新連載

「一冊の絵本から保育を考えると…」2回シリーズ(2)

一冊の絵本から保育を考えると…

平安女学院大学短期大学部 保育科教授
金子 眞理

 「がたんごとん がたんごとん」安西水丸さく 福音館出版 1987 年

 この絵本を読むといつもフレーベルの思想が思い出されるのです。

 フレーベルは、「一般に人間は、それぞれの発達段階において、全くその段階が要求するものに向かって努力する以外の努力をすべきではない。そうすれば各々の段階は次から次へと健全な芽から新しい枝がとびだすように、すくすくと成長していくだろう。そしてこの新しい枝はそれぞれの段階で同じ努力によって、その段階が要求することを完成するであろう。というのは前の段階で十分に発達して始めて次の発達が十分に行われるからである。」と連続発展観で述べています。

 さて、絵本「がたんごとん」の扉を開けると、責任感をいっぱい、また力強い顔をした汽車がやってきます。ページをひらけると、哺乳瓶が「のせてくださーい」と待っています。次をひらけると哺乳瓶が貨車の中に安定して、しっかりとのっています。次のページはコップとスプーンが「のせてくださーい」と待っています。そしてコップとスプーンが安定して貨車にのっています。次はりんごとバナナが待っています。そして貨車の中にりんごとバナナが安定してのっています。このように、哺乳瓶にはじまってコップとスプーン、りんごとバナナがそれぞれ貨車に安定してしっかりと乗っています。その場面をみてみると、哺乳瓶は1 歳の時のこと、コップとスプーンは2 歳の時のこと、りんごとバナナは3 歳の時のこと、それぞれ1歳・2歳・3歳の発達段階を表していることがわかりました。

 また貨車は親の愛情とみることができ、そこにしっかりと乗ることができる居場所があり、しっかりと愛され守られているという証しになっています。それは愛されて守られて十分に1歳のときを過ごしました、愛されて守られて十分に2歳のときを過ごしました、愛されて守られて十分に3歳のときを過ごしましたということになります。

 その次のページをひらくと、ねことねずみが「のせてくださーい」と手をあげています。次は、なんとのるところがないにもかかわらず機関車のうえにねことねずみがのっているではありませんか。機関車のうえというのは安定した居場所はないけれど、前の段階で十分に発達したこどもは自分でのるところを見つけるということ、言い換えれば自分の力で居場所を確保することができるということです。ねことねずみはまた、トラブルをおこす象徴とも言われています。遊びの中で体験するトラブル、つまり思うようにならない体験やぶつかり合いの体験を通して相手の存在を知り、自分の意のままにならないことを知り、必要な我慢をすることも知るのです。そして一緒になった喜びも感じるのです。このような多様なかかわりの体験をしていくという育ちの方向性のことがこの場面から読み取れるのです。最後のページでは食事のところで満足している表現があり、空っぽになった汽車がこどもから離れていくところで終わっています。しかし、そこで終わったのではなく、空っぽの汽車がまた再び私の元にやってきます。「また汽車はいつでもやってきますよ、やり直しができますよ」という安心感をお母さんにあたえているのがわかります。

 この絵本から保育者が学ぶことは連続発展観を基に、こどもの生きる力を育てていく大切な場所としての幼稚園、こどもの生きる力を育てていくことができる責任ある保育者としての歩みなど、こどもが育つための保育の方向性が描かれているように思います。

 がたんごとん がたんごとん・・・  がたんごとん がたんごとん・・・