新連載

「本物に触れて…自然活動の大切さ」2回シリーズ(1)

本物に触れて…自然活動の大切さ

公益財団法人 京都YMCA
事業部 青少年育成部門
部長 久保田 展史

 今回チャンスをいただいて、2回の連載でキャンプや自然活動が子ども達の成長にどうかかわるかをお話ししてゆきたいと思います。

 近頃の子ども達はたくさんのことを知っています。動物のこともよく知っています「だって『S動物園』っていう番組でやっていたもん!」と教えてくれます。海の動物のお話もよく知っています。「この前テレビでやっていたもの!」テレビやパソコンからはいろいろな情報があふれていて、高画質の臨場感のある放送は家にいながらにしていろいろなことを知ることができます。でも本物の体験ではありません。

 昨年の夏、琵琶湖畔にあるキャンプ場でのキャンプの時です。琵琶湖の波打ち際を歩いていると、私の足にチクッとしがみつくものが、よく見るとトンボのヤゴでした。キャンプ場にみんなで連れて帰って柱に止まらせて羽化の観察です。2時間じっと見ていると、背中からせり出すように肩と背中が出てきたかと思うと、尻尾を抜こうと背を丸めます。体が出てから羽が伸び、飛び立つまでの観察は感動する時間でした。黄色い体でしたのでシオカラトンボのメスでしょうか。「がんばれーがんばれー」と子ども達の歓声が飛びます。子ども達は時に優しくなでたり、羽が乾くようにふうふう息を吹いたりします。そして羽が乾いたなと思った瞬間、あっという間にトンボは飛び立っていなくなってしまいました。でも翌日私達の周りを飛ぶ黄色いトンボが…。『そうか動物は最初に触ったものを母親と思うらしいから、昨日のトンボも私達を母親と思っているに違いないぞ』 などと(昆虫は親が育てないからありえないですが)言いながらみなでトンボに「おはよう!」と声をかけます。

 ここ10年、私は自分の周りの生き物に声をかけるようになりました。これは新潟の動物博士、野柴木洋先生の影響です。カラスがなくと「よう!おはよう!どうしたの?」と言葉をかけてあげます。彼らには絶対に聞こえていると思うのです。そんな私を子ども達は時に不思議そうに見ています。自分の周りをとぶアカタテハにも、早朝に木のてっぺんでなわばりを叫ぶアオジにも声をかけます。そうすると、心が彼らに近づいたように思えるのです。そんな体験を子ども達にもしてもらいたいのです。

 夏の終わり、キャンプ場の広場にたくさんのトンボが飛んでいました。子ども達は人差し指を天に突き出したり、帽子でトンボを追ったりしますがなかなかつかまりません。最後には「この野郎!」などと暴力的な声を出しながらトンボに向かって帽子を振り回す子もいました。「そんなことしてトンボに当たったらかわいそう」指導者たちは止めようとしますが、私は「いいよ、いいよ」と言ってあげます。時には帽子が当たってトンボが真二つにちぎれることもあるでしょう。そうすることはあまりよくないことですが、命に触れることは大事なことです。死んで初めて命がささやかであるかということがわかります。

 頭ごなしに「かわいそうでしょう」「命ですよ!大切にしなさい!」と教えても、それは子ども達の心から独自にわいてくる『愛情・愛着のゆえ』ではありません。
私は教育の中で指導者が感情の結果を教え込んではいけないと思うのです。「かわいそう」という気持ちを起こさせることは必要ですが、「かわいそう」と思いなさいという刷り込みは教育ではないと思うのです。自然活動では是非、命というものにじっくりと触れてもらいたいものです。それが命を大事にする心のもととなり、愛着のゆえに「大事にしたい」という感情が必ずや生まれてくると思うからです。そしてこの感情が生まれるプロセスは本物であり実体験である必要があります。

 私どもで行っている森の動物たちを観察するキャンプでは、お母さん狸が小さな子どもを連れて現れました。「かわいい!」と息をひそめながら子ども達は叫びます。この子ども達にはぜひ、また森へ行ったときにあの動物の親子の姿を想像してにこりと心の中で笑顔になってしまう、そんな心が育ってほしいと思うのです。ですからできるだけ、本物の命や自然に触れる機会を作ってあげたいですね。