新連載

【新連載】3回シリーズ(1)

カメルーンの森に暮らす子どもたち

国立民族学博物館 戸田美佳子

 中央アフリカに位置するカメルーン共和国。アフリカの縮図と呼ばれるこの国は、赤道近くの南部熱帯雨林帯から、北に向かって雨季と乾季をもつ半乾燥の草原であるサバンナ、そして乾燥したステップへと、湿潤から乾燥へと連なる多様な気候や植生が広がっている。人びとはそれぞれの自然環境に適応した狩猟や採集、農耕、牧畜を営み、平等主義的な社会から王をもつ重層的な社会まで多様性に富む社会を築いてきた。

 私は2006 年からほぼ毎年この国を訪れ、人類学的な調査をおこなっている。この国の公用語である仏語も現地語もできなかった私に「これは・・って言うんだよ」とたくさんの物の名前を教えてくれ、川や森で一緒に遊びながら生活の仕方を身につけさせてくれたのが、優しくも頼もしい、そこに暮らす子どもたちである。
3回にわたって、私の先生でもあるカメルーンの子どもたちを紹介していく。初回は、熱帯雨林に暮らす狩猟採集民である。

 カメルーン東南部は、世界第2の森林面積を誇るコンゴ盆地の北西端に位置し、森林性のマルミミゾウやゴリラ、チンパンジーなどの希少動物が生息している。そしてこの森に古くから暮らしてきたのが、肘から拳までの長さを表すギリシャ語にちなんで「ピグミー」と名付けられた狩猟採集民たちである。

 鬱蒼とした森林のなかをさっそうと駆け回る彼らは、まさに「森の民」といえる。動植物について驚くほどの知識をもち、例えば、(私には)どこにいるのかもわからない動物の鳴き声だけで「(動物の名)がいるよ」と発見し、何かに擦れた樹皮をみつけて「ここはゾウの道だよ」と教えてくれる。こうした豊かな森の知識を子どもたちはどのように身につけていくのだろうか。実は、狩猟採集民社会では、学校制度をもたないだけではなく、大人が子どもに物を教えるという態度がほとんどなく、しつけらしいしつけもみられない。子どもは年長者や大人と行動をともにしながら、森の知識や生きていくための技術を身につけていく。

 そうした狩猟採集民社会では近代的な学校教育は馴染まないものだと言われてきた。狩猟に適した乾季や野生果実の結実期には、普段暮らす村を離れて、森のなかで遊動生活をする。なかなか学校に通わない狩猟採集民に学校関係者は頭を抱えているのも事実だ。

 他方で現在、森林の開発と自然保護をめぐる政策の間で、彼らは主流社会から排除されてきた「先住民」としての立場が強調されるようになっている。

 本誌で紹介した狩猟採集民はバカ語を話すが、カメルーンでは250 以上の民族集団が存在し、それぞれに独自の言語をもつ。幼稚園、小学校から大学まで公立学校では公用語である仏語と英語が使われており、仏語が話せないと町で仕事をしたり、公的なサービスを受けることもできない。ただし、学校に通ったことがない狩猟採集民の年長者や女性のなかには仏語を話せない人が少なくない。狩猟採集民が公に発言できる機会は限られており、不利な立場を強いられてきたのも事実である。

 最近では、彼らのなかにも教育を受けて、自分たちの生活を守るために活動する人が増えてきた。ただ、変わるべきは狩猟採集民だけなのであろうか。伝統と近代といった2 項対立的な選択を迫るのではなく、私の小さな先生が目を輝かせて語る森の話に耳を傾け、彼らのよりよい生を探っていきたい。

※おすすめ本『森の小さな<ハンター>たち―狩猟採集民の子どもの民族誌』
亀井伸孝著(2010 年、京都大学学術出版会)

【新連載】3回シリーズ(3)

 保育者の専門性について問う
─同僚性─

金沢星稜大学 福井 逸子

 最近、保育の現場では、「同僚性」という言葉が良く聞かれます。「同僚性」とは、小学校以降の教育現場では、同僚同士が授業を見合い、それぞれの知識や経験を行き来させながら、相互に授業力を高めていけるような関係やあり方を指します。保育現場には、「授業」は存在しませんが、園内研修、クラス会議などを通して子ども理解を深め、専門性を高め合う関係を「同僚性」と呼ぶようです。

 文部科学省の「今後の教員養成・免許制度の在り方について」の答申の中では、社会の変化への対応や保護者等からの期待の高まり等を背景として、教員の中には、多くの業務を抱え、多忙感を抱いたり、ストレスを感じたりする者が少なくないことを指摘しています。このような現状の中でこそ、学びの共同体として「同僚性」を十分に発揮していくことが課題ではないでしょうか。昨今、保育現場でも、業務内容の拡大と共に、多様化する保護者のニーズへの対応などが山積しており、心の健康を損なう人も少なくありません。このような時こそ、保育者同士が互いにサポートし合い、同僚間で学び合い、教え合う園内体制が整えば、ストレス軽減に繋がるのではないかと考えます。

 さらに、現行の『幼稚園教育要領解説』では、保育者間で、互いに指導事例を持ち寄り、話し合うなどの園内研修の充実を図ることの必要性について言及されています。この記述からも、保育の専門性を高めていくこと、即ち、自分の保育の見直しやより深い子ども理解の習得には、同僚間での連携が欠かせないことが理解できます。

 しかしながら、その一方で、昨今、保育者がバーンアウトしないように保育業務の効率を図ることも推奨されています。限られた時間の中で、保育者の専門性を担保していくためには、会議の方法や研修体制の見直しを考えていく必要があります。そこで、私は、ある保育現場で「振り返りノート」と「赤ペン先生」と命名した実践を行いました。「振り返りノート」は、日々日記をつけるような感覚で、目の前の子どもの印象的な場面とそれに対して気づいたことを二つの柱(その子どもの行動の意味と自らの保育のあり方)で取り上げ、A 4 一枚以内に書き留めました。その中から毎月一事例を選択して、集まったものをまとめ職員室で順次、チエックをして回覧していくという方法です。各自のチエックポイントは、この場面では、子どもの姿が頭に浮かんでこない?この気づきは、別の見方をしてみることも必要なのでは?等どちらかというと批判的な見方(クリティカルな思考)で取り組むことを目標にしました。保育者同士の共感は大事ですが、そればかりだと、保育の専門性の向上には繋がりません。当初、若い保育者が先輩保育者には、意見を書きにくいという課題もありましたが、若い保育者から回覧して自由に意見を書き込めるように配慮しました。慣れてくると他者からの意見を基に自らの子ども理解や子どもへの関り方がフィードバックされる効果も見られました。このように、同僚性は、互いに成長し、高め合っていく関係であり、集団になくてはならないものであると考えます。

【新連載】3回シリーズ(2)

 保育者の専門性について問う
─保育保健とは─

金沢星稜大学 福井 逸子

 今回は、保育者の専門性の中でも、特に「保育保健」というテーマを取り上げてみたいと思います。幼稚園現場では新学期のこの時期、新入園児を対象にトイレや手洗い、うがいの方法、衣服の着脱など、基本的な生活習慣の確立を目指した「保健指導」が行われています。一般的に幼稚園では、学校教育法ならびに学校保健安全法規定の下に、内科検診/ 歯科検診/ 眼科や視力検診など様々な健康診断が年間を通して実施されており、日々の幼稚園生
活においても子ども達の健康観察は保育者の必須事項となっています。それに対して、より専門的観点に立つ「保育保健」という言葉は、幼稚園の現場では、馴染みのない言葉ではないでしょうか。

 兵庫県医師会発刊の『保育所・幼稚園における健康管理マニュアル』では、保育現場における、日常的な観察のポイントとして、「か・き・く・け・こ」に留意すべきと記載されています。【か:顔つき・顔色】 子どもの表情に眼力があるか、顔色が悪くないか。【き:機嫌】機嫌が悪くて親から離れられない、理由もなくずっと泣いている。不機嫌というだけでなく、実は中耳炎や尿路感染症、鼠径(そけい)ヘルニアなどの疾患が隠れていることもあるそうです。【く:食い気(食欲)】 子どもは病気になると途端に食欲が落ちて、食べられなくなります。さらに重症の場合になると、水分摂取もできず、脱水症状に陥ります。【け:元気】 子どもは健康な時は元気に動き回っていますが、急にじっとして動かなくなった、眠いわけでもないのにぼんやりとしている場合は、発熱の有無や呼吸の状態など全身のチェックを心掛けると良いでしょう。【け:元気】け:元気 子どもは重症の疾患になると呼吸が浅く、速くなることが多いと言われています。普段よりも呼吸数が多く、努力呼吸が見られる場合は、呼吸困難とならないよう、直ちに適切な処置が必要です。

 しかしながら、園児の健康観察・保育保健を行う保育者は、上記のような疾病や異常を発見するだけでなく、心身の健康のひずみを思わせる変化や、何気ない子どもの訴えなどのソフトサインも見逃せません。そして、気になる子どもの親には助言をしたり、親同士の交流の機会を設けるなど健康面でのサポート体制の強化、保護者への健康指導も、昨今、保育者の重要な役割となっています。

 さらに、幼稚園では、子どもの生活の場となる施設の通風や換気、気温や湿度、採光の調整、砂場やプール、遊具や玩具など子どもを取り巻く全ての環境に対する安全面の配慮と衛生管理も必須です。

 近年、幼稚園は、3 歳児保育、3 歳未満児保育等、入園児が低年齢化しており、日々の保育の中で子どもの生命を守り、育てることが以前にも増して重要な課題となっています。保育者は、個々の子どもの健康問題に適した対応が行えるように、日頃から子どもの健康に関わる知識や技術を身に着けておかなければなりません。この姿勢も保育者としての専門性のひとつではないかと考えます。

【新連載】3回シリーズ(1)

 保育者の専門性について問う
─書くことの意味─

金沢星稜大学 福井 逸子

 私は、兵庫県内で13 年間幼稚園教諭を務めた経験を基に、大学院で保育に関する学びを深めました。現在は、その研究成果を現場に還元しつつ、石川県で保育者養成に尽力しております。今回から3回に渡り、先生方と共に「保育者の専門性」とは何かを考えていきたいと思います。

 昨今、保育現場では、「保育者としての専門性の向上を目指し、研鑽すること」が求められています。文部科学省が平成14 年に発表した「幼稚園教員の資質向上に関する調査研究報告書」では、求められる専門性として、幼児を理解し総合的に指導する力、具体的に保育を構想する力、実践力、教員集団の協働性、特別な配慮を要する幼児への対応力、小学校や保育所との連携を推進する力、保護者及び地域社会との関係構築力、管理職のリ
ーダーシップ、人権に対する理解など、多岐に示されています。いずれにおいても大切なことは、「自ら学ぶ姿勢」です。

 実際、日々の保育の中で、これらの専門性を高めて実践していくには、相当な自覚と緻密な計画性が必要となります。先ずは、保育者が個々の課題から打ち出した一つの達成目標に向かって進んでいく行為を積み重ねる必要であると考えます。それが、やがては個々の、また園全体の専門性の向上に繋がっていくのではないでしょうか。

 そこで、今回私は、保育者の専門性の一つとして「記述力」に着目しました。保育現場では、子どもの育ちを理解し解釈するため、また、保護者との情報を共有するために、日々の保育を振り返り、記録を書き留める行為が必須となります。さらに、その記録を基に、指導計画や指導要録の作成を行うなど、書くという作業から逃れることはできません。

 しかし、ある保育者から「最近の現場は、書類ばかりが増えて、まるで書き物地獄のようです」との言葉を聞きました。ここには、保育者が書くことばかりに捕らわれ、ゆとりを失っている現状が伺えます。改めて、「書くという作業は、誰のためのものか」を再考する必要があるのではないでしょうか。「書くこと」は、目の前の子ども達と自分自身のかかわりや専門性の向上に繋がり得るものです。文科省が挙げている上記の専門性のうち、幼児理解や保育の実践力、保護者支援など多くの項目にも、原点には保育者の「書く」という作業があると考えます。つまり、保育は、書くことから始まると言っても過言ではないのです。

 しかしながら、現場からは、何をどのように書けば良いのか、具体的にどの場面を描くのか等、自らの保育を上手く言語化できず苦慮しているとの悩みが多く聞かれます。このような時、私は「個々の主観であっても、描かれた記録は、保育者の様々な感性が散りばめられた素敵なものなのです」と励まします。先生方も、書くということに躊躇しないで、それを楽しむゆとりも持っていただきたいと思います。そうなるために、私たち養成校教員も学生の指導だけでなく、現場と協同して「記録を書く」ことについての研究を続けていきたいと考えています。

【新連載】3回シリーズ(3)

こどもたちのための遊具制作

京都聖母女学院短期大学 准教授 山成 昭世

 京都聖母女学院短期大学・児童教育学科は1968 年に幼稚園教諭、小学校教諭の教員養成校として設立され、2000
年に保育資格が取得できる養成校となりました。
美術研究室主催の卒業作品展「こどもたちのための遊具」は1978 年にはじまり、2018 年には40 回を迎えます。これまでに制作された遊具総数は約1200 余点。遊具制作に関わった学生は4800 余名になり京都聖母女学院短期大学・児童教育学科の特色ある取り組みとなっています。本学の卒業作品展に足を運んでいただいた幼稚園の先生方も多いと思います。

 「こどもたちのための遊具」制作を行うに至った経緯は、2回生も後期になると必要単位を履修し、学生生活にもゆとりは出てきますが保育者を目指すモチベーションまでが低下する様子が伺えました。当時の研究室教員メンバーが、このような学生の現状を危惧して児童教育学科で学んだ2年間の学びの総まとめとして、こどもの視点に立った「こどもたちのための遊具」を造形表現してはどうかと提案され取り組むことになりました。

 遊具制作の目的は「造形教育を通して単に美術作品を創造するだけでなく、人間的に豊かで、想像力に富む教員を養成する。」「造形教育によって思考力、計画力、実践実行力、コミュニケーション力を養うと共に、問題に直面したときに見通しを立てて課題を解決できる保育者、小学校教員を養成する。」とし、本学の養成校としての造形教育の総まとめとして実施されてきました。

 遊具制作は木工制作を主としますが、学生の造形したいイメージに沿って樹脂や布も取り入れた指導をします。「図画工作2」小学校・幼稚園・保育士の免許選択必修科目で行い15 回授業(1 回90 分)で完成させ、卒業作品展「こどもたちのための遊具」として学外に作品発表する機会を設けます。児童教育学科卒業生がほぼ全員遊具制作に携わり、全国の養成校中でも稀な取り組みとして新聞にも数回紹介されました。
40年間継続する中で実施形態に変化もありましたが、目的は変わることなく受け継がれています。
遊具制作のポイントは、こどもの心身の発達や運動能力を考えられているか、グループ(4 ~ 5 名)で協力して制作に臨んでいるか、安全性を考慮した遊具であるかが指導上の大きな課題となります。

 短期大学養成課程では2 年間で保育者としての指導力を身に付け、幼児の造形表現の指導法など専門教育が多く求められています。学生の遊具制作は完成近い約1 ヶ月間は制作に明け暮れると言う日々を過ごします。その時間は造形表現を通して学生に内的考察を促す時間となり、グループ内での衝突や、他者と協調、協力することの大切さを学ぶ時間となります。更に遊具を完成させた時の達成感が自己肯定感へと繋がり自信となったことが学生の書き記した「制作ノート」の感想から伺えます。

 学生気質や保育職に対する意識など40 年間の歳月で変化したものは多くあります。しかし、卒業制作の目的「造形
教育を通して単に美術作品を創造するだけでなく、人間的に豊かで、想像力に富む教員を養成する。」などは変わることなく本学の伝統として受け継がれています。遊具制作も母親から娘世代へバトンタッチされ学生から「お母さんも卒業制作で遊具を作りました。」との声を聞きます。世代は変わってもその伝統が「質の高い保育者養成の一端を担いっている。」という自負を持ちこれからも養成校の大切な学習の柱として造形教育を続けていきたいと考えています。

【新連載】3回シリーズ(2)

絵の具やパスを使って

京都聖母女学院短期大学 准教授 山成 昭世

 私は長い間、具象形態を塑像で作品制作しています。簡単に言いますと見たものを、心にあるものを粘土を使って立体作品へと仕上げていくことです。方法は芯棒を組み立て粘土でモデルの人体構造や、動き、量感を肉付け造形します。このような塑像の技法で作品制作している有名な芸術家はロダンがあげられます。京都国立博物館にある「考える人」は塑像制作された作品をブロンズに置き換えて造形されたものです。原型があれば複製が可能なので世界中に「考える人」は点在します。私の塑像制作への道は、京都芸術大学名誉教授・故山本恪二先生のアトリエに入門し彫塑の勉強をしたことに始まります。鉛筆デッサンが苦手な私に「粘土でデッサンすればいい」とアドバイスしてくださり、その一言が私の苦手意識を払拭し一層、粘土という素材に親近感を抱き塑像制作に打ち込むようになりました。粘土でモデリングしモデルの動静や生き生きとした生命感が表すことができ粘土でデッサンすることはこのようなことなのか理解することができました。

 自分自身の幼児期の原体験を振り返ると常に土に触れて遊んでいた記憶があります。作ったものを先生がたいへん褒めてくれ、土だんごや紐作りで偶然できた形からイメージが湧き見立て遊びをし、形を発見した時の喜びや充実感は大きいものでした。土を触っていると「親水感」や「親和感」が得られ落ち着いた態度と穏やかな気持ちで、時間を忘れ土遊びに没頭していました。太古から土は人々の生活と共にあり人が火を手に入れたことで粘土の造形物は存在し発展しました。土で造形された最初のビーナスは紀元前6000 年前に造られたとされバルカン地方で発掘されました。その造形表現は乳房や臀部が誇張され豊穣多産を願う人々の強い思いを現代の私たちに伝えています。太古の人々が土から生命感やエネルギーを感じる思いが私の造形活動の柱であり、よりどころとなっていると強く感じます。

 土の第一の特徴である可塑性は変形しやすい性質、元に形の戻らない性質を言います。真逆に元にもどる性質を弾性と言います。幼児にとって粘土遊びは自分の思いのままに形を作っては壊し、また作り直すことができる安心できる素材と言えるでしょう。幼稚園教諭によると何を教えて良いかわからない。また、粘土は準備や後始末が煩雑で扱い方が面倒で敬遠する傾向にあるとの事を聞きました。そこで、幼稚園児を招いて、本学で「粘土の造形遊び」を実践しました。実践では普段園児が手にしたことのないような大量の粘土を渡します。粘土の塊を糸で切断しそのなめらかな切り口を楽しんだ後は、団子作りや紐作りにはじまりそれらを繋いで「積む・つなげる・並べる」の活動がはじまります。隣の友だちと紐がくっついたり離れたりしながらそれらの遊びが発展し子どもたちが主体的に周囲と関わり目を向けて粘土の造形活動が展開していきます。ある園児が粘土の上を飛び跳ねていてその様子を見ていた他の園児たちも同じように粘土の上を飛び跳ね遊びの連鎖が起こりました。圧縮されて伸びた粘土は密度が細かく重なりより強くなります。その粘土を使って新たな造形活動が展開していきます。粘土は子どもが思ったように姿を変えます。これこそ可塑性と言う大きな特徴です。

 保育者研修で粘土造形の連続講習を担当していますが、参加した保育者の報告には「子どもの心情、意欲、態度、思いに寄り添う、共感するということが粘土造形を体験して理解できた。一番の成果は子どもと同じ立場に立ってその思いを感じた。」とありました。また、「楽しそうだからやってみたいという意欲、作品作りに没頭した集中力、自分のイメージに通りの表現法を見出した時の喜び、作品が出来上がるまでの期待感、そして完成した時の達成感。そのような感情こそが保育に大切なものと感じた。さらに、言葉ではなく心で理解する。心が育つ、心を育てることがこの研修会で理解できた。」と述べられていました。幼稚園教育の現場で働く皆さんも、土に触れ園児と共に思う存分粘土遊びを楽しんで欲しいと願っています。

【新連載】3回シリーズ(1)

絵の具やパスを使って

京都聖母女学院短期大学 准教授 山成 昭世

 本学の美術科授業では保育や教育現場で日常よく使用されている絵の具やパスを使ったさまざまな表現技術を習得し体験する授業を設けています。学生の中には「小さいころから思ったように上手く描けない」など造形表現に苦手意識を持ち、積極的になれず周りの目を気にして萎縮した態度で課題に臨む学生が多くいます。私は保育者や教育者を目指す学生が消極的な態度で苦手意識を抱えたまま、保育の場で造形指導に臨むことは避けたいと常々思っています。言葉による自己表現がまだまだ拙い子どもは絵や形に表したり、音やリズムに身体全体を使って何かを表そうとします。その思いを受け止め、子どもと共感できる保育者を育成したいと考えています。授業は具体物をそのままに書き写すのではなく、絵の具やパスを使ったさまざまな技法による表現を体験し、偶然できた色や形から意外性や面白さを感じ取り、思いがけない造形表現を発見する授業内容を取り入れています。絵の具やパスを使ったさまざまな技法をモダンテクニックと言い、小学校の「図画工作科」や幼稚園、保育園の造形指導でも多く取り上げられています。
 マックス・エルンストやジャクソン・ポロックなどの芸術家もさまざま技法を用いて作品を制作しています。シュルレアリスム作家を代表するマックス・エルンストはコラージュ(はり絵)やフロッタージュ(こすりだし)やドリッピング技法を用いて幻想的な作品を制作しました。エルンストにとってデカルコマニーやフロッタージュによる偶然の造形表現は想像力を刺激し創作に駆り立てイメージの源を与えるものでした。アクションペインティングを代表
するジャクソン・ポロックは、大きなキャンバスの上を筆を用いず絵の具を垂らしながら歩き回るドリッピング(drip)技法で、絵の具の重なり合った軌跡を表現し鑑賞者を圧倒しました。1950 年作「One(NO.31)」はポロックの代表作といえます。保育や教育の場でもよく使われているこれらの技法は、多くの芸術家も創作活動に取り入れており造形表現は広く深いと言えるでしょう。機会があれば是非、画集をご覧になってください。
 さまざまな技法を学ぶ授業は机上の作業に縛られず、一人ひとりの感性と身体全体の感覚を駆使しながら躍動感やリズム感を表現し新しい造形表現の発見になります。自らが体験することで全身を使った子どもの身体的リズムや感情表現と結びつき、子どもの自発的な造形活動を理解する手がかりとなっています。線を引いたり、点を打ったり、手で描いたり、見たままを描く緊張感から解放され、造形遊び的な活動を通して試行錯誤しながら表現する楽しさを味わえるように工夫しています。しかし、これらの技法表現は簡単に取り組むことができるが故に無意識に量産されて作品つくりの意識が低くなることは否めません。そこで瞬時の造形表現も時間をかけて取り組むように指導することで、画面構成や色調、リズム感、動静などが反映されテーマ性を帯びた作品となります
 授業アンケートからは「造形表現が深まり広がった。」「解放感がありのびのびと楽しく取り組めた。毎回わくわくした気持ちで活動したので、この気持ちを保育・教育の場で子どもと共有したい。」造形活動への意欲の高まり、さらに教育や保育現場での支援や環境設定や言葉かけにも意識が向き保育者としての気付きも伺うことができました。最終的に作品集としてまとめ作品を振り返ることで、「新しい表現に出会い、自分の作品を客観的に評価し自信が持てるようになった。自分の本ができたようで嬉しかった。」など達成感、自己肯定感が述べられていました。
この授業を通して自分が楽しんだ造形活動を子どもと共に実践し共感したいと意欲的に保育現場での造形活動を考える一助になったのではないかと思っています。

【新連載】4回シリーズ(4)

森のようちえんの世界的広がり

広島文教女子大学教授(人間科学部・初等教育学科) 杉山 浩之

 保育者(スタッフ)は、保育園・幼稚園の保育者を初めとして、キャンプ野外活動の指導者、小学校教員、森林関係の指導者、保護者など様々な出身からなる。無認可の場合、資格免許は必要とされてはいない。しかし当然、保育者としての感性や野外活動・自然についての基礎的な知識は必要である。それは一つの園で全員が持っている必要はなく、保育者が協働で得意分野や苦手分野を支え合いながら子どもたちの成長を見守っている。

 森のようちえんでは、保育者は積極的な関わりや声かけはしない。安全性の確保に関しても例外でなく、前もって安全のためのルールを子どもたちは覚えている。相当な危険な場所は、初めから遊び場として排除されている。ルールを守れば安全性が確保される環境が中心とはいえ、草むらに入れば蛇がいる可能性はある。しかし、前もって下見して、まむしなど毒蛇がいるような場所は出来るだけ避ける。深い池があるような環境であるとか、落ちれば命に関わるような崖がある環境などは適当な場所ではない。植物の漆(かぶれの木)やマムシ草が生える場所は自然環境では至る所にあるので、そのような場所では子どもたちに毒性のある植物は触れないことを教えておく。木の実に関し
ても、食べてよいものと食べてはいけないものとがあるので、自然状態に応じて決めるが、似ている木の実があるときなどはすべて禁止することが安全である。
ジュースや飴などは蜂を誘うので、森の中には持って来ないようなルールも必要である。安全性確保のための、服装があり、長袖長ズボンは夏でも同じである。胸元や足首の露出は危険である。それも環境によって柔軟に対応することが基本であろう。

 日本の森のようちえんでは、森に傾斜のある場合が多く、そこには小川や渓流がある。保育環境に水があることは活動の幅を広げる。水の中には生物が棲息し、生命活動がある。きれいな石があり、植物も育っている。
さらに日本では森に針葉樹や広葉樹など多様な樹木があり、食べられる木の実や果物も豊富にある。可能な食べものを見分け、調達する力も生きる力として大切である。

 多様な経歴を持つ保育者がいることは子どもにも良い刺激となる。生物多様性は種の保存を支える条件となる。人間組織の場合も同様のことが言える。保育者の特技や感性・考え方が多様であることは保育の豊かさを保障する。

 森のようちえんでは、森や里山など自然環境を中心にした野外保育が行われる。森や里山には、不思議で感動を与える自然の事象があふれている。そこでは、子ども一人ひとりが自分のペースで興味・関心のある事象にかかわることを通して、自己発揮を遂げ、遊びこんでいく。さらに、豊かな自然の中で好奇心を満たされて、仲間ととともに遊びを深めた満足感や達成感を味わいながら、子どもたちは遊びきっていく。保育者は自然環境の豊かさを十分に生かし、子どもたちが異年齢交流しながら、仲間とともに協同して遊びを創造したり工夫したりすることを援助する。森のようちえんの子どもたちは、豊かで不思議に満ちた自然環境の中で遊びきることを通して、健康な身体、豊かな人間性、学びの基礎を培い、仲間との遊びを通して思いやりや探究心が育ち、生きる力の基礎を身につけていく。

【新連載】4回シリーズ(3)

森のようちえんの世界的広がり

広島文教女子大学教授(人間科学部・初等教育学科) 杉山 浩之

朝の会が終わると子どもたちは目的の場所まで走ったり、ゆっくりと道草したり、それぞれの自分のペースだったり仲間と一緒だったりする。6 人に1人程度のスタッフ(保育者)は先頭付近と後尾付近を子どもと共に歩んでいく。

 子どもの遊びにはいろんな活動がある。季節の草花の造形、お店屋さんごっこを初めとしたごっこ遊び、鬼ごこ、川遊び、小動物を見つける遊び、木登り、ツリーハウス造り、ターザンごっこ、野菜栽培や収穫・調理、薪割りや焚き付けなどなど。すべて生の自然から創り出す遊びの生活である。

 身体の爆発的な成長期でもある幼児期は、体力の限界に挑戦するような急な山道登りも達成感や冒険心を味わう活動として好まれる。身体面の発達と精神面の発達が重なった時、子どもは大きく成長する。帰りの会では、一日の活動の振り返り、歌、読み聞かせなどが行われる。最後に、森にあいさつして、森を後にする。

 保護者は、森のようちえんに様々な思いや期待を込めて子どもを預ける。認可外の森のようちえんに子どもを預ける保護者は、子ども時代の自然体験の良さを知っている場合が多い。子どもの教育だけでなく、生活スタイルも自然を大切にし、食生活を初めとする衣食住に拘る保護者もいる。

 自立した子どもを育てるためには、保育者の援助は控えめがふさわしい。積極的に手伝う、助けるという行為は自立を遅らせるからである。転んで泣いても、近づいて、慰める必要はない。褒める、叱るもしてはいけないわけではないが、余計なお節介は必要ない。ただし、一人ひとりの発達を見極め、必要に応じて、自己肯定感を高めたり、自
惚れを戒めたりするような関わりを行うことは大切なことである。ナイフやノコギリ、鉈も徐々に使えるようになる。マッチで火をつけることも覚えていく。かつての子どもたちがしていたように、遊ぶ道具を自然から調達し、自分で作る。自然の中で生きるための技術と知恵も身につけていく。自分で食べるものを自分で調理する経験も必要で
ある。森のようちえんでは「木登り」もよく行われる。昔は子どもの遊びとしてよく見られたが、最近は木登りする子どもは見かけない。木登りは腕や足だけでなく、恐怖心を克服する勇気や登り方を工夫する前頭葉の知的活動である。年少児は、初めは年長児の登る様子をじっと見ているが、やがて身体が大きくなり登れる日がやって来る。精神的にも大きくなる契機となる。

 森のようちえんは森が活動の中心であるが、地域で暮らす人々と交流し、社会生活も体験する。高齢者と子どもの生きるリズムが合い、お互いに求め合うということもある。里山保育がそれを可能にし、地域の伝統も継承される。

【新連載】4回シリーズ(2)

森のようちえんの世界的広がり

広島文教女子大学教授(人間科学部・初等教育学科) 杉山 浩之

日本の森のようちえんは、無認可つまり法的な保障がなく、運営費用は保育料のみに頼っている。それにもかかわらず、2010 年代以降、週一回のお散歩保育から週三日、やがて毎日型の森のようちえんへと普及拡大している。とはいえ、その数は三ケタになったばかりである。未満児の親子組クラスもある。その背景には、私たちの生活が自然から遠ざかり、子どもたちの遊びも屋外から屋内へとシフトし、いわゆる携帯型ゲーム等の個別型の遊びが流行していることから、子どもの教育環境への危機意識があること、さらには、学びあう教育から一方的に教える教育が幼児教育の現場にも浸透したり、学力に繋がる早期教育が就学前の子どもたちに拡大していることなどがある。自然が失われた大都市から自然豊かな地方へ移住し、子育てをするという動きともリンクしている。

 その先導役を果たしている一つが、鳥取・智頭町にある森のようちえん「まるたんぼう」および「杉ぼっくり」である。ここには、森のようちえんで子育てをしようと関西はもちろん沖縄・福島など全国からの移住者が来ている。日本の森のようちえんは、世界でも珍しく無認可・補助金なしで運営されているが、例外がある。それが森のようちえん認証制度を県条例(2015年)で定めた鳥取県である。県から1/4、市町村1/4、保護者の保育料1/2という基準で運営費が決められている。智頭町を始め、鳥取市、倉吉市、伯耆町などで、20 人前後、3歳から5歳の異年齢の子どもたちが集まり、毎日森の中で遊んで過ごしている。スタート時点では六園(二園が智頭町にある)認証されている。鳥取ではさらに開園する動きがある。そして認証制度が始まった後も主催者会議で実態や課題を交流
し改善策を検討している。

 国内では、長野県において最も多くの森のようちえん(16 園)が運営されており、森のようちえんを支援する組織として「信州型自然保育認証制度」が2015 年度に始まった。そこでは、一般の保育園や幼稚園も加盟して、自然保育の質保障ということをスローガンに事例を集め、保育研究が推進されている。その他、三重県、岐阜県などにおいても行政の支援が始まろうとしている。

 森のようちえんの一日は、午前十時ごろから午後二時ごろまでの四時間が平均的である。その間に昼食(子どもたちが相談して始まる)が入る。活動の始まりと終わりには、必ず朝の会と帰りの会が行われる。

 朝の会のプログラムが園により多少異なるが、園独自な歌から始めることも多い。手遊びや身体表現もよく行われる。そして健康観察と点呼があり、子どもたちは森の入り口で大きな声を出し、森にあいさつし、元気さをアピールする。最後に今日の遊びや活動、そして森の遊びのルールが確認される。棒を人に向けない、大人が見えないところや声の届かない所には行かない、友だちを押さないなど安全に関わることが多い。安全確保は、スタッフと子どもとで確保され、認証制度は1 人以上いる有資格者を信頼する。