新連載

【新連載】3回シリーズ(1)

言葉と言葉のあいだには…①

平安女学院大学短期大学部保育科 金子 眞理

 子どもたちに私の大好きなお話を語る時がある。それは「あくびがでるほどおもしろいはなし」松岡享子作、おはなしのろうそく5(東京子ども図書館出版社)である。「ここから北へ北へとすすんでいったある南の国に、たいへんかしこい、ばかな男がすんでいた。ある朝、夜が明けて、あたりが暗くなったので、男は目をさました。外はすばらしくよいお天気で、雨がザアザアふっていた。そこで、男は、『よし、きょうは山へ魚釣りに出かけよう』と考えてよく手入れのいきとどいた、さびたてっぽうをもって、うちを出た。なだらかな、けわしい山道を、どんどんのぼっておりていくと、まもなく木の一本もない森へ出た。そこで、男がはえていない木にのぼって、すなはまにこしをおろしてまっていると、やがて、見たこともないような、あたりまえの魚が、なみをけたてて、のろのろとおよいできた。男はすかさずてっぽをかまえて、ドーンと一ぱつぶっぱなした。たまはねらいたがわず見ごとにそれて、魚はバッタリ生きか
えった。男は、『ちきしょう、うまくやったぞ!』とさけんで、魚をひっつかみ、大いそぎでゆっくりと走ってうちに帰った。男がそれをりょうりして食ってみたところが、なんとほっぺたがおっこちるくらいまずかった。そこで、男は、魚をみんなにわけてひとりじめにし、ほねと身と皮をのこしてすっかりたいらげてしまった。あんまりはらいっぱい食べたので、おなかがぺこぺこになったそうな。」

 このお話を語ると子どもたちはざわざわし始める。そしておもむろにあちこちで笑いが増えていき、やがて笑いの渦ができる。小学生の子どもはそのお話をおぼえたいと必死に書きだそうとする。子どもは素直におもしろいという反応をしめすのである。一方、女子大学生の授業では雰囲気が一変する。このお話を語りだした途端に教室がシーンとする。挙句の果てにある学生は睨みつけるような眼で語り手を凝視する。ある学生は、お話が終わるや否や質問。「先生、どっちを信用したらいいのですか?」と。また感想文の多くは何を言っているのか理解できなかったと。

 学生の中にはこのお話のような矛盾する言葉の世界で遊んだり、矛盾する言葉の世界で楽しんだりする場所や時間、いわゆる「心の空間」がなく
なってきている感じがする。

 古い書物を手にした。それは上沢謙二編著「幼児に聞かせるお話集」実用家庭百科 講談社 昭和28 年発行である。ページをめくると、はしがきの冒頭の言葉に見入った。「幼児ばなしの世界は混乱している」や、「発達段階に即した話をしていかなくてはならない」とある。また目次をみても今に通じると感じた。「なぜ話すのか」という項目の中には、「人生における最初の経験」・「見えないものを見せる」・「深い人生を味わわせる」・「言葉は記憶されないが保存される」とあった。とくに「言葉は記憶されないが保存される」という言葉が心にのこった。これからを生きていくこどもひとりひとりの心の中に保存されていくような素敵な言葉を伝えているのか、伝えられているのか、言葉の世界で遊ぶという「心の空間」が存在しているのか私自身も考えていきたい。