新連載

2 回シリーズ(2)

ある自閉症の幼児の想像

京都橘大学教授 神谷栄司

  自閉症を抱えている青年の東田直樹さんの本がNHKのドキュメンタリー番組で取り上げられたおかげで、専門家ではない方々の自閉症理解が進んできたように思われます。私の1 回生ゼミ生で、ある一日、自閉症の子どもとつきあうヴォランティアをした学生が「よく理解できなかった」という感想をもらしていたので、その番組で取り上げられていた本(彼が15 歳のときに書いた『自閉症の僕が跳びはねる理由』)を読んでもらいました。心のなかで思っていることとその表現(言語を含む)との独特な矛盾(例えば、思っていることと正反対の事をしゃべってしまう、など)がこの学生の理解を助けてくれたようです。「この本を読んで、あの子のことがよくわかった」「先に読んでおけば良かった」との率直な感想がかえってきました。

 ところで、自閉症の幼児はどのように理解したらいいのでしょうか。東田さんがおこなったような自己観察は、概して、思春期に自己意識が誕生することにより可能になります。もちろん、彼の自己観察から手がかりを得ることはできますが、幼児期の自閉症を十分に理解することはできないでしょう。幼稚園においても、そうした幼児の一人ひとりと向き合って、理解を積み重ねるほかはありません。

 ある自閉症の5 歳児は、「ぎざ耳うさぎ」(シートン・作)の冒頭のシーン、お母さんうさぎが巣穴を掘り、そこに赤ちゃんうさぎを隠して、食べ物をとりにいく(そこに黒大蛇が現れるのですが)というシーンから、「穴を掘ると温泉がいっぱい出て危ないから浮き輪がいる。浮き輪をして、ヘルメットをかぶり、懐中電灯とビデオをヘルメットにつけないといけない」と言いました。多弁な子でしたので、彼の考え方がよくわかり
ましたが、いうまでもなくお話の理解から逸れていく想像です。補助の先生の話をよく聞いてみると、この子の想像に「浮き輪」が出てくるのは東日本大震災時の津波が理由のようでしたが、あとは解らないとのことでした。この子は想像ができないのではなく、現実から想像する(眼から想像する)というもっとも基本的な想像力はもっているものの、ことばから想像するというやや高度な想像力(それ故にお話から逸れていくのです)は獲得されていないと感じられました。とすると、ことばを主とし絵を従とする普通の読み聞かせではこの子のお話理解は得られない、むしろ、それ
を逆にして、絵を主として理解を進めることが必要ではないか、と助言しました。もちろん十分な確信があったわけではありませんが、この場合、助言は具体的でなければなりません。その後、この園では、3 種類の「ぎざ耳」の絵本を準備され、この子に絵本を選ばせ、それにもとづいてお話理解が図られました。後日、補助の先生は、「絵をもとにお話の理解をすすめてから、この子は変わりました」とやや興奮気味に話されました。お話が理解できるようになった、ということでしょう。

 このような小さな事実の積み重ねが自閉症の幼児を
理解する土台を築くことになると思います。