新連載

「一冊の絵本から保育を考えると…」2回シリーズ(1)

一冊の絵本から保育を考えると…

平安女学院大学短期大学部 保育科教授
金子 眞理

 絵本「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」おかざきけんじろう 絵・谷川俊太郎 文クレヨンハウス

 9年前「月刊クーヨン」(2004 年4月号付録クレヨンハウス出版)の付録だったこの絵本と出会った瞬間、今までに味わったことのない感動を覚えました。それからというもの、私は読む機会があればどこででもこの本を読み語り、いつしかこの本が私自身の宝物になったくらいです。

 さて2000 年にブックスタート運動が始まりあかちゃんに絵本をプレゼントする市町村が増えてきました。私自身もブックスタート関連事業でこの5年間、0ヶ月から6ヶ月のあかちゃんのグループそして7 ヶ月から12 ヶ月のあかちゃんのグループにわけて図書館でのおはなし会をもっています。そこで最初に語る絵本が「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」です。前期のグループでは平均おおむね4ヶ月のあかちゃんが母親とやってきます。
絵本をひらいて「ぽぱーぺぽぴぱっぷ ぱぱぺ ぱぷぽぴ・・・」と語っていくと、あかちゃんは手と足を緊張させたり呼吸を絵本のリズムに合わせたりします。そこで親はあかちゃんが全身で絵本のリズムを感じる瞬間に出会い、そして感動するのです。後期のグループはおおむね7ヶ月のあかちゃんがやってきます。こんどはおすわりができ、はいはいができるあかちゃんです。
「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ ぱぱぺ ぱぷぽぴ・・・」と語っていくと、はいはいしているあかちゃんの動きがとまり笑顔に、またおすわりして手と足をばたばたしているあかちゃんの動きがとまりいっしょうけんめいに絵本のことばのリズムを感じそして笑顔になる瞬間に出会います。親たちはその瞬間、瞬間の姿に感動し絵本の持つ力に圧倒され笑顔で図書館をあとにされます。幼稚園に通っているこどもは「英語や!」とさけんだりもします。この絵本の力はいったいどこからくるのか今も不思議でなりません。

 絵本の作者である谷川俊太郎さんと出会う機会があったとき、大きなヒントをいただきました。それは、「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽのひみつ」だと。確かにぱ行(オノマトペ)の音はマザリーズのように抑揚のある音、またぱ行を発すると表情筋も豊かになるなど、ぱ行のひみつに気付かされました。さらに、ぱ行を声にだしてみました。するとその声は額に響くのです。それはまさしく頭声発声と言われているものであることに気がつきました。頭声発声でことばを発するとそのことばが豊かに、そして心地よく広がっていきます。さらに「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ…」を声にだして読んでみると、マザリーズと頭声発声の関係が良く理解できてきたのです。

 さて、そのひみつから保育を省みると、保育者の発することばかけの声はどのような声になっているでしょうか。心地の悪い胸声発声になっていませんか。それとも心地の良い広がりのある頭声発声になっていますか。今一度、保育環境の振り返りをしてみてください。保育者は、こどもが遊びたくなるような、歌いたくなるような、楽しくなるような心地の良いことばを、そして何よりもこどもの笑顔がみられるよう願いと祈りをこめたことばかけの環境を構成していかなければなりません。

 さあ大きな声で「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」の絵本を語ってみませんか。

  

「とんでもない間違い」3 回シリーズ(3)

とんでもない間違い

佛教大学 教育学部

 近年は殊のほか雨も雪も限度を超えよく降ります。全国各地でたくさん被害も出ています。

 そんな雪も適度な量なら園の子どもたちにとっては最高のプレゼントになります。

 園に到着するや否や、早速園庭に出て雪遊びを始め『雪』を歌っています。その時です。
♪ゆきやこんこん あられやこんこん♪
と歌っていることがよくあります。
 ♪ゆきやこんこ あられやこんこ♪
が正しく、これは本来「雪よもっと降れ、あられよもっと降れ」という表現で、♪ゆきやこんこ あられやこんこ♪なのです。
 このような間違いは枚挙に暇がないくらいあります。
 『どんぐりころころ』では、平気で、
 ♪どんぐりころころ どんぐりこ お池にはまってさあたいへん♪
と何の疑問もなく歌っていることがあります。「どんぐりころころ どんぐりこ」では池に落ちることができません。「どんぶりこ」で初めてお池にはまり、さあ大変になるのです。
 五月には、『鯉のぼり』を歌います。
♪屋根より高いこいのぼり 大きなま鯉はお父さん♪
と歌ってしまうことがありますが、原譜では「大きいま鯉は お父さん」で、当然次の「ひ鯉」は「小さいひ鯉」なのです。
 そういえば、『くつがなる』では、
 ♪晴れたお空に くつがなる♪
なのに♪晴れたみ空に くつがなる♪と歌っている人が多いようです。
 『おたまじゃくし』の
 ♪尾がでてきたら 手が取れた♪か、 ♪手が出てきたら 尾が取れた♪
か、時折混乱することがありますが、後者が正解です。
 『汽車ポッポ』は、
 ♪汽車汽車 しゅっぽしゅっぽ♪ ではなく、タイトルの通り軽快に、 ♪汽車汽車 ポッポポッポ♪ なのです。
 また、伝承遊びの『かごめかごめ』は、 ♪籠の中の鳥は いついつでやる♪ ではなく、
 ♪籠の中の鳥は いついつである♪ なのです。
 『とんぼのめがね』の2番は、
 ♪とんぼのめがねは 水色めがね♪ ではなく、 ♪とんぼのめがねは ぴかぴかめがね♪ なのです。
 子どもの歌ばかりでなく、大人が歌う歌にも誤解をして歌っている歌があります。この際挙げてみましょう。
身近なところで、『ふるさと』は、 ×♪うさぎ美味し かの山♪→○♪うさぎ追いし かの山♪
 『赤とんぼ』は、 ×♪追われてみたのは いつの日か♪→○♪負われてみたのは いつの日か♪
なのです。

 私たちは曲が楽譜と違っているとすぐに間違いを指摘しますが、歌詞が聞達っていても平気で歌ってしまっているのは
どうしたことでしょうか。

 言葉の持っている意味をもっと大事にすることが大切で、大きな役割を持っていることに気付きましょう。

 子どもの耳に入れることば、特に歌の言葉は正しく耳に入れておきましょう。リズムを通して入る言葉の意味にもっと
心を配りたいものです。

 先生の口から通して子どもの耳に入る言葉は、非常に価値があります。

 美しい日本語を子どもたちに与えるとそれが根底になり子どもの言葉は豊かになります。

そのことを「耳習い」といって大切にしたいものです。言葉から情操を豊かにする心を育てて行くのです。

 私たちはいつも正しく美しく、そして意味のある日本語を子どもに伝えているでしょうか

  

「歌やおはなしによる新鮮な喜び」3 回シリーズ(2)

歌やおはなしによる新鮮な喜び

佛教大学 教育学部

 秋になると幼稚園ではこんな歌を歌います。

 ♪コスモスの 花が
 こんなに散りました
 模様のようね お母さん
 おくつで踏むのは かわいそう
 あちらの道から 回りましょう♪<br /
         (「コスモス」葛葉国子・詩、大中寅ニ・曲)

 幼児の感性で捉えたなんと素晴らしい新鮮な感動をもった歌でしょうか。

 秋の自然を歌った歌ですが、これはコスモスが咲いているのを知らせる歌でしょうか?

 コスモスの美しい色合いを気付かせる歌なのでしょうか?

 否、何より素晴らしいのは、散ってしまったコスモスの花にも命を見出し、おくつで踏むのは可哀そうと幼児の尊い心情を歌っているところで、ここを味わって欲しいのです。

 このコスモスの花の歌を歌って郊外に出かけたとしましょう。
 そんなとき、
 「咲いているコスモスは美しいけど、散ってしまうと汚いね。」
と、大人は平気で靴で踏んで行くのでしょうか?

 もしそのようなことならば、幼児の心の感動は育てられません。

 歌に寄せた感動が大切なのです。もし先生と一緒なら、
 「いい歌ね。先生にも教えて。」
と、幼児の口から出る歌を何回か口ずさんで、一緒に歌ってみることです。リズムがわからなくても、言葉を口ずさむだけで、幼児に感動は与えられます。

 幼児の心と身体を育むためには、この感動が大切なのです。

 感動するということは、あらゆる心や行動の源になっていることに気付いてください。

 幼児の感動を受け止め、更にそれを大きくして幼児に返す心配りが大切なのです。

 「いい歌ね。先生も大好きになってきたわ。」

「散っていったお花、かわいそうね。だから踏まないであっちの方から回って行きましょう。」と、二倍にも三倍にも返してあげてください。

 絵本や童話も同様です。

『うさぎのモコ』(神沢利子・著、渡辺洋ニ・画)というおはなしがあります。
“五月の空は まるできれいな青石をみがいたように つるつるしています。
野原にはみじかい草がはえ ところどころに 金色のたんぽぽが きらきらひかつています。
モコは ほどいてしまった毛糸のずぼんのかわりに きょうは 青いデニムのずぼんです。
風が モロの耳をふき まあるいしっぽをなでています。”

 美しい言葉と感動が溢れています。

 もし幼児が読んでいたら、「とてもきれいね。もう一度読んで聞かせて。」と、言って読んでいくうちに、幼児は言葉を再び耳に入れて、次の感動を心につくっていくのです。

 「まあ、きれいね。たんぽぽが光っているのね。」
と、その感動を広げていってください。

 自分の身の回りで感じ取っていく世界を先生が気にとめなかったら、幼児もすぐに忘れてしまいますが、こうして歌や絵本や童話などで作品化されますと、幼児に強い印象を残していきます。

 作者の気持ちに浸り、思いに寄り添いながら、新鮮な喜びをあたえるようにしたいものです

  

「花が咲く朝顔と咲かない朝顔」3 回シリーズ(1)

花が咲く朝顔と咲かない朝顔

佛教大学 教育学部

 自然は、幼児の心を育むのにいろいろな経験を与えてくれます。
幼児にとっては具体的な体験を通して自分自身の目でつかみ取ることが大切です。
初夏の頃蒔いた朝顔が、夏休みになる前からつるがのびてきました。
苗床に蒔いた種からかわいい双葉が生えてきました。毎日水をやり、肥料をやっているうちに大きくなったのです。
そして、終業式にその朝顔を家に持って帰りました。
「きっと大きな花が咲きますよ。毎日忘れずに水をあげて下さいね」。
先生のことばをまもって一生懸命に世話をしました。
朝顔のつるや葉はぐんぐんのびて大きくなりました。夏休みに入ると大きな花を毎日一輪ずつ咲かせました。
幼児の生活に何とも言えない豊かな心を与えてくれます。
「一生懸命お世話したからよ。良かったね」。
お母さんに褒められた幼児はどんなに嬉しかったことでしょう。
朝顔の成長を眺めることは、一朝一夕ではできません。
土の中に埋めた種が芽を出してのびる、そして、花を咲かせる。それがまた萎れる。このようなことは文字や絵で説明しても理解できないものなのです。
土の中から種が芽を出してきて、双葉となる道程などはとても不思議なことです。
「どうして種から芽が出るの?」「どうして茎に蕾がつくの?」「どうして花になるの?」
花にいろいろな色がつくのはとても珍しいことでありますが、幼児が目でみて、肌で感じることができるのです。それをこの夏の間に知ることができたのです。
9月になった時のことです。
あるお母さんから、
「せっかく持って帰ってきた朝顔に一つも花が咲かなかったのです。もっと良い種を植えて花が咲くようにしてください」。
ということばを聞きました。
種を植えると必ず花が咲くというものではありません。花の咲かない朝顔もあるのです。それを知ることも大きな収穫になるのです。
花が咲くことは良いことですが、花の咲かない朝顔には、どのようなことでそうなったのか、水が足りない? 逆に雨が多すぎて根が腐った? 肥料が足りない? その原因を調べる方向付けを幼児に知らしめることだってできるのです。
やがて芋掘りも経験します。土を掘った時に、芋がつるに一つもついていないのに腹を立て、「一つも芋がついていないなんて、つまらないわ。もっといい畑にすればいいのに」と、幼児を前にしてこのことばは禁物です。
土の中に必ず芋が二つずつ出来ているのなら、どこかのスーパーで購入し、畑に並べておけばいいのです。
土を掘ってみて、土の中から出てくる芋が大きかったり、小さかったり、全くできていないところもあるのです。それがわからないところに芋掘りの楽しさがあり、科学の芽生える余地があるのです。
自分の目で、手で知ることができること、時間をかけなければ知ることができない経験を与えることができるのです。
失敗から学べるもの、それも経験から学べるものは幼児にとっていかに得難いものかを知っておくと、その時の幼児へのことばは変わってくるはずです。

  

「本物に触れて…自然活動の大切さ」2回シリーズ(2)

本物に触れて…自然活動の大切さ

公益財団法人 京都YMCA
事業部 青少年育成部門
部長 久保田 展史

 キャンプのお話をいたします。自然の中での自然の大きさに触れ、仲間同士と指導者のもと共同生活をするキャンプのスタイルは、子どもたちに自立や自信、新しい興味を見つける機会が与えられ、新しい友人ができるなど大きな喜びを体験させます。そのことは子どもたちの生涯にわたって大きな影響を与える、「生きる喜び」を知ることのできるチャンスであろうと私たちは考えています。

 YMCAのボランティアリーダーの大先輩に弘田さんという方がおられました。K医大の脳外科のドクターでしたが、残念ながら脳出血で10年前にお亡くなりになりました。生前に先生はよく話してくださいました。中学校の時にYMCAのキャンプに参加して、夜のキャンプファイアーの時の指導者のお話を聞いて医者になろうと決意したという話です。その時の指導者のお話はあらかたこの様な内容だったそうです「この火はいくつもの薪が重なって燃えている。1本の薪ではこんなに大きな火にはならない。いくつもの薪が重なってこんなに大きな火になって、明るく温かく周りを照らしてくれる。そしてこの薪のすごいところは自分たち自身を灰にしてこのことを成し遂げているのだ。自分も自らをささげて多くの人々に明るさを与えるような生き方がしたい。」というお話であったそうです。このお話を聞いて弘田少年は人の役に立てる職業は何であろうと考え、医者になろうと決意してその道を歩みはじめたのだそうです。

 わたしたちは「キャンプは子ども達の生き方に大きな影響を与える」と考えています。

 毎年1週間の日程のサバイバルキャンプに参加してくれていた男の子、あるとき「リーダー!僕、来年はもっとすごいことがやりたいなあ」と自ら挑戦を申し出てきました。『じゃあ、いつも浜に出て1泊するサバイバル(毎回最小限の持ち物と食糧、テント代わりのビニールシートを持って一人で1泊して帰ってくるサバイバルプログラム)で、ビニールシートを持たずに出かけてみようか』「えっ!雨が降ったりしたらどうするの?」『テントの代わりになることを考えたら?たとえばかやぶき屋根の小屋を建てるとか・・。』「うん考えてみる…。」この子は1年かけて考えてきて、翌年に「お願いだから草刈り鎌だけ追加して貸して!」とそのほかの道具と一緒に草刈り鎌を持って浜に出かけ、流木で柱を建て、草を刈ってその上に敷き詰めて、小さな小さな小屋を作りました。(最初は大きなものを作っていましたが、何度もやり直して小さなサイズにしたのです)それはほかの子ども達にとっては驚くべき存在で、工夫することの素晴らしさを知らしめました。もちろん本人は得意満面です。翌年はより工夫を凝らした小屋を作りましたし、その次の年には水を持たず井戸を掘って水を得て浄化することに挑戦、一人で3メートルの穴を掘りました。(これは衛生面で最後まで達成できませんでした)彼はその後も指導者と相談しながら課題を作っては挑戦してゆきました。高校3年生を終えた彼は私のところに来て「僕は府立大学の森林科学科に行くわ!自然のことをこれからもやっていきたいねん。そう期待してたやろ!」とにやりと笑って帰っていきました。今は林業にかかわる仕事についています。

 成長期の多感な時に自然の中の生活や、ある意味不自由な生活の中で真剣に生活する体験をすると、あらゆる感性が研ぎ澄まされると考えられます。そしてそこで見聞きしたことや体験は必ずや忘れられないもの、あるいはその子の将来にわたる重要な価値観になることでしょう。

 ぜひ子ども達に自然の中での体験や共同生活体験の機会をたくさん持たせてあげたいですね。

  

「本物に触れて…自然活動の大切さ」2回シリーズ(1)

本物に触れて…自然活動の大切さ

公益財団法人 京都YMCA
事業部 青少年育成部門
部長 久保田 展史

 今回チャンスをいただいて、2回の連載でキャンプや自然活動が子ども達の成長にどうかかわるかをお話ししてゆきたいと思います。

 近頃の子ども達はたくさんのことを知っています。動物のこともよく知っています「だって『S動物園』っていう番組でやっていたもん!」と教えてくれます。海の動物のお話もよく知っています。「この前テレビでやっていたもの!」テレビやパソコンからはいろいろな情報があふれていて、高画質の臨場感のある放送は家にいながらにしていろいろなことを知ることができます。でも本物の体験ではありません。

 昨年の夏、琵琶湖畔にあるキャンプ場でのキャンプの時です。琵琶湖の波打ち際を歩いていると、私の足にチクッとしがみつくものが、よく見るとトンボのヤゴでした。キャンプ場にみんなで連れて帰って柱に止まらせて羽化の観察です。2時間じっと見ていると、背中からせり出すように肩と背中が出てきたかと思うと、尻尾を抜こうと背を丸めます。体が出てから羽が伸び、飛び立つまでの観察は感動する時間でした。黄色い体でしたのでシオカラトンボのメスでしょうか。「がんばれーがんばれー」と子ども達の歓声が飛びます。子ども達は時に優しくなでたり、羽が乾くようにふうふう息を吹いたりします。そして羽が乾いたなと思った瞬間、あっという間にトンボは飛び立っていなくなってしまいました。でも翌日私達の周りを飛ぶ黄色いトンボが…。『そうか動物は最初に触ったものを母親と思うらしいから、昨日のトンボも私達を母親と思っているに違いないぞ』 などと(昆虫は親が育てないからありえないですが)言いながらみなでトンボに「おはよう!」と声をかけます。

 ここ10年、私は自分の周りの生き物に声をかけるようになりました。これは新潟の動物博士、野柴木洋先生の影響です。カラスがなくと「よう!おはよう!どうしたの?」と言葉をかけてあげます。彼らには絶対に聞こえていると思うのです。そんな私を子ども達は時に不思議そうに見ています。自分の周りをとぶアカタテハにも、早朝に木のてっぺんでなわばりを叫ぶアオジにも声をかけます。そうすると、心が彼らに近づいたように思えるのです。そんな体験を子ども達にもしてもらいたいのです。

 夏の終わり、キャンプ場の広場にたくさんのトンボが飛んでいました。子ども達は人差し指を天に突き出したり、帽子でトンボを追ったりしますがなかなかつかまりません。最後には「この野郎!」などと暴力的な声を出しながらトンボに向かって帽子を振り回す子もいました。「そんなことしてトンボに当たったらかわいそう」指導者たちは止めようとしますが、私は「いいよ、いいよ」と言ってあげます。時には帽子が当たってトンボが真二つにちぎれることもあるでしょう。そうすることはあまりよくないことですが、命に触れることは大事なことです。死んで初めて命がささやかであるかということがわかります。

 頭ごなしに「かわいそうでしょう」「命ですよ!大切にしなさい!」と教えても、それは子ども達の心から独自にわいてくる『愛情・愛着のゆえ』ではありません。
私は教育の中で指導者が感情の結果を教え込んではいけないと思うのです。「かわいそう」という気持ちを起こさせることは必要ですが、「かわいそう」と思いなさいという刷り込みは教育ではないと思うのです。自然活動では是非、命というものにじっくりと触れてもらいたいものです。それが命を大事にする心のもととなり、愛着のゆえに「大事にしたい」という感情が必ずや生まれてくると思うからです。そしてこの感情が生まれるプロセスは本物であり実体験である必要があります。

 私どもで行っている森の動物たちを観察するキャンプでは、お母さん狸が小さな子どもを連れて現れました。「かわいい!」と息をひそめながら子ども達は叫びます。この子ども達にはぜひ、また森へ行ったときにあの動物の親子の姿を想像してにこりと心の中で笑顔になってしまう、そんな心が育ってほしいと思うのです。ですからできるだけ、本物の命や自然に触れる機会を作ってあげたいですね。

「公益社団法人への移行にあたって」 2回シリーズ(2)

公益社団法人への移行にあたって

公認会計士・税理士 木田 稔
(監査法人グラヴィタス代表社員)

 今春の貴協会の公益社団法人への移行にあたり、二回にわたり原稿を寄稿させていただく機会を頂戴しております。前回は、貴協会の公益目的事業である幼児教育等の調査・研究事業、助成事業、教育研修事業の実施上の留意点についてご説明させていただきました。公益法人は一般法人と比較して社会的評価がより高く、また税制上の優遇を受けることとなります。その一方、公益認定基準を永続的に満たすことが求められます。今回は、公益法人の業務運営のうち「財務状況に関する事項」と「法人の機関運営」についての留意点をご説明いたします。

 財務状況に関する事項
 経理的基礎の確保について

 公益法人は、移行後も継続的に公益事業を行うための財政基盤に問題がないようにする必要があります。貴協会におかれましても会費収入等や受取補助金の今後の見通しについて予算等で把握し、これに基づく支出の管理をおこなう必要があるかと存じます。また、会計処理や財産管理、計算書類等の作成について適正に行う必要があります。これらを公益法人認定基準では「経理的基礎」と呼んでいます。

 財務3要件について

また、少し専門的にはなりますが、公益法人移行後は原則として毎年の決算において、以下の財務3要件への適合が求められます。

  1. 収支相償
     公益目的事業に係る収入がその実施に要する費用を超えない
  2. 公益目的事業比率
     公益目的事業の実施費用が法人全体費用の50/100以上となるように事業を行う
  3. 遊休財産額の保有制限
     公益目的事業のために使用されていない財産(遊休財産)が公益目的事業費相当額(1年分)を超過することができない

 事業計画を立案・実行するにあたっては、これらの財務3要件を充足することについても配慮する必要があります。

法人の機関運営に関する事項

 貴協会の運営(ガバナンス)について適切に指揮されることが必要となります。特に、重要な意思決定事項について、適切な手続きを経て行われることが求められ、少なくとも、社員総会、理事会といった法令・定款で定められた機関を適切に招集・開催し、議案が審議されることになります。同様に貴法人が法人内部に設置する各種委員会等の機関組織についても、適切に開催・運営される必要があります。

 ご説明いたしました公益目的事業、ならびに財務および機関運営に関する事項は、貴協会が社会から要請されている公益事業を効率的、効果的、経済的、かつ、継続的に実施することを担保する事項とされ、また同時に、経営の透明性の確保することにより、社会全体の公益が増進することを期待するものであります。

 各幼稚園の理事長、園長をはじめとする教職員の先生方は、子どもたちに対して日々真摯に向き合い、愛情を注ぎ、幼児教育の発展に貢献されてこられたことと存じます。貴協会におかれましても、開かれた経営のもと、その愛情や情熱を基礎として今後の支援活動や情報発信を行い、幼児教育を通じた社会一般の公益に寄与することが求められているのではないでしょうか。

 末筆となりましたが、今後の貴協会ならびに皆様の幼稚園のますますのご清栄を祈念いたしております。

「公益社団法人への移行にあたって」 2回シリーズ(1)

公益社団法人への移行にあたって

公認会計士・税理士 木田 稔
(監査法人グラヴィタス代表社員)

 平成25年4月1日をもって、貴協会におかれましては、公益社団法人京都市私立幼稚園協会に移行されました。ここに謹んでお慶び申し上げます。

 すでにご高承のとおり、公益法人改革のもと、全国で約24,000の社団財団は、公益社団財団法人あるいは、一般社団財団法人への移行を求められております。貴協会におかれましては、教職員の資質の向上と幼児教育の充実を図り幼児教育の振興に寄与することを目的に、公益性がより強く求められる「公益社団」への移行申請を決定し、その事業等が新制度における公益法人とすることがふさわしいと京都府公益認定等審議会に認められました。これは、歴代の役員の先生方はもちろんのこと、協会を構成する私立幼稚園の園長・設置者、教員の先生方の教育や協会活動への熱心な取組みがあったからこそと尊敬しております。

 今般、会報記事を2回にわたり寄稿させていただく機会を頂戴いたしました。今回は、今後、貴協会が公益社団として事業を運営されるうえで特にご留意いただくべき事項についてご説明させていただきます。

 貴協会が行う公益目的事業が公益認定基準に適合することが求められます。ここで、「公益目的事業」とは公益法人認定法では「学術、技芸、慈善その他の公益に関する別表各号に掲げる種類の事業であって、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するもの」としています。 

貴協会の公益目的事業を、

  1. 今日的・未来的な課題と展望を踏まえた「特色ある幼児教育」に関する推進事業
  2. 特別支援教育に関する推進事業

 と大きく分類し、幼児教育等の調査・研究事業、助成事業、教育研修事業を行うことになります。

 これらの事業については、公益社団法人に移行前から行われているものですが、今後は、より一層「不特定多数」、つまり社会全体の利益を増進することに寄与しているかという観点から事業を行うことが求められています。具体的には以下の事項に留意することが必要です。

  • 調査研究事業については、テーマの選考にあたり、大学・研究機関の教育・研究者等の有識者が関与し、調査の内容や結果に関して、報告書、ホームページ、研修大会等で不特定多数の者がその内容を閲覧できるようにします。
  • 助成事業については、応募の機会が一般に開かれており、また選考にあたっては有識者からなる選考委員会で決定され、その結果についてホームページ等で公表され、また、助成対象者からの報告をうけるようにします。
  • 教育研修事業については、研修参加の機会を開くため、ホームページ等で内容を掲載し参加者を募集することとなります。

 今後は、上記の事項をふまえ、事業の内容と実施方法、成果の公表方法を継続的に検討し、幼児教育の諸課題に取組むための事業を実施することとなります。研修活動や支援活動を行い、情報発信をしていくことで、教育環境、ひいては社会の在り方もより良い方向へ変わっていくことでしょう。その結果、社会一般の公益に寄与することが期待されています。

「乳幼児のこころと発達 その3 ~心理療法について~」 3回シリーズ(3)

乳幼児のこころと発達 その3 ~心理療法について~

花園大学児童福祉学科 講師 藤森旭人

 今回はこれまでの「内的対象」と「こころの抱っこ」を踏まえて、心理療法について書いてみたいと思います。現在、スクールカウンセラーやキンダーカウンセラーが比較的身近な存在になり、心理療法やカウンセリングという言葉も耳にするようになられているのではないでしょうか。しかし、その具体的な方法、中身についてはあまり知られていないかもしれません。相談者の話に耳を傾けて「傾聴」したり、子どもと楽しく遊んで気持ちを発散したりすることで、問題が解消するといったイメージを持たれている先生もいらっしゃるかもしれません。

 私は精神分析と呼ばれる、こころの奥にあるであろう「無意識」を理解するという立場をとっています。来談者がこころの中に抱いている「内的対象」を捉えながら、彼らが抱いている気持ちを一緒に考えていきます。「今、ここで」起こっている私と来談者との関係は、「内的対象」が反映されたものだとして見ていくわけです。子どもの場合は遊びを通じて考えていくことになります。例えば幼稚園でも、タロウ君には「やさしい先生」として関わってこられ、タクヤ君には「鬼のように恐い先生」として関わってこられて、もしかしたら先生方も「私はそんなにやさしくも、怖くもないんやけどなあ」と違和感を持たれたことがあるかもしれません。これは、まさにその子の「内的対象」を通じて、先生を見ているからなのです。一般的に心理療法に連れてこられる子は、生活の中で何らかの問題がみられたり、不適応を起こしたりしていることが多く、周囲も対応に追われていることが多いのではないでしょうか。そして、あまり良好な「内的対象」がこころの中に存在しないことが多いのです。

 具体的に見てみましょう。幼稚園年中のタクヤ君は、友達にすぐに手を出してケガをさせたり、幼稚園の花子先生のお話も落ち着いて聞くことができません。注意をしても「うるさい、ババア」と、悪態をつくばかりです。でも、ひらがなが書けたり、計算もできるなど、学習の能力はあるようでした。ご両親に園での様子を報告しても、事態は一向に変わりません。困り果てた花子先生は一度心理療法を受けてみてはどうかとご両親に提案されました。そして、お母さんと2人で心理療法を行っているフジモリ先生のところへやってきました。フジモリ先生と2人になり、始めに「ここで、一緒にタクヤ君の思ってることを考えようと思うよ」と伝えると、「フジモリ?ふん、チャライねん」と言い、一人、人形で遊び始めました。フジモリ先生はおいてけぼりにされた感覚を抱き、とても寂しくなりました。どうやらタクヤ君のこころの中には自分の気持ちなんか聞いてくれない大人(内的対象)が存在していそうでした。そして相手にされずとても寂しい思いを抱いてきたのではないだろうかと想像しました。この気持ちを大人に理解してもらう(抱っこしてもらう)ことが必要だと想い、心理療法を続けていくことにしました。お母さん面接も並行して行われました。そこでは担当のサトウ先生に「私たちは忙しくて、全然タクヤの相手をしてあげられなかった。タクヤがいうことを聞かず、怒ってばかりきたんです」といったことが語られました。その後も、タクヤ君はフジモリ先生に悪態をつき続け、気持ちの交流を閉ざそうとする時間が続きました。それはまるでこころに鎧をまとって、小さく傷ついた子どものタクヤ君を守っているかのようでした。それでも関心を持って、タクヤ君の表現していることを見続け、タクヤ君が思っていそうな言葉をかけ続けます。すると、1年ぐらい経ってから人形遊びの中で、フジモリ先生と仲良く遊園地に遊びに行くタクヤ君を表現し始めました。また、寂しい子どもがお父さんと休みの日にキャッチボールをするという人形での表現も始めました。次第にタクヤ君はこころの中に「自分のことを考えてくれる大人」という存在を見つけました。こうして、タクヤ君の問題児の部分は抱えられて、幼稚園でも落ち着きがみられるようになりました。またお母さんも仕事を何とか減らし、タクヤ君に関わる時間を増やそうと努力するようになりました。

 このように、数年単位での長い取り組みが実を結ぶことも心理療法の特徴です。そして、心理療法は魔法のようなものではなく、じっくりと気持ちを考えるという作業であるため、子どもをとりまく大人との連携が不可欠であり、むしろ養育者や保育者との協働関係の中で子どものこころは発達していくものだと私は考えています。

 最後に、私が専門会員として所属しています「NPO法人子どもの心理療法支援会」(平井正三理事長)を紹介させていただきます。本NPOは、2005年に児童養護施設や社会福祉領域の子どもに対する心理療法的支援を目的として設立し、その中の事業の一環として「キンダーカウンセラー派遣事業」の支援を行っています。月に1回~3回の頻度で、京都市内の私立幼稚園にキンダーカウンセラーが派遣され、主に教諭への相談・助言や、保護者への相談・助言、保護者への面接・講習会などの活動が行われています。費用の半額を幼稚園が負担し、残りの半分を当NPOが支援しています。何か子どものことでご相談がありましたら、是非ともご活用いただけたらと思います。以下にホームページとメールアドレスを載せておきますので、何かありましたらご連絡いただければと思います。

「NPO法人子どもの心理療法支援会」ホームページ:http://sacp.jp

「NPO法人子どもの心理療法支援会」メールアドレス:info@sacp.jp

 これで「乳幼児のこころと発達」についての連載を終わらせていただきます。ありがとうございました。

「乳幼児のこころと発達 その2 ~『こころの抱っこ』の重要性~」3回シリーズ(2)

「乳幼児のこころと発達 その2 ~『こころの抱っこ』の重要性~」

花園大学児童福祉学科 講師 藤森旭人

  

 前回は「内的対象」という考え方についてのお話でした。今回はその続きで、気持ちに焦点を当てることの重要性について述べてみたいと思います。

 先生方は、子どもに「イタイのイタイの飛んでけー」と、されたことはおありでしょうか。実はこれが非常に大事な対応なのです。少し、そのような場面を詳しく描写しながら、何が起こっているのか考えてみましょう。

 幼稚園児のタロウ君は園庭で友達と楽しくサッカーをして、ボールを追いかけていました。すごい勢いで走っていた時につまずき転んで擦りむき、血が出てきました。かなりの痛さと血がどんどん流れ出ることに驚いたタロウ君は、「わー!!」と泣き出してしまいました。そこに担任の花子先生が、絆創膏を持って来てくれて、抱っこしてそれを貼りながら「ビックリしたなあ。痛いなあ。イタイのイタイの飛んでけー」と言ってくれるわけです。すると、徐々にタロウ君は泣きやみ、痛みも徐々に和らいで落ち着きを取り戻しました。めでたしめでたし。

 さて、すでにお分かりかと思いますが、もちろん物理的にその擦りむいた傷口が飛んでいくわけではありませんし、急に痛みがなくなるわけでもありませんよね。では、ここで何が起きているのでしょうか。こころの視点から見てみたいと思います。まず、タロウ君は、自分の中で抱えられない、擦りむいた痛さ・驚きを「泣く」という形で「排出」します。そこにやってきた花子先生が、その痛み・驚きを感じ取り「イタイのイタイの飛んでけー」という、タロウ君が受け止められる言葉にして返してあげています。すると、それまで抱えられなかった痛みを何とか抱えられるようになって、タロウ君は落ち着くわけです。大人の皮膚の中に抱えられる身体的な「抱っこ」と共に、花子先生は「こころの抱っこ」をしてあげているのです。この「こころの抱っこ」によって、乳幼児のこころは発達・成長していくと言われています。ポイントは身体的な「抱っこ」をしていてもその子に関心を持っていない状態での「抱っこ」では、子どもからすると抱えられているようには思えないということです(例えばケータイを使いながらの抱っこなど)。「こころの抱っこ」とその後学習する知識によって(この例では、血が出ても血小板の働きによって傷口は回復するから大丈夫など)、子どもは安心感を獲得していくのです。しかし同じような状況で、タクヤ君は「もう、うるさい。泣くんじゃない。それぐらいで」と言われていたらどうでしょうか。このつらい気持ちをどうにかしてもらいたいのに、こころの中でずっと残ったままになってしまいそうですよね。この気持ちを何とか「排出」しようとして、それが問題行動になってしまうことがあります。ジッと教室に居られないことや、おもらしなどがその例かもしれません。日々気づかないうちにしている「こころの抱っこ」について、改めて考えてみるのも、子どもたちとの関わりを振り返る手助けになるかもしれませんね。