【新連載】直線的に生きない 4 回シリーズ(1)
京都教育大学 教育学部幼児教育科 教 授 古賀 松香
私たち大人はたいてい時間に縛られて生きていて、 忙しいあまりに無駄のないように過ごそうとします。 学生たちの中では「タイパ」という言葉が使われ、時 間対効果(タイムパフォーマンス)が悪いことは切り 捨てていくような風潮すらあります。できるだけ直線 的に、効率的にと、追い立てられているような気持ち になることもあります。
その対極を生きているのが子どもです。子どもは今 このときを生きる天才です。子育て生活は直線的に生 きようとする大人と、地図も時計も予定表ももたない 世界で生きている子どもとの間で、どう折り合いをつ け、共に楽しい時間を生み出すかという大人の知恵が 試されます。一方の幼児教育の現場には、子どもため の場や時間が広がっており、ときどきハッとさせられ るます。
あるとき伺った園ではこんなふうでした。その日は 月曜日で、週末の間にいろいろに抱えてきた気持ちを 吐き出すように表現する子どももいれば、関わりを求 めずどこかに引っ込んでしまうような子どももいて、 さまざまでした。保育者はあちこちから声がかかり、 常に身体は子どもにふれられたりのっかかられたりし ていましたが、声をかけてこない子どもにも関わりな がら過ごしていました。ある女の子 2 人はそんな忙し そうな保育者に「竹馬を出してほしい」と言っていま した。四方八方からくる子どもの思いに廊下で対応を していた保育者は、その声をキャッチして「そうだっ た、竹馬ね、行く行く」と立ち上がり、園庭の倉庫の方に歩き出しました。倉庫は保育者と一緒に行く場所 のようで、観ていた私は、ことの顛末を見届けようと ついていきました。すると、そこにスッと別の男の子 が近寄ってきました。保育者は彼と一緒に歩きながら にこやかに話しかけ、園庭に出ると思いきや、出口の ところに座って話し始めました。なんでもない日常の 会話です。やわらかな笑顔と声を交わして、2 人はゆ ったりと座っています。
観ていた私は「ここで座る?」と驚きました。当然、 竹馬を出しに子どもとまっすぐそちらに行くと思って いたからです。しばらくすると、保育者と男の子は、 ああ、そうだ、竹馬だった、と立ち上がり、男の子は 満たされた顔をして、一緒に園庭へと出ていきました。 倉庫の近くでは女の子たちが話しながら、待つでもな く過ごしています。
このひとときが、どんなにか彼の心をあたたかくし ただろう。頼まれたことをすぐに解決しようとしてし まうことは、子どもにも大人にも寄り道を許さないこ とに、いろいろなことに出会う機会を奪うことになっ てはいないだろうか。余白があることで、関わりの豊 かな時間がひろがっていく。子どもと共に生きようと する保育とは、こんな名付けようもない時間があちこ ちにあるものなのではないか。そんな「直線的に生き ない」保育の価値を考えさせられた一場面でした。