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【新連載】3 回シリーズ(1)

 「物がないなら与える」のがいいのか?

京都市立開睛小学校 河田 理江

 (青年海外協力隊平成27 年度1次隊 ベナン共和国小学校教育)
 私がベナン共和国から日本に帰って来て、こんなことをよく言われた。「もう,履いていない靴があるのだけど,これってアフリカとかに送ったりすると助かるかな?」約2年間ベナン共和国で生活をしていた私が出した答えは,「助かるとは,思わない。」である。なぜそのように答えたのかというと,まず,私が住んでいた町で運動靴を履いている人が,ほとんどいなかったということが挙げられる。特に子どもは,ビーチサンダルを履いており,体育の時間になると教室でビーチサンダルを脱ぎ,はだしで体育をするのがノーマルである。はだしだから,けがをすることもある。そこから破傷風や感染症になることもある。「じゃあ,あった方がいいやん。」と言われそうだが,それは,その場にいない人の考え方である。例えば,その村の子ども全員に靴が配られたとする。きっと大切に履いてくれると思う。しかし,用意された靴の中に自分の足とぴったり合うサイズの靴がなくても「ぴったりだ。」と言ってその靴をもらうだろうし,足が大きくなって履けなくなっても無理やり履き続けるだろう。そのまま履き続けたらどうなるだろう?私の知人もサッカーをするのに靴が必要で,小さい靴を無理やり履いてプレーしていたらしい。その彼の指は曲がってしまっている。
「靴がなくてかわいそうだから送ってあげよう」ではなく,その後の事も考えてもらいたい。
 そこで,私は発想を変えてみた。裸足でも,けがをしない環境を作ればいいのだ。ベナンの人々はとてもきれい好きである。みんな朝早く起きて,家の前の門掃きをする。学校も同じで、児童は学校に「バレイ」というほうきを片手に登校する。学校についたら校庭と教室をきれいに掃除する。しかし,だれも住んでいない道や砂浜は,ごみであふれていた。
だから私は「人が見ていないところも掃除をしよう。」と掃除大会を市長に提案しにいった。異国の地に住んでいる日本人が突然言った提案にも関わらず,市長は地区長を集めて話をしてくれ,清掃活動が行われることになった。普段は時間にルーズなことがあるベナンの人々が、朝7時から昼まで掃除を続けてくれた。提案した1回で終わることなく,私の手を離れた企画なのに、今も続いている。もし,靴を送ることを選択していたら、きっと物を送る人がいなくなった時点で、またふりだしにもどっているだろう。物がないから物を送ってあげればいいのではなく,住んでいる人々の生活にあった無理のない形で代案を提案すれば、生活の一部になって続くのだ。相手の立場,環境を考えたうえで提案していくことが,今後も続いていくカギであり,本当の支援であると思う。
 できなくて困っている子どもがいたら,すぐに手を貸しやってあげることがいいですか?それとも,時間がかかっても、できるまでやり方を教えてあげるほうがいいですか?

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