どれくらいの時間マシュマロを食べずに我慢できるかを測定する実験です。この実験の結果、4歳の時点で待機時間が長い幼児のほうが、10年後の学業や友人関係、様々な問題への対処能力が高いことが示されました。さらに、責任感に富み、ストレス状況下での生産性も高いことが明らかになっています。

 しかし、自分をコントロールする力とは、自己制御能力のみを意味するのでしょうか。心理学的には自分で自分の行動をコントロールする力には2つの側面があるという考えがあり、自分の意思・願望・感情を抑える自己抑制的側面のみではなく、“いやなことを主張する”“遊びたい遊びに他の子を誘って遊ぶ”などの自己主張・実現的な側面も含まれるともいわれています。柏木(1988)によると、この2つの側面は幼児期にそれぞれ異なった発達をみせます。自己主張・実現は、3歳から4歳後半にかけて急激に増加しその後の変化は少ないのに対し、自己抑制は3歳から小学校入学まで一貫してなだらかに伸び続けるということが分かっています。

 また、自分をコントロールする力の2つの側面の発達が子育て方略とも関係していることを示した研究もあります。水野・本城(1998)は、自己主張・実現面と自己抑制面の両方が発達している子どもは、子育てにおいて説明的しつけ方略が多く用いられていたことが示されています。

 以上のように、どのように自分をコントロールするかということが、その子ども自身の自己発達の中核を成すといっても過言ではないでしょう。またその力は、周りの大人の子どもに対する接し方にも多く影響を受けます。自己主張・実現的側面も自己抑制的側面も、自分の可能性を拡げていく上で、さらに人間関係を築いていく上で重要な側面です。それは子ども自身が、遊びやいざこざのなかで身につけていくものですが、周りの大人からの子どもの自己主張や自己効力感(~できるという気持ち)を支えつつ、自分をコントロールする力を少しずつ身につけられるような援助も必要なのではないでしょうか。

『青年教職員とともに進みましょう』4回シリーズ(4)

『青年教職員とともに進みましょう』

日本児童文学者協会会員
                  中西  実

 わたしは、5年前から、京都市内で『せんせのがっこ』(中西教室)を立ち上げ、青年教師の実践力を高めるための学習会を組織しています。かつてわたしが青年だったころも、ベテランの先生方に随分叱咤激励されて支えられてきましたから、その恩返しのつもりで活動しています。

 さて、近年、ヨーロッパのある国の洞くつで、大昔に書かれたと見られる大きな落書きが発見されました。そこに記されていたことばは、「最近の若者は、なってない!」。この事実からもお分かりのように、いつの時代も若者は非難されやすい対象であるようです。でも、果たして、ほんとうにそうなのでしょうか。阪神・淡路大震災や東日本大震災などで、すぐ現地に飛び、献身的に救援活動をしているのは圧倒的に青年たちだし、文化やスポーツなどで大活躍している青年もたくさんいます。

 ここで、中西教室に熱心に参加してくれている青年を二人紹介しましょう。一人はTさん。東京の会社で数年働いてきたのに、何気なく読んだある教育書に感化され、苦労の末、教師の道に入ってきた青年です。まだ数年しか経っていないのに、すばらしい実践をしています。実は、先月の『せんせのがっこ』の例会で実践報告をしてもらったのですが、その内容といい、進め方といい、わたしなんかがいなくても、すばらしい学習会になっていました。もう一人のYさん。彼女は、講師時代がわたしと同じ職場ということもあって、何かにつけてわたしを頼ってきてくれました。「この学級通信、真っ赤に添削してください」、こんな要求もしてきました。苦手なピアノにチャレンジするなど、学ぶ姿勢も人一倍あり、砂漠に水がしみ込むように何でも自分のものにしていく人でした。(この人の実践は、三木順子という仮名で、3冊目の拙著『笑顔あふれる子育てのひ・み・つ』にくわしく紹介している。興味のある方はご一読を)

 さて、これからの教育界は、いろんな意味で厳しさを増していくことでしょう。でも、未来は明るいとわたしは感じています。なぜなら、情勢が厳しければ厳しいほど、青年たちは貪欲に学んでいくし、仲間たちと力を合わせて困難を乗り切っていくようになるでしょう。もちろん、壁にぶつかった時には、その都度、的確なアドバイスをしてあげたいものです。でも、そんな場合でも、「君は弱輩者だから、わたしが教えてあげる」というような高圧的な姿勢はとりたくありません。わたしたち自身に、青年たちからも謙虚に学ぶ姿勢がいります。まさに、「切磋琢磨」。お互いが信頼しあえる関係になれば、すばらしい教育実践が展開されていくのではないでしょうか。

 ともに、明日を夢見ながら進んでいきましょう。