【新連載】種明かし 4 回シリーズ(4)
真宗佛光寺派 大行寺住職 英月
仏教の気づきを皆さまと共有できればと思って書いてきたこのコラムも、最終回になりました。ということで今回は、今までのコラムの「種明かし」をしたいと思います。その前に、ちょこっとおさらいを。
「天上天下唯我独尊」という言葉を通して、お釈迦さまが仏教として明らかにされたことは、「あなたは、誰とも比べることも、代わることもできない尊い存在」ですよ、ということ。そして、私自身、色々な思い込みがあったことを気づかされたこと。つまり仏教の教えとは、難しい言葉の意味を知ることではなく、自分自身が知らされること。そんなことを話してきましたが、これらの話しの「種明かし」って何? と、思われるかも知れません。実は大事なことを、話していなかったのです。それは、お釈迦さまが明らかにしてくださった「仏」のことです。
大行寺の御本尊は、鎌倉時代の仏師快慶の作で、国の重要文化財に指定されている阿弥陀さまです。阿弥陀というのは音写語で、漢字そのものに意味はありません。Amida(阿弥陀)の「a」には打ち消しや“無”いという意味があり、「mida」は“量” る。阿弥陀とは、“量” ることが“無” いという意味です。これに、いのちを表す寿命の“寿” と“仏” さまを合わせて、阿弥陀さまのことを無量寿仏ともいいます。
量3 ることの無3 い寿3 (いのち)をいただいているという、いのちの真実が言葉になり、文字になり、そして仏像などの見える姿になったものが、阿弥陀さまです。
しかしお恥ずかしながら、私自身が阿弥陀さまを見て、快慶だ、重要文化財だと、他の仏像と量り、比べていたのです。いのちの真実を知らないのです。つまり阿弥陀という言葉で表される、量3 ることの無3 い寿3(いのち)をいただいているということが、今までのコラムを貫いていた「種明かし」なのです。「種明かし」された、いのちの真実を知ることで、踏み出せる一歩があるのではないでしょうか?
「シワも 白髪も 老眼も すべて 老化劣化と
言わないで 私は今も 成長中」
これは私が作った標語です。昨年1月に本山佛光寺の掲示板に掲載されました。赤ちゃんが成長することで、立ち上がり、歩き、走り回るように、シワや白髪ができ、眼が見えにくくなってくることも、順調な成長です。老化、劣化とは“量” った話です。このように、“量” ることの“無” い、他者とも、過去の自分とも、比べる必要のない自分だと知らされることで、いのちの景色が変えられるのではないでしょうか?
そう、私は自分のいのちを“量” るけれども、私がいただいているのは“量” ることの“無” い、いのちなのです。同じように、自分の思いや、考え、予定していたことは行き詰りますが、いのちが行き詰ることはないのです。そのことを表した標語を紹介して、今回のご縁とさせていただきたいと思います。ありがとうございました!
「この道も あの道も 行き詰まった もう、道がない と思うけど 行き詰まるのは 私の思い 道は必ず、ある」