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【新連載】3回シリーズ(1)

第一回 : 鬼決めうた「いろはにほへと」

京都教育大学附属幼稚園長 平井恭子

 今回から 3 回シリーズで「幼児の生活に息づく わらべうた」というテーマで、お話したいと思い ます。私は十数年前から現在勤務している大学で 将来保育者をめざす学生たちに「音楽表現」の指 導をしてきましたが、その傍ら昨年の春からは、 大学の附属幼稚園で園長を兼務することとなり、 3 歳から 5 歳までの子どもたちと触れ合う時間が 多くなりました。子どもたちと触れ合う中で見え てきたのは、私の予想以上にわらべうたがしっか り子どもたちの遊びや生活の中に息づいていると いうことです。今回は「鬼決めうた」を例に、わ らべうたがもつ魅力についてお伝えしたいと思い ます。
11 月の終わり頃、園庭の大きないちょうの木の 下で 7 ~ 8 人の 5 歳児がぎゅっとかたまって何や ら相談中です。近づいてみると、今から「こおり鬼」
(鬼ごっこの一種で、鬼にタッチされた子は凍って 動けなくなるというルール)が始まるところで、 誰が鬼になるかを決めている最中でした。その方 法はまず、全員が円の中心に向かって片足を出し、 しゃがんでいる一人が「い・ろ・は・に・ほ・へ・ と…」(譜例)と唱えながら、順に靴を指さしてい きます。そして、「…ち・り・ぬ・る・を」まで指 したところで手を止め、「を」で指された子は、足 を引っ込めます。そうして、足の本数が 1 本少な くなったところで再度、「いろはにほへと…」が始 まり、同様のやり方で足の本数を減らしていき、最後に残った足の子が鬼になる、という方法でし た。この日は、「鬼が 3 人」という取り決めだった らしく、足が 3 本になった瞬間に「わーっ」と蜘 蛛の子を散らすように子どもたちは走り出し、鬼 ごっこが始まりました。 この場面を見て疑問に思ったのは、なぜ子ども たちは鬼決めの方法として「うたを唱える」という、 大人からすると回りくどい方法を選択するのかと いうことです。鬼を選ぶことのみが目的なら、機 械的にじゃんけんで決める方が断然、楽な気がし ます。しかしわざわざ譜例のようなうたを用いる のには、何か理由がありそうです。ここからは想 像ですが、この遊びでは「を」で指された足が抜 けていくたびに、自分が鬼役になる確率が高まっ ていき「誰が最後に残るんだろう」というドキド キ感があります。それは唱え役の子の手先を、音 に合わせて頷きながら真剣に見つめる子どもたち の様子から伝わってきます。「うたを唱える」こと で、仲間の気持ちが一つになり、遊びの楽しさを 盛り上げる、そんな力がわらべうたの中には隠さ れていると考えられます。ごっこ遊びの中でドロ ーンやパソコンなどが登場する現代っ子たちが、 平安後期に作られたとされる「いろはうた」の一 部を嬉々として唱えている様子から、時を経て子 どもから子どもへ歌い継がれてきたわらべうたが もつ力を改めて感じることができました。

【新連載】3回シリーズ(1)

p style=”text-align:center;”>特別支援学校のこどもたち(3)

京都教育大学附属特別支援学校 小学部主事 小坂眞由美

 本校では、「人は人とかかわり合う中で人として育つ」という考えのもと、集団での活動を大切しています。「人は、さまざまな人とかかわりあいながら、社会の中で人と共に生きるために必要なことを学び身につけ、世界を広げていく。子どもたちは他者とのかかわりあいを介して自分を知り、自分の存在を意味づけていく。さらに、学び身につけた力を人とのかかわりの中で使い、役に立ったり喜ばれたりする経験、認められる経験をとおして自分が必要とされるかけがえのない存在であることを実感しながら社会的存在としての自己を形成していく。これは対人関係を形成することや対人関係を土台とした発達の獲得に遅れる知的障がいの子どもたち、知的障がいを伴う自閉症の子どもたちも変わりはない」。これは本校の平成26 年度研究紀要からの抜粋です。

 B ちゃんは自閉症スペクトラムです。初めての場所に行くことはとても不安で、入学式も式場に入らず、外にいました。入学当初、教室に入れない日が続きましたが、焦らず見守り、ひとしきり遊んだころ、教室へ誘ってみたり、担任から呼んでもらったりしているうちに、教室で過ごせる時間が増え、2学期が終わる頃には集団の中で活動にほぼ参加できるようになりました。大人に対しては視線や手差しで要求を伝えたり、手の合図で返事をしたり、笑いかけたりするなどのコミュニケーションが出はじめていますが、まだ友だちと遊ぶ姿は見られません。

 ある日、同じクラスのC ちゃんが教室のモニターで動画を楽しんでいました。たまたまB ちゃんもその近くで遊んでいて、偶然、モニターの電源を切ってしまったのです。C ちゃんは、「あ~っ!!」と声を上げました。その声に驚いたのもあると思いますが、C ちゃんに何かしてしまった、とも思ったようで、Bちゃんは泣き出してしまいました。C ちゃんは教室移動のときなどに「B ちゃん、行くよ」と声をかけてくれます。それも、自分から、絶妙のタイミングで、しかも自然な距離感で。B ちゃんはその誘いかけに必ずしも応じるわけではないのですが、おそらく心地よく感じていたのでしょう。好きなお友だちになっていたようです。B ちゃんの泣き声の中に、「ごめんね」が聞こえてくるようでした。一緒に何かをして遊ぶ、といった明確なかかわりあいは見られなくても、そこにいて、声をかけてくれる人がいて、泣いていてもそこにいさせてくれる場があることで自分の存在を肯定的にとらえられる・・。これは周りに人がいてこそ作りうる「環境」なのだと思います。

 自閉症スペクトラムの人は人とのかかわり合いが苦手なのではなく、かかわり方が私たちと同じではないだけだと思っています。一見、集団に入れないように見えても、彼らなりの入り方(友だちや先生の動きをじっと見ていたり、声を聞いていたり)で参加しています。個に応じた指導、個別の対応が必要なことは当然ですが、集団の中で個を大切にする、この姿勢をこれからも本校では大切にしていきたいと思っています。

【新連載】3回シリーズ(1)

特別支援学校のこどもたち(1)

京都教育大学附属特別支援学校 小学部主事 小坂眞由美

 筆者が勤務している支援学校には、知的障がいがある、小学1年生から高校3 年生までの約70 名が在籍しています。学校は伏見桃山城の北側、住宅街の谷間にあります。周りを竹藪や林に囲まれた、自然豊かなところです。春には裏山の竹林(「たけのこやま」と呼んでいます)にたけのこが顔を出し、子どもたちが掘って、校内にある屋外調理場でゆで、たけのこご飯を作って食べて新入生歓迎会を開きます。夏はブルーベリー、秋は栗や柿、冬はみかんが成り、収穫して食べたり、ジャムにしたりします。校内には小さい田んぼもあり、高等部の生徒が餅米を栽培しています。できたお米は全校でのもちつき大会でお餅にして食べます。校内には他に、椎茸のほだ場があり、植菌から栽培、パッケージ、販売まで、年間を通して高等部の生徒が協力して管理しています。

 中学部や高等部の生徒は、たけのこ山に登るための階段を、杉の間伐材を使って作ったり、校内のあちこちに花壇を作って花を育てたりもしています。小学部の児童は、その階段があるから、けっこう急な斜面のたけのこ山でも登ることができるのです。小学生はお兄さん・お姉さんに「作ってくれてありがとう」と感謝し、それをとおして中・高等部の生徒は自分たちの作業が、誰かの役に立ち、喜んでもらえた、という達成感・満足感を得ています。

 さて、小学部の子どもたちは「あそび」を中心とした取り組みをとおして学習をしています。知的障がいがある子どもたちは抽象的なことが苦手なので、実際的な場面で、具体的な取り組みをとおして考えたり表現したりすることができるようになっていきます。しかし、子どもたちは、自分にとって必然性の低いことには当然ながらあまり興味を示しません。「おもしろそう!」と思えることが、子どもの主体性を引きだし、自主的に取り組むことにつながります。

 たとえば、6月に行う「スライダー」は、芝生の斜面に防水シートを何枚か敷き、水を流して幅2m、長さ5m~ 20 mほどのウォータースライダーをつくり、滑ってあそぶ題材です。水の感覚が心地よく、スピードも出るので楽しくて何度も斜面を登っては滑ります。

子どもたちにとっては楽しいあそびですが、この中に「斜面を登る→体づくり」「滑る→姿勢を保つためのバランス感覚、スピードを調節する力、安全に対する感覚」などの学びの要素がたくさん含まれています。また、防水シートは幅が広いので、先生や友だちと2~3人で横に並んで滑ったり、縦に一列になって滑ったりします。自分から友だちを誘ってあそぶことや、人と関わりあうことが苦手な子どもたちにとって、「友だち(人)と一緒に」楽しむことを学ぶ時間でもあります。また、「スタートの合図を聞いてから滑る」「シートの外側を登る」などの約束やルールを守ること(社会性)も学習内容の一つです。

 スライダーを一例に挙げましたが、どの授業でも同様に、子どもたちが楽しめる活動を中心に授業を作っています。

【新連載】3回シリーズ(3)

 タイムリーにつながっていく

皇學館大学 教育学部 准教授 山本 智子(上級教育カウンセラー・臨床発達心理士・学校心理士・ガイダンスカウンセラー)

 私たちは,常に知識と経験を総動員して子ども達に向き合っているでしょうか。時には,次の段取りに気を奪われていたり,いつもうまくいっていることを「当たり前」と思って注意を払わなかったりすることはないでしょうか。子どもたちには先生のことがよくわかるようです。誤魔化しはききません。慢心がないか,内省する習慣を持ちたいものです。

 スポーツで優れたプレイができる選手は,「基本をしっかり身につけ,それを応用しているだけだ。」といわれます。意外な気もしますが,納得できます。華やかなプレイに見える動きも人体システムを総動員して行われているだけです。ひとつひとつの筋肉がそのパフォーマンスを最大限に発揮できるよう努力を続けた結果だと思います。

 私たちは,発達途上の子ども達のいのち溢れる眼差しに対して,常に向き合っています。スポーツのように毎回結果が出て,その度にリセットできるものではありません。止めることのできない時間の中で,「全ては子どものために」ありたいと
思います。

 新任教諭のA も半年経ち,少し余裕が持てるようになりました。運動会も無事に終わりましたが,その練習ではB 君には難しい部分もあったようです。ご家庭との話し合いや園内でのサポートが功を奏し,チャレンジすることで乗り切れたと聞きました。ご家庭との連携では,A は、多くのことを学んだといいます。母親だけでなく父親が話し合いの場に来てくださることで,膠着状態が解消
したこと。また,園長先生が,「最終的にどうするかどうかは保護者の方に決めていただきたい。」といいながら,両親の回答を全面的に支持し,「うまくいかなかったら、また一緒に考えましょう。」と付け加えられたこと。その一言でご両親の表情が和らいだそうす。その様子をA は「すごいな」と感じたようです。

 A は,園長先生の愛と勇気で保護者とつながっていることを実感できたのだと思います。教諭という仕事は感情労働です。きっと自分が自覚しているよりもストレスが多い仕事です。これからもA には,子ども目線で子どもを理解し,その時々の指導を大切にタイムリーな対応を心掛け,愛と勇気をもって子どものために必要なことができることを目標にしてほしいと思います。そのためにもA には,先生方とたくさん会話すること。一日の中で必ず自分の時間を持つこと。一週間に一度は,大好きなケーキを食べること等自分へのご褒
美を忘れないようにと伝えました。

 アンパンマンのように愛と勇気でつながっていく関係性は,これから時代が進んでもかわらない教諭の基本姿勢であると思います。

【新連載】3回シリーズ(2)

 タイムリーにつながっていく

皇學館大学 教育学部 准教授 山本 智子(上級教育カウンセラー・臨床発達心理士・学校心理士・ガイダンスカウンセラー)

 卒業生のAは,その後も新米教諭ながら誠実にB君と向き合っているようです。

子ども理解においては,アセスメントが重要だといわれますが,特別な空間で時間を切り取って行うアセスメントより,日常における気づきを精査してタイムリーな支援に生かすことがより重要です。Aは,B君が毎日下校前にすべての送迎バスに乗り込む点検行動を見守ることにしました。また,滑り台で突然逆走してしまうことや,友だちの使用している玩具を奪ってしまうことについても,「なぜ,Bはこのようなことをするのか。」と考えてみました。すると,興味関心がその一点に集中してしまい,他のことが全く抜け落ちてしまうということに気づきました。その状況を改善させるためには,B君だけでは抜け落ちてしまう部分をAが補っていくことが必要になります。
Aは,「B君,滑り台にはC,D,Eがいて順番に階段から上がって滑っているねぇ。」と言葉かけしながら滑り台でB君とみんなを出会わせ,順番に遊ぶことを見守りました。

自由遊びの時間には,園庭から戻ってきたB君に,それぞれの子どもが遊びたいものを選んで活動している様子を実況中継するように話しかけました。みんなの様子を見ながらじっと聞いていたB君は,D君の使っている玩具と同じものを探しはじめましたが見つかりませんでした。Aは,B君を促してD君の所に行き「同じ遊びがしたいので来たけどいい?」と声をかけました。するとB君はD君の返事を待っていました。Aには,B君が状況を理解できれば望ましい行動がとれるのではないかという仮説があったようです。

どんな支援も子ども本位のものでなければいけません。子どもの苦戦状況に対して隙間を作らない支援は子どもとの関係性を構築します。Aは,日々の対応を振り返り,B君が友だちと望ましいコミュニケーションを築くにはどうしたらよいかを常に考えていました。

どんな子どもも学びたい,育ちたいと思っている運動体です。大人の「あとでね」「ちょっと待ってね」は,チャンスを潰すことになります。コミュニケーションの場から離れた生活が続くと不適応を起こすしかありません。AがB君の気持ちに寄り添い、園という集団の中で必要な力を身につけていくことを応援したいと考えた背景には,タイムリーな支援を隙間なく適切に積み重ねることの大切さを教えてくださった園長先生や先輩の先生方のご指導があったようです。新任・中堅・ベテランとそれぞれが持つ強みを生かし,教諭も互いにタイムリーな会話でつながっていくことが,子どもたちとのタイムリーな関係構築の原動力になるのだと思います。

【新連載】3回シリーズ(1)

 子ども目線でつながっていく

皇學館大学 教育学部 准教授 山本 智子(上級教育カウンセラー・臨床発達心理士・学校心理士・ガイダンスカウンセラー)

 平成19 年度は,特別支援教育元年といわれています。特別支援教育は,その準備段階を含めると今年でおよ
そ20年が経ちます。障害に対する理解は,以前に比べ深まり広まったように思います。その中でも,幼稚園の先生方は,発達段階にあらわれる状態像と発達障害の特性が似通っていることもあり,気づきや対応では特別支援教育の最前線におられるといえます。この20年間の実践は尊いものだと思います。

 障害のある幼児は,自分の障害の特性について分析し理解することはできません。時には集団から離れて,なんだかわからないけれど「こうしたら落ち着く」ということをしてしまいます。また「我慢できない」「苦しい」「嫌だ」という気持ちを抱えきれなくて「やりたくない」「気が済むまでやめられない」という行動をしてしまいます。しかし一方,ネガティブな対応をされると,「大人はどうしてわかってくれないのだろう」と感じている一面もあります。

 先日,今春,幼稚園に就職した卒業生Aが,自分自身が苦戦状況にあることを伝えてきました。Aは,「加配として障害のある園児についているのですが,注意してばかりで。」といいます。五歳のB君は,廊下の棚に上ることが多く,主任の先生からは「やめさせなさい。」と言われているとのことでした。一方,B君からは,「前の担当の先生は,僕を叱ってばかりで幼稚園へ来るのが嫌だった。」ということを聞いているということでした。筆者は,棚に上がるだけではなくB君はもっと様々なことをしているのだろうと,想像しながらAに,B君が棚に上り下りする時,怪我をする危険があるのか,あなたはどのような指導がしたいのかを尋ねました。Aは,B君の行動は慣れたもので危険はないと理解していて,いつも上るわけではなく上らない時もあると気づいていました。しかし,初任者で自信のないAは,自分がどのように接していきたいかを言葉にすることができませんでした。

 B君がAに自分の気持ちを伝えていることから,B君がAを受け入れていることが伺えます。筆者は,先生方は,新任のAがB君とどのような関係性を築き指導していくのかを見守ってくださっているはずであることを伝え,自分の気持ちに蓋をしないで先生方に相談すること,子ども目線で状況を解釈することをアドバイスしました。 

 大人が「困ったなぁ。」と思う子どもは,実は,本人が一番困っていて,苦戦している子どもです。同じように,「しないのではなく,できない子。言わないのではなく,言えない子。」と考えると,子ども目線で子どもとつながる事はとても大切です。Aは,先生方に支えられ,B君とつながり共に成長していくのだと思います。

【新連載】3回シリーズ(3)

子どもと言葉と英語教育(3)

福岡女学院大学 人文学部 現代文化学科(准教授)能勢 卓

  今月で私が担当させていただいた連載記事、「子どもと言葉と英語教育」は最後になります。そこで今回は、児童英語教育を行う上で注意しておくべき点を確認した上で、実際に幼稚園年長の子どもたちに実施した授業を例にとりながら、幼稚園の児童を対象とした英語教育における授業の組み立てについて考えてみたいと思います。
 前号の記事で触れましたように、まず児童が理解できると思われる内容から導入し、そこからいかにプラス・アルファを積み上げていくかが一つ目のポイントとなります。そしてもう一つ注意すべきポイントとしては、クラッシェンの指摘する「学習」から「獲得」への展開が重要であると考えられます。それはつまり、りんごの絵を見て、「りんご」という日本語は英語の「学習」という状態から、りんごの絵を見て、自動的に的に言葉を処理できる「獲得」のレベルへと引き上げていくことが大切です。そして三つ目のポイントとして、授業プランの作成においては、まずテーマ(= ねらい) を決めた上で、そのテーマにおいてターゲットとなる単語と文構造(言い回し)を設定し、その上でそれらの単語や文構造を児童に発話させるためにはどのような活動を行えば良いかを考え、そしてそれらの活動を児童にとって分かりやすいものから難易度の高いものへと展開していくように配置していくようにプランを考える必要があります。

 私が2013 年度にアドバイザー的に関わらせて頂いた幼稚園の年長児(5歳から6歳の児童)のクラスでの一つの授業を、今回は一例として取り上げてみようと思います。その時の授業のテーマは「家族」であり、と自然と返答出来るようにすることがターゲット表現として設定されました。そこで実際の授業展開では、まず最初絵カードを用いてターゲットとなる単語を導認識できていない状況でした。そこでターゲット語となる人物のイラストをスマートボードに提示し、例えボード上に丸をつけてもらい、「おばあさん」がら、児童には各自の教科書に描かれたイラストを指でポイントしながら、それぞれの単語を声に出して発話するように指導しました。単語レベルの理解を促した童が単語だけを言って答えているのを、常に教員がへと児童を導き、これらの発問- 解答を何度も繰り返し、するようになりました。このように家族というテーマのもとで、必要となる単語レベルから文レベルの表現を難易度の低いものから高いものへと展開するように
活動を配置して児童自身の発話を促すことで、英語コミュニケーション能力の育成が取り組まれました。

【新連載】3回シリーズ(2)

子どもと言葉と英語教育(2)

福岡女学院大学 人文学部 現代文化学科(准教授)能勢 卓

  前回の4 月号では、主に子どもの言語獲得ということを中心にお話をいたしました。そこで今回は子どもと言葉の習得に関係して、外国語としての英語を学習・獲得するということを中心に少し考えてみようと思います。

 さて仮に40 代の父母と二人の子ども( 中学1 年生と幼稚園年長) のいる一家が、アメリカに行くことになった場合、現地で生活を始めて1 年ほどした時にその家族の中で誰が一番英語を自由に使いこなせるようになるかを考えると、恐らく幼稚園年長の末子が最も自然な英語で周囲の人々と会話をしていると予想されます。もちろん一年もアメリカに滞在すると中学生の子どもも日常的な会話は問題なく対応できると考えられますが、学校などでなされる説明や口頭での発表においては、発話内容の難易度が高くなっているためにある種の困難を抱いている可能性はかなり高いと考えられます。それに対し幼稚園年長の子どもの場合、1年もすれば周囲の子どもたちとコミュニケーションを図る上で何らの困難もなく、ネイティブ・スピーカー並みの自然な英語で周囲の子どもたちと遊びまわっていると予想されます。この幼稚園児の英語力の著しい伸長は、前号で紹介しましたレネバーグの言う臨界期の子どもたちの脳の可塑性の高さに起因する吸収力のお陰であるとも言えるでしょう。しかしここで一つ気をつけておきたいことは、言語の発達は全般的な知的発達に伴うものですから、認知的に準備のできていない子どもに難しい文法的な説明をしても効果は期待できないということです。それよりもむしろ、子どもたちは日常の言語使用の中で発音や言葉の使い方を自然と習得していくことが望ましいとも言えるでしょう。とは言え英語圏の国で生活していないのであれば、日常的に英語を使用する環境を得ることは難しく、必然的に限られた時間の中で英語に触れる機会を確保していくことになるかと考えられます。しかしその場合でも、子どもたちが第二外国語としての英語の学びを積み重ねていく上で対話や音声面のアプローチに重きを置くことは、それなりに効果を期待できるものと考えられます。

 それでは外国語としての英語を子どもたちが学ぶ上で重要とされてきた考えを二つ紹介しますと、一つはクラッシェンという学者のイン・プット仮説で、もう一つはスウェインのアウト・プット仮説です。このイン・プット仮説のポイントは、対象となる子どもが理解出来る内容の英語に沢山触れさせて、英語の音声や文構造に慣れ親しませることを通して、
対象となる英語表現を学習・獲得させていこうというものです。そしてアウト・プット仮説の方は、このイン・プット仮説を発展させたもので、理解可能な内容に触れるだけではなく、子どもたちにいかにしてその理解可能な内容を発語させていくかということをも含めた授業を設計していこうという考え方です。そこで次号では、これまでの先行研究を踏ま
えた上で、実際に幼稚園年長の子どもたちに実施した授業を例にとりながら子どものための英語教育における授業の組み立てについて考えてみたいと思います。

【新連載】3回シリーズ(1)

 子どもと言葉と英語教育(1)

福岡女学院大学 人文学部 現代文化学科(准教授)能勢 卓

 小学校での英語の教科化が様々な方面で話題となっている現在、多くの人々が早期英語教育への関心の高まりを感じているかと思います。そこでこの4月号から始まる3 回の連載を通して、子どもと言葉の関係に着目しながら、外国語としての英語を早い時期から学習することの有効性と注意すべき点について、少し考えてみたいと思います。

 そこで今回は子どもの言語獲得について考えてみたいと思うのですが、難解な議論をするのではなく、私の前任校である京都聖母女学院短期大学の講義におきまして学生に話していた、子どもの言語獲得に関します基本的な事柄から始めたいと思います。子どもと言語獲得については児童教育に関わる多くの人々が様々な不思議を感じているのと同じように、言語学者たちも様々な疑問を抱いていました。例えばレネバーグという言語学者は、「子どもが生後18ヶ月から28 ヶ月の間に言葉を話しはじめるのは、なぜであろうか?」と疑問に思いました。しかし世界中の母親がこの時期に言葉の訓練を始めている訳はないだろうから、それならば言語を発達させる要求は、主に子どもたちの内部における成熟過程によるものだと考えたのです。そしてレネバーグは、人に生得的に備わっている言語を獲得するプログラムのおかげでおおよそ2 歳頃の時期に言語が発生すると考えたのです。この人に生まれながら備わった言語を獲得する能力というのは、チョムスキーという言語学者が提唱したもので、人には何語であれ対応できる「普遍文法」(UG)が備わっており、それ故、人は生まれながらにして「言語獲得装置」(LAD)が備わっているのだという考えがもとになっています。

 さて話が小難しくなってきましたのでポイントを整理しますと、言語学者にとっても子どもが言葉を話すということ、つまり言語を獲得するということはとても謎に満ちたことなのです。その中で言語学者たちは、子どもが喃語や二語文などを経て言語を確立していくのは、人間に備わった言語獲得装置によるのだと考えたのです。そして子どもたちは大人では考えられない物凄い吸収力で言葉を獲得していくのです。ここで不図子どもの頃はよく覚えられたのに、大人になると中々覚えられなくなるということを思い出してしまいます。実はこの子どもと大人の物覚えの差は、いわゆる脳の柔らかさに原因があると考えられます。しばしば指摘されるように、子どもの脳はとても柔らかいのです。もう少し専門的な言い方をすると、子どもの脳はその可塑性が非常に高いのです。それ故子どもたちは、大人では考えられない程の吸収力で言葉を習得していくのだと考えられます。そしてレネバーグはこの脳の可塑性から、2 歳から12 歳の間を人が言語を獲得するのに適した時期とする「臨界期仮説」というものを提唱しました。つまり言語を獲得するには「脳の可塑性が高い(= 脳が柔らかい)時期」が良いという考え方です。そして実はこの考え方は、現在の日本の早期英語教育の潮流のもとになった考え方の一つなのです。そこで次号では、子どものための英語教育という話に進んでいきたいと思います。

【新連載】3 回シリーズ(3)

 「幼少期の間にしておくことが,今後につながる。」

京都市立開睛小学校 河田 理江

 「グー チョキ パー で グー チョキ パー で 何作ろう~ 何作ろう~♪」日本の幼稚園・保育園では,この歌に指遊びが付く。私が過ごしていた,ベナン共和国では,この歌が遊び歌ではなく,決まり歌になる。「アレ~エコール アレ~エコール オン トラバイ オン トラバイ♪・・・」(学校に行こう。しっかり勉強しよう。怠けてはいけない。しっかり勉強しよう。)この歌を幼稚園の子ども達が,園で歌っている。さらに,家で口ずさんでいる。この1つの歌を例に挙げたが,日本では,この他にも幼稚園・保育園で指を使った指遊びや指先を使った
創作活動をする事が多い。だから,小学生になった時に,折り紙の端と端をそろえて紙が折れるし,鶴を折ることもできる。はさみを使って上手に円を切ることもできる。しかし,ベナンの幼稚園では,指先を使った活動がほとんどない。だから,小学生に切り紙を教える為に,「紙の端と端を合せて三角に折りましょう。」と言った時もきれいに折ることができなかったのだ。担任の先生ですら上手に紙の端と端を合わせて折ることができなかった。指先には,末梢神経が集中していることから「第2の脳」と言われることがある。指先の運動は,脳にも刺激を与え,子どもの成長・発達を促す。日本の子ども達は,幼少期から指先を使ったたくさんの経験をしているから,大人になっても,細かい作業を簡単にすることができるのである。
 逆に,ベナン共和国の人々は,リズムに乗って踊るのが得意で,音楽が流れるとみんな踊れる。小さな子どもでも恥ずかしがることなくみんな自分でリズムをとって踊る。体育の時間に,担任の先生が「次は,だれが踊る?」と聞かれるとみんな手を挙げ踊りに来る。中には,身の回りにあるもので楽器を作り,音楽を奏でている子どももいる。日本の子ども達に「次は誰が踊る?」と聞いても,前にでてくる子どもは少ない。みんなの前で踊るとなると恥ずかしがって踊れない。しかし,ベナンに至っては,最後に,先生も踊りだす。この国で,踊りというのは家庭で教え,地域で教え,学校でも教える。だから,リズム感があるし,陽気なのである。
 このことから,幼少期にどれだけどんな経験をしているかによって得意なことに偏りができる。どちらが良いとは,言えない。ただ,言えることは,幼少期に学校や家庭で教えることが子ども達の未来にそのまま続くということだ。だからこそ,自分の目の前にいる子ども達にとって今,必要な力は何なのか?何を身に付けさせたいのか?ということを指導者がぶれてはいけない。どれもできない子どもになってしまう。新しい教育法ばかりを探していくので
はなく,日本の先人が伝え続けてきてくれた教育法を生かしつつ,目の前にいる子ども達と向き合った指導法を見つけていくことが大切だ。

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