新連載

【新連載】「遊びをせんとや 生まれけむ」 その2   3 回シリーズ(2)

元立命館大学 教授 幼稚園協会特別支援教育研究会 顧問 朝野 浩

 前回取り上げました幼児期の「遊び」ですが、子ど もの発達を促すうえでは重要な活動です。人として生 きる上での運動能力や言語能力また協調性や自分自身 が分かるなどの非認知的能力を獲得するには大事な活 動です。自由度の高い遊びの中に、次の様々な機能の 発達を促すものが含まれます。ヒトは、他の哺乳動物 に比べ、脳の成熟を待たず一年早く「生理的早産」として社会に出てきます。そのため温かい保護が必要で、 小さく、可愛い存在として認識されます。

私は研修会担当として、常々先生方に言い続けていることがあります。「幼稚園や保育園に毎日通ってくる子どもたちは、まだこの世に生を受けて、高々2年や3年そこらですから、先生の言うことなど分からなくって当たり前なんです。」「ただいま色々なことを試しながら獲得中です。」保育者は、自分をスタンダードとせずに、子どもは、遊びを通して何かを学び、遊ぶために遊ぶものだと考えて欲しい。世界中のほとんどの国が、6年ほど経てば、学校という遊びから離れた別の抽象的な世界へと子どもたちを導きます。この6年ほどの間に、「脳の生理的成熟」をしなければなりません。遊びを通した多くの体験や経験から「気づき」や「失敗と成功体験」を自分自身の可能性とともに蓄積していくのです。

一般に幼稚園では、設定保育以外は基本「自由遊び」 が中心となっていると考えます。保育者は、子どもたちの自発的な活動を見守ることが大きな仕事になって いると見えますが、ASD などの子どもたちにとっては、一番苦手な時間です。彼らは、この時間をどの様に過ごしてよいかわからない課題性を持っている子ど もたちです。それでは、この「遊び」を中心とした活 動において、ASD の子どもたちも含めて、子どもたちは、どのような体験を通して何を発見し、何に気づき、経験として学習し、次の機能を獲得するのでしょうか。

一方、同じ遊びでも、特別支援教育、知的障害者を 教育する場合においては、「遊びの指導」という指導の形態があります。知的障害を伴う児童生徒に対して、特に必要あれば領域・教科を合わせた指導として遊びの指導を子どもの発達を促す大切な活動として、年齢が上になっても中核的な学習活動として教育課程に位置付けて行われます。他の児童生徒とのかかわり方や身体的な活動を通して意欲の向上を図ることをねらいとした、意図的計画的指導が行われます。学校生活全体を遊びを通して学び、遊びそのものを学ぶということを大人の介在で行います。幼稚園での自由遊びとは、似て非なるところがあります。

幼稚園教育では、子どもにとっての遊びは、ただ単に遊具や追いかけあいなどで運動機能を高めることや友達とのかかわり方から社会性を高めるという目的だけで遊ぶわけでもありません。遊びそのものを楽しむことが中核になるはずですが、個別指導訪問で子どもたちを観察していると、発達年齢に見合った遊びが少なくなってきている感じがします。年長になれば、協力して何かを作り上げるとか、自分たちでルールを決めて活動をするとかという連合遊びや協同遊びがあまり見受けられません。教室の中でも、同じ場所に居て、同じブロックや積み木を扱っていても並行遊びのような別々にモノを作るということが多く見受けられます。

こうした現象は、テレビゲームやタブレットなどのソーシャルメディアで仮想の映像を相手に一人遊びが多くなっていることが影響しているのでしょうか。それとも子どもにかかわる保護者、保育者、大人のかかわり方の問題なのでしょうか。