新連載

【新連載】絆が深まる   4回シリーズ(3)

京都ノートルダム女子大学 現代人間学部こども教育学科教授 神月紀輔

 先日、卒業生の結婚式に呼ばれて行きました。今は立派な小学校の先生ですが、在学中は何かといろいろありました。同じテーブルが新婦の同級生だったので、思い出話に花が咲きました。その中で、旅行中に喧嘩した話が出てきました。仲良し4 人組で旅行に行った時のこと、些細なきっかけで話もしないほどの喧嘩になったそうです。確か、帰ってきてからもすこし引きずっていて、その話を新婦が学生時代ゼミの時に私に話していたことを思い出しました。ただ、「そんなこともあったよねー」と、当時喧嘩していたメンバーが顔をそろえていたので笑って話してました。そのうちの一人が友人代表のスピーチで「このことで絆が深まった」と言っていたのは印象的でした。

 最近、インターネット関係でこどものいじめ関係の会議に出させていただくことが多くなり、強く思うことがあります。それが、「人の痛み」のわからなくなってしまっているこどもが少なからず存在することです。このような席に話題の挙がるこどもの大半は、いい子で問題を起こしたことがなく、喧嘩などとは無縁のこどもたちです。しかし、よくよく精査してみると、人との関わり以外のところ(例えばゲームやネットや)では裏の顔を持っており、傷つくことを恐れながらびくびくしている姿が浮き上がります。遡っても、幼稚園時代にも喧嘩などたことがなく、本当の意味での人との交流ができていないことが浮かんできます。

 勘のいい皆さんなら何が言いたいかはもうお判りでしょうが、喧嘩や言い合いの経験はやはり必要で、軽く傷つく経験をしておくことで、人の痛みを知ることができるように感じます。もちろん理不尽な喧嘩や教職員の強圧的な態度によって傷つくことには意味がありませんが、こどもが自分の感情を前に出し、意見を戦わせる経験は、幼稚園時代にぜひとも経験しておいてほしいものだと思います。

 今、本学の学生を見ていると、すべての学生がそうであるというわけではありませんが、自分の意見は言うものの、人の話は圧倒的に聞かない傾向を感じます。直接的な意見のぶつかり合いを経験しないまま、小中学校でグループ学習を多く経験させられ、人の意見に流れていくことで楽に過ごそうとしてきた人は、人の話を聞くことで間接的に傷つくことをどこかで会得しているので、信じるものだけを考え、大勢の意見の中に埋もれていることでなんとかバランスを保っているように感じます。そのため時折「承認欲求」なるものが出てきて、自分の言いたいことだけを言い結果的に周りに迷惑をかけていく姿を何度か見てきました。

 幼稚園の取組で、こども同士の学びあいは当然取り入れておられると思います。ただ結果が出なくても、少し言い合ったりする場面を我慢してみていただければと思います。もちろんその方が後々面倒になるわけではありますが、数年後には「絆が深まる」可能性も信じてみてください。