
「わらって おはよう」
京都聖母女学院短期大学 児童教育学科
教授 河嶋 喜矩子
私が大切にしている心・言葉は、『わらって おはよう』です。この言葉は亡くなった母の口癖の言葉でした。京都うまれの、京都そだちの母は、私に小さい頃からよくこんな風に言っていました。「朝ニコニコ顔で出逢ったお人さんに おはようさんって言うとおみ。その日ええことあるえ」と。
京都では、言葉のはじめに よく「お」と「さん」をつけます。豆腐のことを「おとふさん」、油揚げのことを「おあげさん」という風に。母の言う「おはようさん」の言葉は、幼い私にとって、とてもやさしい響きがあり、特別な言葉として心の奥に残り続けました。
しかし、ニコニコ顔で、おはようさんと言うと どんなええことがあるのか、その意味はわかりませんでした。
私は「ええことって 何やろ」と長い間 思い続けていました。そして、ある日、母の言うように、ニコニコ顔で「おはようございます(おはようさん)」と言ってみてはじめてその意味がわかりました。言った私がとてもいい気分になったのです。そして言われた相手の方、どなたも笑顔になられました。お互いにいい気分になれる、相手と心がつながるこんなええことはありません。その日、特別に何かあったわけでなくても、とても爽やかな気分で、人との出逢いの楽しさを感じるひとときを過ごせます。きっと、母が私に伝えたかった「ええこと」の意味は、このことだったのではないでしょうか。
そして、私は幼稚園につとめました。毎朝150人の子どもたちと出逢います。ニコッと笑って私の前を走り抜けていくけんちゃんには、「けんちゃん おはよう」と『わらって おはよう』の心を込めて 言葉をかけました。丁寧におじぎをしながら、「おはようございます」と言うじゅんこちゃんには、「じゅんこちゃん おはよう。きょうもげんきにあそぼうね」と『わらって おはよう』の心を込めて 言葉をかけました。一人ひとりの子どもに母から教わった『わらって おはよう』のこころ・言葉を伝え続けました。
おかげさまで、かわいい子どもたち、お母さん(保護者)方、そして仲間の先生方という「人という宝物」に出逢うことができました。本当に「ええこと」がたくさんありました。
現在、私は 大学で 幼稚園の先生や、保育士を目指す学生さん達に、保育の楽しさ、むつかしさ、重要さ、そして 素晴らしさなどを伝える仕事をしています。授業のはじめには必ず『わらって おはよう』のあいさつをかわしあっています。
今も、これからも 『わらって おはよう』のこころ・言葉は 私の生きていく上での大切な指標となり続けることでしょう。

「保育者として大切にしたい〔愛しき情(こころ)〕」
京都聖母女学院短期大学 児童教育学科
教授 河嶋 喜矩子
保育者がかかわるのは乳幼児期の0歳から6歳迄の子ども達です。この乳幼児期とは、どんな時期なのでしょうか。そして、保育者としてどんなことを大切にしなければならないのでしょうか。
乳幼児についての考え方はいろいろありますが、私は愛情の貯金をつくる時期ではないかと考えます。人間は誕生した時は、愛情の貯金はゼロ。心は空っぽの状態です。そして、この愛情の貯金は自分で作り出すことができません。保育者や両親など周りにいる大人達から〔愛しき情〕温かい心・優しい言葉をかけてもらうことで、はじめて心に愛情の貯金ができるのです。しかし、うれしいことに蓄えられた愛情の貯金は、その子どもが出逢う人達に必ず使われていくものなのです。
では具体的にどうしたら愛情の貯金はつくられるのでしょうか?それは私達保育者・大人が一人ひとりの子どもに〔愛しき情〕をかけ、感情の共有体験をすることです。いっしょに遊んだり、いっしょに絵本をみたり、いっしょに食事を味わったりして、<楽しいなぁー楽しいねぇ><おもしろいなぁーおもしろいねぇ><うれしいなぁーうれしいねぇ><おいしいなぁーおいしいねぇ>と子どもと同じ気持ちになるトキを持つことです。この〔愛しき情〕=感情の共有体験を一人ひとりの子どもとたっぷりとかわしあうことで、子どもの心に愛情の貯金ができていくのです。この愛情の貯金は、その子どもの生きる力のタネになるもので、がんばる力やあきらめない心にもなるものでしょう。こう考えると、この〔愛しき情〕こそ、乳幼児期に私達保育者が大切にしなければならない心であると、私は声を大きくして言いたいと思います。学生のAさんが幼稚園の頃のエピソードを話してくれました。「苦手な鉄棒で何回も何回もがんばって、ようやく前まわりができた時、先生がすごく喜んで抱きしめてくれました。そのぬくもりを今でもはっきりと覚えています。とてもうれしかったし、その後の成長への意欲にもなっていました。」Aさんの先生の〔愛しき情〕がAさんの自信力と新たなことへのチャレンジ力を生む心のタネをつくったのではないでしょうか。
また、幼稚園実習を終えた学生のBさんは「絵本のよみきかせをしたら、子ども達が目をキラキラ輝かせて聴いてくれて、とてもうれしかった。」といきいきと語ってくれました。学生のCさんは「子ども達から又きてねと言ってもらった。」と号泣していました。この涙は子ども達へかけた〔愛しき情〕の何倍もの心を子ども達からもらった喜び・うれしさの涙だと思います。「私、絶対保育者になる!」という彼女達の希望のもとになるものではないでしょうか。
是非保育者として、子ども達の生きる力のタネになる愛情の貯金を、ありったけの〔愛しき情(こころ)〕で一人ひと
りの子どもの心に作ってあげてほしいと願っています。

一冊の絵本から保育を考えると…
平安女学院大学短期大学部 保育科教授
金子 眞理
「がたんごとん がたんごとん」安西水丸さく 福音館出版 1987 年
この絵本を読むといつもフレーベルの思想が思い出されるのです。
フレーベルは、「一般に人間は、それぞれの発達段階において、全くその段階が要求するものに向かって努力する以外の努力をすべきではない。そうすれば各々の段階は次から次へと健全な芽から新しい枝がとびだすように、すくすくと成長していくだろう。そしてこの新しい枝はそれぞれの段階で同じ努力によって、その段階が要求することを完成するであろう。というのは前の段階で十分に発達して始めて次の発達が十分に行われるからである。」と連続発展観で述べています。
さて、絵本「がたんごとん」の扉を開けると、責任感をいっぱい、また力強い顔をした汽車がやってきます。ページをひらけると、哺乳瓶が「のせてくださーい」と待っています。次をひらけると哺乳瓶が貨車の中に安定して、しっかりとのっています。次のページはコップとスプーンが「のせてくださーい」と待っています。そしてコップとスプーンが安定して貨車にのっています。次はりんごとバナナが待っています。そして貨車の中にりんごとバナナが安定してのっています。このように、哺乳瓶にはじまってコップとスプーン、りんごとバナナがそれぞれ貨車に安定してしっかりと乗っています。その場面をみてみると、哺乳瓶は1 歳の時のこと、コップとスプーンは2 歳の時のこと、りんごとバナナは3 歳の時のこと、それぞれ1歳・2歳・3歳の発達段階を表していることがわかりました。
また貨車は親の愛情とみることができ、そこにしっかりと乗ることができる居場所があり、しっかりと愛され守られているという証しになっています。それは愛されて守られて十分に1歳のときを過ごしました、愛されて守られて十分に2歳のときを過ごしました、愛されて守られて十分に3歳のときを過ごしましたということになります。
その次のページをひらくと、ねことねずみが「のせてくださーい」と手をあげています。次は、なんとのるところがないにもかかわらず機関車のうえにねことねずみがのっているではありませんか。機関車のうえというのは安定した居場所はないけれど、前の段階で十分に発達したこどもは自分でのるところを見つけるということ、言い換えれば自分の力で居場所を確保することができるということです。ねことねずみはまた、トラブルをおこす象徴とも言われています。遊びの中で体験するトラブル、つまり思うようにならない体験やぶつかり合いの体験を通して相手の存在を知り、自分の意のままにならないことを知り、必要な我慢をすることも知るのです。そして一緒になった喜びも感じるのです。このような多様なかかわりの体験をしていくという育ちの方向性のことがこの場面から読み取れるのです。最後のページでは食事のところで満足している表現があり、空っぽになった汽車がこどもから離れていくところで終わっています。しかし、そこで終わったのではなく、空っぽの汽車がまた再び私の元にやってきます。「また汽車はいつでもやってきますよ、やり直しができますよ」という安心感をお母さんにあたえているのがわかります。
この絵本から保育者が学ぶことは連続発展観を基に、こどもの生きる力を育てていく大切な場所としての幼稚園、こどもの生きる力を育てていくことができる責任ある保育者としての歩みなど、こどもが育つための保育の方向性が描かれているように思います。
がたんごとん がたんごとん・・・ がたんごとん がたんごとん・・・

一冊の絵本から保育を考えると…
平安女学院大学短期大学部 保育科教授
金子 眞理
絵本「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」おかざきけんじろう 絵・谷川俊太郎 文クレヨンハウス
9年前「月刊クーヨン」(2004 年4月号付録クレヨンハウス出版)の付録だったこの絵本と出会った瞬間、今までに味わったことのない感動を覚えました。それからというもの、私は読む機会があればどこででもこの本を読み語り、いつしかこの本が私自身の宝物になったくらいです。
さて2000 年にブックスタート運動が始まりあかちゃんに絵本をプレゼントする市町村が増えてきました。私自身もブックスタート関連事業でこの5年間、0ヶ月から6ヶ月のあかちゃんのグループそして7 ヶ月から12 ヶ月のあかちゃんのグループにわけて図書館でのおはなし会をもっています。そこで最初に語る絵本が「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」です。前期のグループでは平均おおむね4ヶ月のあかちゃんが母親とやってきます。
絵本をひらいて「ぽぱーぺぽぴぱっぷ ぱぱぺ ぱぷぽぴ・・・」と語っていくと、あかちゃんは手と足を緊張させたり呼吸を絵本のリズムに合わせたりします。そこで親はあかちゃんが全身で絵本のリズムを感じる瞬間に出会い、そして感動するのです。後期のグループはおおむね7ヶ月のあかちゃんがやってきます。こんどはおすわりができ、はいはいができるあかちゃんです。
「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ ぱぱぺ ぱぷぽぴ・・・」と語っていくと、はいはいしているあかちゃんの動きがとまり笑顔に、またおすわりして手と足をばたばたしているあかちゃんの動きがとまりいっしょうけんめいに絵本のことばのリズムを感じそして笑顔になる瞬間に出会います。親たちはその瞬間、瞬間の姿に感動し絵本の持つ力に圧倒され笑顔で図書館をあとにされます。幼稚園に通っているこどもは「英語や!」とさけんだりもします。この絵本の力はいったいどこからくるのか今も不思議でなりません。
絵本の作者である谷川俊太郎さんと出会う機会があったとき、大きなヒントをいただきました。それは、「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽのひみつ」だと。確かにぱ行(オノマトペ)の音はマザリーズのように抑揚のある音、またぱ行を発すると表情筋も豊かになるなど、ぱ行のひみつに気付かされました。さらに、ぱ行を声にだしてみました。するとその声は額に響くのです。それはまさしく頭声発声と言われているものであることに気がつきました。頭声発声でことばを発するとそのことばが豊かに、そして心地よく広がっていきます。さらに「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ…」を声にだして読んでみると、マザリーズと頭声発声の関係が良く理解できてきたのです。
さて、そのひみつから保育を省みると、保育者の発することばかけの声はどのような声になっているでしょうか。心地の悪い胸声発声になっていませんか。それとも心地の良い広がりのある頭声発声になっていますか。今一度、保育環境の振り返りをしてみてください。保育者は、こどもが遊びたくなるような、歌いたくなるような、楽しくなるような心地の良いことばを、そして何よりもこどもの笑顔がみられるよう願いと祈りをこめたことばかけの環境を構成していかなければなりません。
さあ大きな声で「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」の絵本を語ってみませんか。

とんでもない間違い
佛教大学 教育学部
近年は殊のほか雨も雪も限度を超えよく降ります。全国各地でたくさん被害も出ています。
そんな雪も適度な量なら園の子どもたちにとっては最高のプレゼントになります。
園に到着するや否や、早速園庭に出て雪遊びを始め『雪』を歌っています。その時です。
♪ゆきやこんこん あられやこんこん♪
と歌っていることがよくあります。
♪ゆきやこんこ あられやこんこ♪
が正しく、これは本来「雪よもっと降れ、あられよもっと降れ」という表現で、♪ゆきやこんこ あられやこんこ♪なのです。
このような間違いは枚挙に暇がないくらいあります。
『どんぐりころころ』では、平気で、
♪どんぐりころころ どんぐりこ お池にはまってさあたいへん♪
と何の疑問もなく歌っていることがあります。「どんぐりころころ どんぐりこ」では池に落ちることができません。「どんぶりこ」で初めてお池にはまり、さあ大変になるのです。
五月には、『鯉のぼり』を歌います。
♪屋根より高いこいのぼり 大きなま鯉はお父さん♪
と歌ってしまうことがありますが、原譜では「大きいま鯉は お父さん」で、当然次の「ひ鯉」は「小さいひ鯉」なのです。
そういえば、『くつがなる』では、
♪晴れたお空に くつがなる♪
なのに♪晴れたみ空に くつがなる♪と歌っている人が多いようです。
『おたまじゃくし』の
♪尾がでてきたら 手が取れた♪か、 ♪手が出てきたら 尾が取れた♪
か、時折混乱することがありますが、後者が正解です。
『汽車ポッポ』は、
♪汽車汽車 しゅっぽしゅっぽ♪ ではなく、タイトルの通り軽快に、 ♪汽車汽車 ポッポポッポ♪ なのです。
また、伝承遊びの『かごめかごめ』は、 ♪籠の中の鳥は いついつでやる♪ ではなく、
♪籠の中の鳥は いついつである♪ なのです。
『とんぼのめがね』の2番は、
♪とんぼのめがねは 水色めがね♪ ではなく、 ♪とんぼのめがねは ぴかぴかめがね♪ なのです。
子どもの歌ばかりでなく、大人が歌う歌にも誤解をして歌っている歌があります。この際挙げてみましょう。
身近なところで、『ふるさと』は、 ×♪うさぎ美味し かの山♪→○♪うさぎ追いし かの山♪
『赤とんぼ』は、 ×♪追われてみたのは いつの日か♪→○♪負われてみたのは いつの日か♪
なのです。
私たちは曲が楽譜と違っているとすぐに間違いを指摘しますが、歌詞が聞達っていても平気で歌ってしまっているのは
どうしたことでしょうか。
言葉の持っている意味をもっと大事にすることが大切で、大きな役割を持っていることに気付きましょう。
子どもの耳に入れることば、特に歌の言葉は正しく耳に入れておきましょう。リズムを通して入る言葉の意味にもっと
心を配りたいものです。
先生の口から通して子どもの耳に入る言葉は、非常に価値があります。
美しい日本語を子どもたちに与えるとそれが根底になり子どもの言葉は豊かになります。
そのことを「耳習い」といって大切にしたいものです。言葉から情操を豊かにする心を育てて行くのです。
私たちはいつも正しく美しく、そして意味のある日本語を子どもに伝えているでしょうか

歌やおはなしによる新鮮な喜び
佛教大学 教育学部
秋になると幼稚園ではこんな歌を歌います。
♪コスモスの 花が
こんなに散りました
模様のようね お母さん
おくつで踏むのは かわいそう
あちらの道から 回りましょう♪<br /
(「コスモス」葛葉国子・詩、大中寅ニ・曲)
幼児の感性で捉えたなんと素晴らしい新鮮な感動をもった歌でしょうか。
秋の自然を歌った歌ですが、これはコスモスが咲いているのを知らせる歌でしょうか?
コスモスの美しい色合いを気付かせる歌なのでしょうか?
否、何より素晴らしいのは、散ってしまったコスモスの花にも命を見出し、おくつで踏むのは可哀そうと幼児の尊い心情を歌っているところで、ここを味わって欲しいのです。
このコスモスの花の歌を歌って郊外に出かけたとしましょう。
そんなとき、
「咲いているコスモスは美しいけど、散ってしまうと汚いね。」
と、大人は平気で靴で踏んで行くのでしょうか?
もしそのようなことならば、幼児の心の感動は育てられません。
歌に寄せた感動が大切なのです。もし先生と一緒なら、
「いい歌ね。先生にも教えて。」
と、幼児の口から出る歌を何回か口ずさんで、一緒に歌ってみることです。リズムがわからなくても、言葉を口ずさむだけで、幼児に感動は与えられます。
幼児の心と身体を育むためには、この感動が大切なのです。
感動するということは、あらゆる心や行動の源になっていることに気付いてください。
幼児の感動を受け止め、更にそれを大きくして幼児に返す心配りが大切なのです。
「いい歌ね。先生も大好きになってきたわ。」
「散っていったお花、かわいそうね。だから踏まないであっちの方から回って行きましょう。」と、二倍にも三倍にも返してあげてください。
絵本や童話も同様です。
『うさぎのモコ』(神沢利子・著、渡辺洋ニ・画)というおはなしがあります。
“五月の空は まるできれいな青石をみがいたように つるつるしています。
野原にはみじかい草がはえ ところどころに 金色のたんぽぽが きらきらひかつています。
モコは ほどいてしまった毛糸のずぼんのかわりに きょうは 青いデニムのずぼんです。
風が モロの耳をふき まあるいしっぽをなでています。”
美しい言葉と感動が溢れています。
もし幼児が読んでいたら、「とてもきれいね。もう一度読んで聞かせて。」と、言って読んでいくうちに、幼児は言葉を再び耳に入れて、次の感動を心につくっていくのです。
「まあ、きれいね。たんぽぽが光っているのね。」
と、その感動を広げていってください。
自分の身の回りで感じ取っていく世界を先生が気にとめなかったら、幼児もすぐに忘れてしまいますが、こうして歌や絵本や童話などで作品化されますと、幼児に強い印象を残していきます。
作者の気持ちに浸り、思いに寄り添いながら、新鮮な喜びをあたえるようにしたいものです

花が咲く朝顔と咲かない朝顔
佛教大学 教育学部
自然は、幼児の心を育むのにいろいろな経験を与えてくれます。
幼児にとっては具体的な体験を通して自分自身の目でつかみ取ることが大切です。
初夏の頃蒔いた朝顔が、夏休みになる前からつるがのびてきました。
苗床に蒔いた種からかわいい双葉が生えてきました。毎日水をやり、肥料をやっているうちに大きくなったのです。
そして、終業式にその朝顔を家に持って帰りました。
「きっと大きな花が咲きますよ。毎日忘れずに水をあげて下さいね」。
先生のことばをまもって一生懸命に世話をしました。
朝顔のつるや葉はぐんぐんのびて大きくなりました。夏休みに入ると大きな花を毎日一輪ずつ咲かせました。
幼児の生活に何とも言えない豊かな心を与えてくれます。
「一生懸命お世話したからよ。良かったね」。
お母さんに褒められた幼児はどんなに嬉しかったことでしょう。
朝顔の成長を眺めることは、一朝一夕ではできません。
土の中に埋めた種が芽を出してのびる、そして、花を咲かせる。それがまた萎れる。このようなことは文字や絵で説明しても理解できないものなのです。
土の中から種が芽を出してきて、双葉となる道程などはとても不思議なことです。
「どうして種から芽が出るの?」「どうして茎に蕾がつくの?」「どうして花になるの?」
花にいろいろな色がつくのはとても珍しいことでありますが、幼児が目でみて、肌で感じることができるのです。それをこの夏の間に知ることができたのです。
9月になった時のことです。
あるお母さんから、
「せっかく持って帰ってきた朝顔に一つも花が咲かなかったのです。もっと良い種を植えて花が咲くようにしてください」。
ということばを聞きました。
種を植えると必ず花が咲くというものではありません。花の咲かない朝顔もあるのです。それを知ることも大きな収穫になるのです。
花が咲くことは良いことですが、花の咲かない朝顔には、どのようなことでそうなったのか、水が足りない? 逆に雨が多すぎて根が腐った? 肥料が足りない? その原因を調べる方向付けを幼児に知らしめることだってできるのです。
やがて芋掘りも経験します。土を掘った時に、芋がつるに一つもついていないのに腹を立て、「一つも芋がついていないなんて、つまらないわ。もっといい畑にすればいいのに」と、幼児を前にしてこのことばは禁物です。
土の中に必ず芋が二つずつ出来ているのなら、どこかのスーパーで購入し、畑に並べておけばいいのです。
土を掘ってみて、土の中から出てくる芋が大きかったり、小さかったり、全くできていないところもあるのです。それがわからないところに芋掘りの楽しさがあり、科学の芽生える余地があるのです。
自分の目で、手で知ることができること、時間をかけなければ知ることができない経験を与えることができるのです。
失敗から学べるもの、それも経験から学べるものは幼児にとっていかに得難いものかを知っておくと、その時の幼児へのことばは変わってくるはずです。

本物に触れて…自然活動の大切さ
公益財団法人 京都YMCA
事業部 青少年育成部門
部長 久保田 展史
キャンプのお話をいたします。自然の中での自然の大きさに触れ、仲間同士と指導者のもと共同生活をするキャンプのスタイルは、子どもたちに自立や自信、新しい興味を見つける機会が与えられ、新しい友人ができるなど大きな喜びを体験させます。そのことは子どもたちの生涯にわたって大きな影響を与える、「生きる喜び」を知ることのできるチャンスであろうと私たちは考えています。
YMCAのボランティアリーダーの大先輩に弘田さんという方がおられました。K医大の脳外科のドクターでしたが、残念ながら脳出血で10年前にお亡くなりになりました。生前に先生はよく話してくださいました。中学校の時にYMCAのキャンプに参加して、夜のキャンプファイアーの時の指導者のお話を聞いて医者になろうと決意したという話です。その時の指導者のお話はあらかたこの様な内容だったそうです「この火はいくつもの薪が重なって燃えている。1本の薪ではこんなに大きな火にはならない。いくつもの薪が重なってこんなに大きな火になって、明るく温かく周りを照らしてくれる。そしてこの薪のすごいところは自分たち自身を灰にしてこのことを成し遂げているのだ。自分も自らをささげて多くの人々に明るさを与えるような生き方がしたい。」というお話であったそうです。このお話を聞いて弘田少年は人の役に立てる職業は何であろうと考え、医者になろうと決意してその道を歩みはじめたのだそうです。
わたしたちは「キャンプは子ども達の生き方に大きな影響を与える」と考えています。
毎年1週間の日程のサバイバルキャンプに参加してくれていた男の子、あるとき「リーダー!僕、来年はもっとすごいことがやりたいなあ」と自ら挑戦を申し出てきました。『じゃあ、いつも浜に出て1泊するサバイバル(毎回最小限の持ち物と食糧、テント代わりのビニールシートを持って一人で1泊して帰ってくるサバイバルプログラム)で、ビニールシートを持たずに出かけてみようか』「えっ!雨が降ったりしたらどうするの?」『テントの代わりになることを考えたら?たとえばかやぶき屋根の小屋を建てるとか・・。』「うん考えてみる…。」この子は1年かけて考えてきて、翌年に「お願いだから草刈り鎌だけ追加して貸して!」とそのほかの道具と一緒に草刈り鎌を持って浜に出かけ、流木で柱を建て、草を刈ってその上に敷き詰めて、小さな小さな小屋を作りました。(最初は大きなものを作っていましたが、何度もやり直して小さなサイズにしたのです)それはほかの子ども達にとっては驚くべき存在で、工夫することの素晴らしさを知らしめました。もちろん本人は得意満面です。翌年はより工夫を凝らした小屋を作りましたし、その次の年には水を持たず井戸を掘って水を得て浄化することに挑戦、一人で3メートルの穴を掘りました。(これは衛生面で最後まで達成できませんでした)彼はその後も指導者と相談しながら課題を作っては挑戦してゆきました。高校3年生を終えた彼は私のところに来て「僕は府立大学の森林科学科に行くわ!自然のことをこれからもやっていきたいねん。そう期待してたやろ!」とにやりと笑って帰っていきました。今は林業にかかわる仕事についています。
成長期の多感な時に自然の中の生活や、ある意味不自由な生活の中で真剣に生活する体験をすると、あらゆる感性が研ぎ澄まされると考えられます。そしてそこで見聞きしたことや体験は必ずや忘れられないもの、あるいはその子の将来にわたる重要な価値観になることでしょう。
ぜひ子ども達に自然の中での体験や共同生活体験の機会をたくさん持たせてあげたいですね。

本物に触れて…自然活動の大切さ
公益財団法人 京都YMCA
事業部 青少年育成部門
部長 久保田 展史
今回チャンスをいただいて、2回の連載でキャンプや自然活動が子ども達の成長にどうかかわるかをお話ししてゆきたいと思います。
近頃の子ども達はたくさんのことを知っています。動物のこともよく知っています「だって『S動物園』っていう番組でやっていたもん!」と教えてくれます。海の動物のお話もよく知っています。「この前テレビでやっていたもの!」テレビやパソコンからはいろいろな情報があふれていて、高画質の臨場感のある放送は家にいながらにしていろいろなことを知ることができます。でも本物の体験ではありません。
昨年の夏、琵琶湖畔にあるキャンプ場でのキャンプの時です。琵琶湖の波打ち際を歩いていると、私の足にチクッとしがみつくものが、よく見るとトンボのヤゴでした。キャンプ場にみんなで連れて帰って柱に止まらせて羽化の観察です。2時間じっと見ていると、背中からせり出すように肩と背中が出てきたかと思うと、尻尾を抜こうと背を丸めます。体が出てから羽が伸び、飛び立つまでの観察は感動する時間でした。黄色い体でしたのでシオカラトンボのメスでしょうか。「がんばれーがんばれー」と子ども達の歓声が飛びます。子ども達は時に優しくなでたり、羽が乾くようにふうふう息を吹いたりします。そして羽が乾いたなと思った瞬間、あっという間にトンボは飛び立っていなくなってしまいました。でも翌日私達の周りを飛ぶ黄色いトンボが…。『そうか動物は最初に触ったものを母親と思うらしいから、昨日のトンボも私達を母親と思っているに違いないぞ』 などと(昆虫は親が育てないからありえないですが)言いながらみなでトンボに「おはよう!」と声をかけます。
ここ10年、私は自分の周りの生き物に声をかけるようになりました。これは新潟の動物博士、野柴木洋先生の影響です。カラスがなくと「よう!おはよう!どうしたの?」と言葉をかけてあげます。彼らには絶対に聞こえていると思うのです。そんな私を子ども達は時に不思議そうに見ています。自分の周りをとぶアカタテハにも、早朝に木のてっぺんでなわばりを叫ぶアオジにも声をかけます。そうすると、心が彼らに近づいたように思えるのです。そんな体験を子ども達にもしてもらいたいのです。
夏の終わり、キャンプ場の広場にたくさんのトンボが飛んでいました。子ども達は人差し指を天に突き出したり、帽子でトンボを追ったりしますがなかなかつかまりません。最後には「この野郎!」などと暴力的な声を出しながらトンボに向かって帽子を振り回す子もいました。「そんなことしてトンボに当たったらかわいそう」指導者たちは止めようとしますが、私は「いいよ、いいよ」と言ってあげます。時には帽子が当たってトンボが真二つにちぎれることもあるでしょう。そうすることはあまりよくないことですが、命に触れることは大事なことです。死んで初めて命がささやかであるかということがわかります。
頭ごなしに「かわいそうでしょう」「命ですよ!大切にしなさい!」と教えても、それは子ども達の心から独自にわいてくる『愛情・愛着のゆえ』ではありません。
私は教育の中で指導者が感情の結果を教え込んではいけないと思うのです。「かわいそう」という気持ちを起こさせることは必要ですが、「かわいそう」と思いなさいという刷り込みは教育ではないと思うのです。自然活動では是非、命というものにじっくりと触れてもらいたいものです。それが命を大事にする心のもととなり、愛着のゆえに「大事にしたい」という感情が必ずや生まれてくると思うからです。そしてこの感情が生まれるプロセスは本物であり実体験である必要があります。
私どもで行っている森の動物たちを観察するキャンプでは、お母さん狸が小さな子どもを連れて現れました。「かわいい!」と息をひそめながら子ども達は叫びます。この子ども達にはぜひ、また森へ行ったときにあの動物の親子の姿を想像してにこりと心の中で笑顔になってしまう、そんな心が育ってほしいと思うのです。ですからできるだけ、本物の命や自然に触れる機会を作ってあげたいですね。

公益社団法人への移行にあたって
公認会計士・税理士 木田 稔
(監査法人グラヴィタス代表社員)
今春の貴協会の公益社団法人への移行にあたり、二回にわたり原稿を寄稿させていただく機会を頂戴しております。前回は、貴協会の公益目的事業である幼児教育等の調査・研究事業、助成事業、教育研修事業の実施上の留意点についてご説明させていただきました。公益法人は一般法人と比較して社会的評価がより高く、また税制上の優遇を受けることとなります。その一方、公益認定基準を永続的に満たすことが求められます。今回は、公益法人の業務運営のうち「財務状況に関する事項」と「法人の機関運営」についての留意点をご説明いたします。
財務状況に関する事項
経理的基礎の確保について
公益法人は、移行後も継続的に公益事業を行うための財政基盤に問題がないようにする必要があります。貴協会におかれましても会費収入等や受取補助金の今後の見通しについて予算等で把握し、これに基づく支出の管理をおこなう必要があるかと存じます。また、会計処理や財産管理、計算書類等の作成について適正に行う必要があります。これらを公益法人認定基準では「経理的基礎」と呼んでいます。
財務3要件について
また、少し専門的にはなりますが、公益法人移行後は原則として毎年の決算において、以下の財務3要件への適合が求められます。
- 収支相償
公益目的事業に係る収入がその実施に要する費用を超えない
- 公益目的事業比率
公益目的事業の実施費用が法人全体費用の50/100以上となるように事業を行う
- 遊休財産額の保有制限
公益目的事業のために使用されていない財産(遊休財産)が公益目的事業費相当額(1年分)を超過することができない
事業計画を立案・実行するにあたっては、これらの財務3要件を充足することについても配慮する必要があります。
法人の機関運営に関する事項
貴協会の運営(ガバナンス)について適切に指揮されることが必要となります。特に、重要な意思決定事項について、適切な手続きを経て行われることが求められ、少なくとも、社員総会、理事会といった法令・定款で定められた機関を適切に招集・開催し、議案が審議されることになります。同様に貴法人が法人内部に設置する各種委員会等の機関組織についても、適切に開催・運営される必要があります。
ご説明いたしました公益目的事業、ならびに財務および機関運営に関する事項は、貴協会が社会から要請されている公益事業を効率的、効果的、経済的、かつ、継続的に実施することを担保する事項とされ、また同時に、経営の透明性の確保することにより、社会全体の公益が増進することを期待するものであります。
各幼稚園の理事長、園長をはじめとする教職員の先生方は、子どもたちに対して日々真摯に向き合い、愛情を注ぎ、幼児教育の発展に貢献されてこられたことと存じます。貴協会におかれましても、開かれた経営のもと、その愛情や情熱を基礎として今後の支援活動や情報発信を行い、幼児教育を通じた社会一般の公益に寄与することが求められているのではないでしょうか。
末筆となりましたが、今後の貴協会ならびに皆様の幼稚園のますますのご清栄を祈念いたしております。