新連載

【新連載】3回シリーズ(1)

修学前の刷り込み

龍谷大学短期大学部 こども教育学科 教授 羽溪 了

 ある小学校の先生が、次の様に述べておられました。

 「一年生になったばかりの子どもたちは、期待と不安でいっぱいである。一年生になった誇らしさとともに、<もう何でも一人でできるよ。>と自信にも満ち溢れている。しかし、授業が始まると、<これでいいのかな。><何をしたらいいのだろう。><先生が教えてくれたようにできるかな。>と心配になり、自信が隠れてしまいがちだ。そして、頻繁に<先生、これでいいですか。><先生、何をするのですか。><先生の教えてくれた通りにできたかなぁ。>と、私の表情を伺ってくる。<ていねいにできたね。><いいね。ばっちりだよ。>と伝えると、<よかった。>と安心した様子になる。自分のことを認められたと感じた子どもの表情は、本当にキラキラ輝いている。すると、自ら次のステップを意気揚々と登り始めるのだ。」

 今これを読み、どの様な感想を持たれたでしょうか?本当は、お一人お一人に伺いたい、重要な課題があります。

 この様なこども達に対して、このあと取り組まれた様々な実践が紹介されました。間違いなくこども思いのとても優しい、素敵な先生だと感じました。しかし、小学校の教科・図画工作科として大きな問題を孕む実践が、残念ながら繰り広げられています。その実践内容は次回にまわしますが、今回話題にさせてもらいたいのは、「これでいいのかな。」「何をしたらいいのだろう。」「先生が教え
てくれたようにできるかな。」と心配になり、自信が隠れるこどもの姿。そして頻繁に「先生、これでいいですか。」「先生、何をするのですか。」「先生の教えてくれた通りにできたかなぁ。」と、先生の表情を伺うこどもの姿です。

 まさかこの様な姿が、こどもらしい姿だ、微笑ましい姿だ、とお考えの方はいらっしゃらないと思います。明らかに悲しい姿です。しかしこの様な悲しい姿は、既に就学前に育ち根付いてしまった、こどもの心の表れではなでしょうか?正に保育の問題が、ここに如実に突き付けられているのではないでしょうか?

 「これでいいですか。」と問う気持ちには、既にこうした表現活動では、あるべきものがある、先生が求めるものがあるからこそ、出てくる思いであり、言葉ではないでしょうか?「何をするのですか。」と問う気持ちには、既にこうした表現活動では、予め決められたことをするという、暗黙のルールがあるとの思い込みや、擦り込みがあるからこそ、出てくる思いであり、言葉ではないでしょうか?「教えてくれた通り出来たかな。」という思いには、既にこうした表現活動では、先生が教えた通りにするという、暗黙のルールが擦り込まれているからこそ、出てくる思いではないでしょうか?

 領域「表現」のねらいや内容とは異なる次元や理解で、絵画・造形的あそびがなされているからこそ、この様な擦り込みが出来上り、小学校へ進んでいるのではないでしょうか?