新連載

【新連載】4回シリーズ(4)

子どもを見る目 その4
~戦時下の倉橋惣三~

立教女学院短期大学 幼児教育科 准教授 高瀬 幸恵

 前回は倉橋惣三の思想を取り上げ、彼の“子どもを見る目”について考えました。では、戦時下においてはどうであったか、ということを今回のテーマとしたいと思います。

 当時、多くの幼稚園では戦争を題材とする教材が扱われ、天皇や国家への忠誠心を育成する教育方針が取り入れられていました。では、倉橋はこの頃どのような考えを持っていたのでしょうか。ここでは、1942 年発行の『幼児の教育』(第42号、第8・9号)に掲載された倉橋の講義内容である「現時局下に於ける幼児教育」から当時の考えに迫ってみましょう。

 この頃、日本は太平洋戦争の真っ只中にあり、物的・人的資源を戦争遂行のために統制する国家総動員体制下にあ
りました。子どもは人口政策の観点から重要視される人的資源とみなされました。当時の厚生省は、10 人以上の子ど
もを持つ「優良多子家庭」に対して「国本ノ培養ニ資スル」として表彰していたほどです。

 この時代状況における子どもについて、倉橋は次のように述べています。「現時局下とは、日本が大きい戦争と大きい建設とを同時にしている時です。しかもそれが、長期に亙るべき戦争であり、建設であり、従って我等のあの可愛いゝ子供達に荷って貰はねばならぬ戦争であり、建設であるのです。」建設とは、「大東亜共栄圏」の建設のことで、つまり日本によるアジアの植民地化を進める考えを指します。子どもたちは将来、戦争と植民地支配の任にあたる人材として倉橋に認識されています。では、保育が目指す方針についてはどうでしょうか。「その第一は子供達にしっかりと皇民教育をすること」、「皇民的性格を養ふこと」、つまり、天皇への忠誠心を持つための教育を目指すべきだと唱えたのです。

 倉橋は、「彼等〔子ども達〕も皇民精神の最も熱い風、強い波に毎日ひしひしと押されている。即ち今日に生きる事によって幼児達も皇民精神を一杯に享け与へられている」と述べ、普段の生活のなかで「皇民精神」の育成がなされていると言います。こうした普段の生活に加えて幼児教育においても、「先ず皇国に対する感謝教育、歓喜教育が与へられなければならない」と言うのです。つまり、日本の国に生まれた喜び、天皇の威光の下に生まれた有難さを感じる歓喜を幼稚園で子どもに与えよう、ということです。

 倉橋は変わってしまったのでしょうか。そうではないと思います。少なくとも彼のなかで矛盾はなかったのでしょ
う。倉橋は子どもの実際の生活をそのままに、そこに幼稚園教育を順応させたいと考えていました。そうであれば、
総力戦体制にある社会のなかでの生活は戦時色に染まるのであり、それに幼稚園教育を順応させる、ということにな
ります。

 子どもの生活を重んじる児童中心主義の考えは、今日においても重要です。しかし、弱点もあったと言えるでしょう。子どもの生活の背景には、その時代の政治や社会があります。政治や社会に対する厳しい評価が欠如すると、生活を重んじる保育は、政治や社会の状況に応じてゆらゆらと揺れ動いてしまうのです。

 子どもを見る目は、子どものありのままの生活を大切にし、子どもの心のうちを見つめる、というだけでは不十分
なのかもしれません。保育者には子どもの生活の背景にある政治や社会を見極める目が必要だと言えるでしょう。保
育者は社会が子どもをどのように見ているかについても厳しいチェックをし、時にはそれに対してNoを唱える必要
があると思います。人口政策や人材育成・人材確保の観点から保育を考えることは、社会のなかで不可欠なことかも
しれません。しかし、国家が求める人材となることと、個人が幸せになるということは必ずしも一致しません。教育
や保育の任にあたる者は、第一に後者のために存在しているのではないでしょうか。戦時下日本の保育界と同じ轍を
踏まないよう気をつけなければなりません。