新連載

【新連載】2回シリーズ(1)

「環境として伝える事」

㈱コト葉LAB. 代表取締役 安中 圭三

 私は、園庭や遊具、室内といった子どもの環境をデザインしています。
 そこで日々の考えを、「環境として伝える事」と題して2 回に渡って書かせていただきたいと思っています。
 「せんせー、あそこに登らせて」…
 子どもから言われると、手を貸してあげたくなってしまいますよね。
 でも、ここで一度考えて欲しいのです。
 ここで手を貸してしまう事で、かえってその子の育ちによくない事があるとしたら?
 遊んでいる時に、子どもの後ろから、高い所へと大人が押し上げている行為(よくやってしまいがち…)実はこれ、押し上げた子の危険が生じやすい状況へと導いている行為でもあるのです。その子自身の体力や能力がまだ備わっていない状態のまま、大人の力によって、能力以上の環境へと誘ってしまってもいるのです。
 これ!大変危ない行為です。絶対にやめた方がいいです!
 この事を踏まえた上で、少し矛盾するように感じられるかもしれませんが…
 私が遊具を設計する時には、あえて挑戦をしないと登れないところを計画する事があります。こうした遊具を設計すると、時に先生方から叱られます。「手を貸すなと言っておきながら、手を貸したくなるような遊具を設計して、どういうことなの?みんなが行けなくて、行けない子は可哀想だと思うんですよね…」と…うんうん、そうですよね、よくわかります。
でもね…今はまだ行けない場所や、まだ出来ないでいる時間には、すごく価値があると思っています。
 今、そこで手を貸してしまう事で、その瞬間の、その子の気持ちは満足させる事は出来ます。しかしながら、後に自分で出来た時の「達成感」だったり、「自分って凄い!」というような感動は薄まってしまいます。悶々と「出来ない」を繰り返しながら、どうやったら出来るだろう?という葛藤を繰り返し、やっとの思いで出来た事は、宝物のように貴重な経験になると思うのです。そこにこそ、本当の意味での「自由」の感覚が育まれると思います。ですから、その時まで、その感動をとっておいてあげたいですし、そういう経験によって得られる「自由になれた感覚」をしっかりと感じとってほしいですよね。
 自分自身で思う「出来た!」がとても大切な自己肯定感にも繋がっていくと私は考えています。
 大人は、すぐに「出来る為の環境」を用意してしまいがちですが、出来ないでいる時間を費やし、自分自身で達成し、自分ってなかなか凄い!と思える…そういう自己肯定感を育むことができる環境を作り出していくことが、我々大人に求められている事です。
 その為には出来ないでいられる時間が長ければ長いほど、そして、失敗を受け入れてくれる環境であればこそ…出来た!わかった!が本人の心の奥底から湧き上がる本物の価値として、彼らの根っこの部分となっていくのではないでしょうか。
 …そんな経験を、これからを生き抜いていく彼らに贈り届けていきたいと、私は考えています。