新連載

「子どもと音楽」3回シリーズ(2)

【第2回】「リズムにのって動く~心も身体も動き出す」

京都教育大学
平井恭子

 前回は、歌の原点をさぐりながら、歌うこと、歌い合うことのすばらしさについてお話をしました。今回は、歌っているときの子どもの身体の動きに着目し、身体でリズムを感じ動くことの意味について考えてみたいと思います。幼稚園では、音楽に合わせて体操をしたりダンスを踊ったりする機会がたくさんありますが、聞こえてくる音楽のリズムに自らの身体の動きをコントロールして合わせることは、大人が考えるほど容易なことではありません。それでは、音楽に合わせて動く能力はいつからどのように獲得されていくのでしょうか?

身体が自然に動き出す

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 写真は、赤ちゃん(11カ月)とお姉ちゃん(2歳7カ月)の2人姉妹です。お姉ちゃんがが絵本に出てくる子猫の絵を見て「まいごのまいごの…」と「犬のおまわりさん」の歌を歌いはじめると、床に座っていた赤ちゃんがソファーにつかままり立ちし、身体を繰り返しバウンスしたり頭を上下に振りながら歌に合わせて動き始めました。

 このように、音楽のリズムに反応して身体が自然に動き出す行動は、世界中どの文化圏でも認められる現象で、発達の初期の段階から見られます。最近の研究から、赤ちゃんが自分の身体を動かすことがリズムの知覚に有効に働くことが分かっており、ちょうど音声模倣を始める9~10か月頃から、自ら積極的にリズムにのって身体を動かす姿が頻繁に見られるようになります。

手や足の動きが歌と同期しはじめる

 前例にみられるような0歳児の動きは、自然発生的かつ衝動的なものですが、1歳を過ぎると、親や保育者のする手遊びを見て、部分的に言葉を発しながらリズムに同調し始め、2歳から3歳頃にかけて歌いながら動きを再現する能力は飛躍的に発達します。動きの種類でいうと、手拍子や腕を振る動作は、比較的早くから歌と同期するようになります。一方、足の動き(歩く、走る、ジャンプなど)と歌の同期は、認知的な発達との関係から、歌と手の同期からは約1年から1年半遅れて可能になります。

歌いながら動く~心と身体の調和へ

 このように、流れてくる音楽に自らの動きを合わせ始めるずっと前から、子どもたちは積極的に自らの歌と動きを同期させ始めます。自分の声と身体の動きが一体となる心地よさを、生活や遊びの中で十分に味わうことは、音楽的感覚を養う上ではもちろん、心と身体を調和させていく意味で、とても重要です。幼稚園生活の中でも、いろいろなシーンの中で自らの声と動きを調和させる活動を十分に味わわせてあげたいものです。

  

「子どもと音楽」3回シリーズ(1)

「声を合わせる~歌うことは、生きること、つながること」

京都教育大学
平井恭子

 今回から3回シリーズで「子どもと音楽」についてお話したいと思います。まず第一回目は、子どもにとって最も身近な「歌うこと」の意味を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 先日ある幼稚園のそばを通りかかると「こいのぼり」の歌が聞こえてきました。「ああ、もうすぐ子どもの日だな」と感じるとともに、歌は子どもたちの生活を豊かに彩ってくれる大切なものだなと改めて思いました。

うたとの出会いはいつから?

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 ところで、子どもたちはいつからどのようにして歌と出会い、歌うことできるようになるのでしょう。最近の研究では、通常の語りと歌とでは、はるかに歌の方に赤ちゃんが強く引き付けられることが分かっています。写真は、生後3か月の赤ちゃんにお母さんが童謡の「ぞうさん」を歌い聞かせている場面です。お母さんが「ぞうさん、ぞうさん…」と歌い始めると、赤ちゃんはにこにこしながらお母さんの目をじっと見つめ、歌を聞いています。そして、お母さんが2番の歌詞にさしかかったとき、それまで黙って聞いていた赤ちゃんは母の声にやわらかい小さな声で「アー、アー…」と声を重ねてきました。赤ちゃんと身近な養育者との間で声を通じたコミュニケーションが成立した瞬間です。

同調することでつながる

 赤ちゃんとお母さんの例からも分かるように、他者と声を重ねることは一体感を得たり、共鳴したり、社会的なつながりを得る上で非常に有効にはたらいているといえます。またこうした特徴は歌に対してだけでなく、マザリーズとよばれる抑揚の大きい、ゆっくりしたテンポの独特の語りかけにも同様の反応が認められます。音声を通して人と人とがつながること、これがうたの原点といえましよう。

歌の原点を見直してみましょう

 幼児期になると、歌は生活の中で友達との喜びを共有したり、きずなを深めたりするうえでとても大切な存在になります。一人で歌う歌、仲良しの友達と歌う歌、先生やクラスのみんなと歌う歌、歌うスタイルも様々に変化してきますが、互いの声を聞きあい声を重ね合わせることは心と心をつなぐ大きな力となります。少々音がはずれても、ピアノが下手でも気にする必要はありません。歌の原点に立ち返り、先生自身が心をこめて積極的に子どもたちに歌いかけてもらいたいと思います。

  

保育実践で遣いたい『明元素ことば』3回シリーズ(3)

保育実践で遣いたい『明元素ことば』

京都聖母女学院短期大学 児童教育学科
教授 河嶋 喜矩子

 保育者が、保育実践の場で遣っている言葉には、『明元素ことば』と『暗病反ことば』の2種類があるといわれています。

 『明元素ことば』とは、文字通り、明るく、元気で、前向きな言葉です。たとえば、楽しい、おもしろい、幸せ、きれい、すばらしい、やってみよう等です。

 『暗病反ことば』とは、暗くて、病気で、否定的な言葉、たとえば、忙しい、つまらない、いやだ、だめだ、まずい、不幸だ、困った、つらい、やりたくない等です。

 この2 種類の言葉は、思いを伝えると共に、保育者の生き方や考え方を表すものではないでしょうか。

 先日、ある幼稚園の保育を参観させてもらった時のことです。偶然、この2つの言葉を耳にする機会がありました。遊んでいる途中で、雨が降ってきました。すると、その様子をみたA保育者は、子どもたちに、「あっ、雨が降ってきた。いややねぇー」と不満そうに言葉をかけられました。近くにいたB保育者は、「おや雨さん、降ってきた。お部屋にはいろ。何してあそぼ。お部屋でいっぱいあそべるねぇー」とにこにこ顔で、子どもたちに言葉をかけられました。

 保育実践の場で、保育者は子どもたちに、さまざまな言葉をかけています。言葉を遣って話すということは、保育者としてたいへん重要な役割のひとつです。A保育者の遣った「いややねぇ」は『暗病反ことば』、B保育者の遣った「お部屋でいっぱいあそべる。うれしいねぇ」は『明元素ことば』です。二人の保育者の言葉を聞いて、それぞれの子どもたちは、どう思ったでしょうか。

 保育の営みとは、子どもたちと、夢と勇気と希望を語らうくらしです。私たち保育者はどんな言葉を遣っていけばよいのでしょうか。

 『明元素ことば』を遣おうと心掛けてられるけいこ先生のエピソードをご紹介したいと思います。
[イチゴ いいにおい、イチゴジュースができました]

 3歳児のクラスで、イチゴの栽培をはじめました。みんなで、毎日毎日みずやりをして、大切に育てました。イチゴは見事に育ち、みんなで食べました。

 ある日のこと、葉の下にかくれていた最後の一粒を、まみちゃんがみつけました。大喜びのまみちゃんは、まっ赤に熟れたイチゴを手にして大好きなけいこ先生のもとへ大急ぎで走り出しました。ところが途中でスッテンコロリと転んでしまいました。まみちゃんはイチゴを握りしめたまま大泣きです。まみちゃんの様子をみて、かけよるけいこ先生。さて、けいこ先生は、まみちゃんにどんな言葉をかけられたでしょうか。

  

「わらって おはよう」3回シリーズ(2)

「わらって おはよう」

京都聖母女学院短期大学 児童教育学科
教授 河嶋 喜矩子

 私が大切にしている心・言葉は、『わらって おはよう』です。この言葉は亡くなった母の口癖の言葉でした。京都うまれの、京都そだちの母は、私に小さい頃からよくこんな風に言っていました。「朝ニコニコ顔で出逢ったお人さんに おはようさんって言うとおみ。その日ええことあるえ」と。

 京都では、言葉のはじめに よく「お」と「さん」をつけます。豆腐のことを「おとふさん」、油揚げのことを「おあげさん」という風に。母の言う「おはようさん」の言葉は、幼い私にとって、とてもやさしい響きがあり、特別な言葉として心の奥に残り続けました。

 しかし、ニコニコ顔で、おはようさんと言うと どんなええことがあるのか、その意味はわかりませんでした。

 私は「ええことって 何やろ」と長い間 思い続けていました。そして、ある日、母の言うように、ニコニコ顔で「おはようございます(おはようさん)」と言ってみてはじめてその意味がわかりました。言った私がとてもいい気分になったのです。そして言われた相手の方、どなたも笑顔になられました。お互いにいい気分になれる、相手と心がつながるこんなええことはありません。その日、特別に何かあったわけでなくても、とても爽やかな気分で、人との出逢いの楽しさを感じるひとときを過ごせます。きっと、母が私に伝えたかった「ええこと」の意味は、このことだったのではないでしょうか。

 そして、私は幼稚園につとめました。毎朝150人の子どもたちと出逢います。ニコッと笑って私の前を走り抜けていくけんちゃんには、「けんちゃん おはよう」と『わらって おはよう』の心を込めて 言葉をかけました。丁寧におじぎをしながら、「おはようございます」と言うじゅんこちゃんには、「じゅんこちゃん おはよう。きょうもげんきにあそぼうね」と『わらって おはよう』の心を込めて 言葉をかけました。一人ひとりの子どもに母から教わった『わらって おはよう』のこころ・言葉を伝え続けました。

 おかげさまで、かわいい子どもたち、お母さん(保護者)方、そして仲間の先生方という「人という宝物」に出逢うことができました。本当に「ええこと」がたくさんありました。

 現在、私は 大学で 幼稚園の先生や、保育士を目指す学生さん達に、保育の楽しさ、むつかしさ、重要さ、そして 素晴らしさなどを伝える仕事をしています。授業のはじめには必ず『わらって おはよう』のあいさつをかわしあっています。

 

 今も、これからも 『わらって おはよう』のこころ・言葉は 私の生きていく上での大切な指標となり続けることでしょう。

  

「保育者として大切にしたい〔愛しき情(こころ)〕」3回シリーズ(1)

「保育者として大切にしたい〔愛しき情(こころ)〕」

京都聖母女学院短期大学 児童教育学科
教授 河嶋 喜矩子

 保育者がかかわるのは乳幼児期の0歳から6歳迄の子ども達です。この乳幼児期とは、どんな時期なのでしょうか。そして、保育者としてどんなことを大切にしなければならないのでしょうか。

 乳幼児についての考え方はいろいろありますが、私は愛情の貯金をつくる時期ではないかと考えます。人間は誕生した時は、愛情の貯金はゼロ。心は空っぽの状態です。そして、この愛情の貯金は自分で作り出すことができません。保育者や両親など周りにいる大人達から〔愛しき情〕温かい心・優しい言葉をかけてもらうことで、はじめて心に愛情の貯金ができるのです。しかし、うれしいことに蓄えられた愛情の貯金は、その子どもが出逢う人達に必ず使われていくものなのです。

 では具体的にどうしたら愛情の貯金はつくられるのでしょうか?それは私達保育者・大人が一人ひとりの子どもに〔愛しき情〕をかけ、感情の共有体験をすることです。いっしょに遊んだり、いっしょに絵本をみたり、いっしょに食事を味わったりして、<楽しいなぁー楽しいねぇ><おもしろいなぁーおもしろいねぇ><うれしいなぁーうれしいねぇ><おいしいなぁーおいしいねぇ>と子どもと同じ気持ちになるトキを持つことです。この〔愛しき情〕=感情の共有体験を一人ひとりの子どもとたっぷりとかわしあうことで、子どもの心に愛情の貯金ができていくのです。この愛情の貯金は、その子どもの生きる力のタネになるもので、がんばる力やあきらめない心にもなるものでしょう。こう考えると、この〔愛しき情〕こそ、乳幼児期に私達保育者が大切にしなければならない心であると、私は声を大きくして言いたいと思います。学生のAさんが幼稚園の頃のエピソードを話してくれました。「苦手な鉄棒で何回も何回もがんばって、ようやく前まわりができた時、先生がすごく喜んで抱きしめてくれました。そのぬくもりを今でもはっきりと覚えています。とてもうれしかったし、その後の成長への意欲にもなっていました。」Aさんの先生の〔愛しき情〕がAさんの自信力と新たなことへのチャレンジ力を生む心のタネをつくったのではないでしょうか。

 また、幼稚園実習を終えた学生のBさんは「絵本のよみきかせをしたら、子ども達が目をキラキラ輝かせて聴いてくれて、とてもうれしかった。」といきいきと語ってくれました。学生のCさんは「子ども達から又きてねと言ってもらった。」と号泣していました。この涙は子ども達へかけた〔愛しき情〕の何倍もの心を子ども達からもらった喜び・うれしさの涙だと思います。「私、絶対保育者になる!」という彼女達の希望のもとになるものではないでしょうか。

 是非保育者として、子ども達の生きる力のタネになる愛情の貯金を、ありったけの〔愛しき情(こころ)〕で一人ひと
りの子どもの心に作ってあげてほしいと願っています。

  

「一冊の絵本から保育を考えると…」2回シリーズ(2)

一冊の絵本から保育を考えると…

平安女学院大学短期大学部 保育科教授
金子 眞理

 「がたんごとん がたんごとん」安西水丸さく 福音館出版 1987 年

 この絵本を読むといつもフレーベルの思想が思い出されるのです。

 フレーベルは、「一般に人間は、それぞれの発達段階において、全くその段階が要求するものに向かって努力する以外の努力をすべきではない。そうすれば各々の段階は次から次へと健全な芽から新しい枝がとびだすように、すくすくと成長していくだろう。そしてこの新しい枝はそれぞれの段階で同じ努力によって、その段階が要求することを完成するであろう。というのは前の段階で十分に発達して始めて次の発達が十分に行われるからである。」と連続発展観で述べています。

 さて、絵本「がたんごとん」の扉を開けると、責任感をいっぱい、また力強い顔をした汽車がやってきます。ページをひらけると、哺乳瓶が「のせてくださーい」と待っています。次をひらけると哺乳瓶が貨車の中に安定して、しっかりとのっています。次のページはコップとスプーンが「のせてくださーい」と待っています。そしてコップとスプーンが安定して貨車にのっています。次はりんごとバナナが待っています。そして貨車の中にりんごとバナナが安定してのっています。このように、哺乳瓶にはじまってコップとスプーン、りんごとバナナがそれぞれ貨車に安定してしっかりと乗っています。その場面をみてみると、哺乳瓶は1 歳の時のこと、コップとスプーンは2 歳の時のこと、りんごとバナナは3 歳の時のこと、それぞれ1歳・2歳・3歳の発達段階を表していることがわかりました。

 また貨車は親の愛情とみることができ、そこにしっかりと乗ることができる居場所があり、しっかりと愛され守られているという証しになっています。それは愛されて守られて十分に1歳のときを過ごしました、愛されて守られて十分に2歳のときを過ごしました、愛されて守られて十分に3歳のときを過ごしましたということになります。

 その次のページをひらくと、ねことねずみが「のせてくださーい」と手をあげています。次は、なんとのるところがないにもかかわらず機関車のうえにねことねずみがのっているではありませんか。機関車のうえというのは安定した居場所はないけれど、前の段階で十分に発達したこどもは自分でのるところを見つけるということ、言い換えれば自分の力で居場所を確保することができるということです。ねことねずみはまた、トラブルをおこす象徴とも言われています。遊びの中で体験するトラブル、つまり思うようにならない体験やぶつかり合いの体験を通して相手の存在を知り、自分の意のままにならないことを知り、必要な我慢をすることも知るのです。そして一緒になった喜びも感じるのです。このような多様なかかわりの体験をしていくという育ちの方向性のことがこの場面から読み取れるのです。最後のページでは食事のところで満足している表現があり、空っぽになった汽車がこどもから離れていくところで終わっています。しかし、そこで終わったのではなく、空っぽの汽車がまた再び私の元にやってきます。「また汽車はいつでもやってきますよ、やり直しができますよ」という安心感をお母さんにあたえているのがわかります。

 この絵本から保育者が学ぶことは連続発展観を基に、こどもの生きる力を育てていく大切な場所としての幼稚園、こどもの生きる力を育てていくことができる責任ある保育者としての歩みなど、こどもが育つための保育の方向性が描かれているように思います。

 がたんごとん がたんごとん・・・  がたんごとん がたんごとん・・・

  

「一冊の絵本から保育を考えると…」2回シリーズ(1)

一冊の絵本から保育を考えると…

平安女学院大学短期大学部 保育科教授
金子 眞理

 絵本「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」おかざきけんじろう 絵・谷川俊太郎 文クレヨンハウス

 9年前「月刊クーヨン」(2004 年4月号付録クレヨンハウス出版)の付録だったこの絵本と出会った瞬間、今までに味わったことのない感動を覚えました。それからというもの、私は読む機会があればどこででもこの本を読み語り、いつしかこの本が私自身の宝物になったくらいです。

 さて2000 年にブックスタート運動が始まりあかちゃんに絵本をプレゼントする市町村が増えてきました。私自身もブックスタート関連事業でこの5年間、0ヶ月から6ヶ月のあかちゃんのグループそして7 ヶ月から12 ヶ月のあかちゃんのグループにわけて図書館でのおはなし会をもっています。そこで最初に語る絵本が「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」です。前期のグループでは平均おおむね4ヶ月のあかちゃんが母親とやってきます。
絵本をひらいて「ぽぱーぺぽぴぱっぷ ぱぱぺ ぱぷぽぴ・・・」と語っていくと、あかちゃんは手と足を緊張させたり呼吸を絵本のリズムに合わせたりします。そこで親はあかちゃんが全身で絵本のリズムを感じる瞬間に出会い、そして感動するのです。後期のグループはおおむね7ヶ月のあかちゃんがやってきます。こんどはおすわりができ、はいはいができるあかちゃんです。
「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ ぱぱぺ ぱぷぽぴ・・・」と語っていくと、はいはいしているあかちゃんの動きがとまり笑顔に、またおすわりして手と足をばたばたしているあかちゃんの動きがとまりいっしょうけんめいに絵本のことばのリズムを感じそして笑顔になる瞬間に出会います。親たちはその瞬間、瞬間の姿に感動し絵本の持つ力に圧倒され笑顔で図書館をあとにされます。幼稚園に通っているこどもは「英語や!」とさけんだりもします。この絵本の力はいったいどこからくるのか今も不思議でなりません。

 絵本の作者である谷川俊太郎さんと出会う機会があったとき、大きなヒントをいただきました。それは、「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽのひみつ」だと。確かにぱ行(オノマトペ)の音はマザリーズのように抑揚のある音、またぱ行を発すると表情筋も豊かになるなど、ぱ行のひみつに気付かされました。さらに、ぱ行を声にだしてみました。するとその声は額に響くのです。それはまさしく頭声発声と言われているものであることに気がつきました。頭声発声でことばを発するとそのことばが豊かに、そして心地よく広がっていきます。さらに「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ…」を声にだして読んでみると、マザリーズと頭声発声の関係が良く理解できてきたのです。

 さて、そのひみつから保育を省みると、保育者の発することばかけの声はどのような声になっているでしょうか。心地の悪い胸声発声になっていませんか。それとも心地の良い広がりのある頭声発声になっていますか。今一度、保育環境の振り返りをしてみてください。保育者は、こどもが遊びたくなるような、歌いたくなるような、楽しくなるような心地の良いことばを、そして何よりもこどもの笑顔がみられるよう願いと祈りをこめたことばかけの環境を構成していかなければなりません。

 さあ大きな声で「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」の絵本を語ってみませんか。

  

「とんでもない間違い」3 回シリーズ(3)

とんでもない間違い

佛教大学 教育学部

 近年は殊のほか雨も雪も限度を超えよく降ります。全国各地でたくさん被害も出ています。

 そんな雪も適度な量なら園の子どもたちにとっては最高のプレゼントになります。

 園に到着するや否や、早速園庭に出て雪遊びを始め『雪』を歌っています。その時です。
♪ゆきやこんこん あられやこんこん♪
と歌っていることがよくあります。
 ♪ゆきやこんこ あられやこんこ♪
が正しく、これは本来「雪よもっと降れ、あられよもっと降れ」という表現で、♪ゆきやこんこ あられやこんこ♪なのです。
 このような間違いは枚挙に暇がないくらいあります。
 『どんぐりころころ』では、平気で、
 ♪どんぐりころころ どんぐりこ お池にはまってさあたいへん♪
と何の疑問もなく歌っていることがあります。「どんぐりころころ どんぐりこ」では池に落ちることができません。「どんぶりこ」で初めてお池にはまり、さあ大変になるのです。
 五月には、『鯉のぼり』を歌います。
♪屋根より高いこいのぼり 大きなま鯉はお父さん♪
と歌ってしまうことがありますが、原譜では「大きいま鯉は お父さん」で、当然次の「ひ鯉」は「小さいひ鯉」なのです。
 そういえば、『くつがなる』では、
 ♪晴れたお空に くつがなる♪
なのに♪晴れたみ空に くつがなる♪と歌っている人が多いようです。
 『おたまじゃくし』の
 ♪尾がでてきたら 手が取れた♪か、 ♪手が出てきたら 尾が取れた♪
か、時折混乱することがありますが、後者が正解です。
 『汽車ポッポ』は、
 ♪汽車汽車 しゅっぽしゅっぽ♪ ではなく、タイトルの通り軽快に、 ♪汽車汽車 ポッポポッポ♪ なのです。
 また、伝承遊びの『かごめかごめ』は、 ♪籠の中の鳥は いついつでやる♪ ではなく、
 ♪籠の中の鳥は いついつである♪ なのです。
 『とんぼのめがね』の2番は、
 ♪とんぼのめがねは 水色めがね♪ ではなく、 ♪とんぼのめがねは ぴかぴかめがね♪ なのです。
 子どもの歌ばかりでなく、大人が歌う歌にも誤解をして歌っている歌があります。この際挙げてみましょう。
身近なところで、『ふるさと』は、 ×♪うさぎ美味し かの山♪→○♪うさぎ追いし かの山♪
 『赤とんぼ』は、 ×♪追われてみたのは いつの日か♪→○♪負われてみたのは いつの日か♪
なのです。

 私たちは曲が楽譜と違っているとすぐに間違いを指摘しますが、歌詞が聞達っていても平気で歌ってしまっているのは
どうしたことでしょうか。

 言葉の持っている意味をもっと大事にすることが大切で、大きな役割を持っていることに気付きましょう。

 子どもの耳に入れることば、特に歌の言葉は正しく耳に入れておきましょう。リズムを通して入る言葉の意味にもっと
心を配りたいものです。

 先生の口から通して子どもの耳に入る言葉は、非常に価値があります。

 美しい日本語を子どもたちに与えるとそれが根底になり子どもの言葉は豊かになります。

そのことを「耳習い」といって大切にしたいものです。言葉から情操を豊かにする心を育てて行くのです。

 私たちはいつも正しく美しく、そして意味のある日本語を子どもに伝えているでしょうか

  

「歌やおはなしによる新鮮な喜び」3 回シリーズ(2)

歌やおはなしによる新鮮な喜び

佛教大学 教育学部

 秋になると幼稚園ではこんな歌を歌います。

 ♪コスモスの 花が
 こんなに散りました
 模様のようね お母さん
 おくつで踏むのは かわいそう
 あちらの道から 回りましょう♪<br /
         (「コスモス」葛葉国子・詩、大中寅ニ・曲)

 幼児の感性で捉えたなんと素晴らしい新鮮な感動をもった歌でしょうか。

 秋の自然を歌った歌ですが、これはコスモスが咲いているのを知らせる歌でしょうか?

 コスモスの美しい色合いを気付かせる歌なのでしょうか?

 否、何より素晴らしいのは、散ってしまったコスモスの花にも命を見出し、おくつで踏むのは可哀そうと幼児の尊い心情を歌っているところで、ここを味わって欲しいのです。

 このコスモスの花の歌を歌って郊外に出かけたとしましょう。
 そんなとき、
 「咲いているコスモスは美しいけど、散ってしまうと汚いね。」
と、大人は平気で靴で踏んで行くのでしょうか?

 もしそのようなことならば、幼児の心の感動は育てられません。

 歌に寄せた感動が大切なのです。もし先生と一緒なら、
 「いい歌ね。先生にも教えて。」
と、幼児の口から出る歌を何回か口ずさんで、一緒に歌ってみることです。リズムがわからなくても、言葉を口ずさむだけで、幼児に感動は与えられます。

 幼児の心と身体を育むためには、この感動が大切なのです。

 感動するということは、あらゆる心や行動の源になっていることに気付いてください。

 幼児の感動を受け止め、更にそれを大きくして幼児に返す心配りが大切なのです。

 「いい歌ね。先生も大好きになってきたわ。」

「散っていったお花、かわいそうね。だから踏まないであっちの方から回って行きましょう。」と、二倍にも三倍にも返してあげてください。

 絵本や童話も同様です。

『うさぎのモコ』(神沢利子・著、渡辺洋ニ・画)というおはなしがあります。
“五月の空は まるできれいな青石をみがいたように つるつるしています。
野原にはみじかい草がはえ ところどころに 金色のたんぽぽが きらきらひかつています。
モコは ほどいてしまった毛糸のずぼんのかわりに きょうは 青いデニムのずぼんです。
風が モロの耳をふき まあるいしっぽをなでています。”

 美しい言葉と感動が溢れています。

 もし幼児が読んでいたら、「とてもきれいね。もう一度読んで聞かせて。」と、言って読んでいくうちに、幼児は言葉を再び耳に入れて、次の感動を心につくっていくのです。

 「まあ、きれいね。たんぽぽが光っているのね。」
と、その感動を広げていってください。

 自分の身の回りで感じ取っていく世界を先生が気にとめなかったら、幼児もすぐに忘れてしまいますが、こうして歌や絵本や童話などで作品化されますと、幼児に強い印象を残していきます。

 作者の気持ちに浸り、思いに寄り添いながら、新鮮な喜びをあたえるようにしたいものです

  

「花が咲く朝顔と咲かない朝顔」3 回シリーズ(1)

花が咲く朝顔と咲かない朝顔

佛教大学 教育学部

 自然は、幼児の心を育むのにいろいろな経験を与えてくれます。
幼児にとっては具体的な体験を通して自分自身の目でつかみ取ることが大切です。
初夏の頃蒔いた朝顔が、夏休みになる前からつるがのびてきました。
苗床に蒔いた種からかわいい双葉が生えてきました。毎日水をやり、肥料をやっているうちに大きくなったのです。
そして、終業式にその朝顔を家に持って帰りました。
「きっと大きな花が咲きますよ。毎日忘れずに水をあげて下さいね」。
先生のことばをまもって一生懸命に世話をしました。
朝顔のつるや葉はぐんぐんのびて大きくなりました。夏休みに入ると大きな花を毎日一輪ずつ咲かせました。
幼児の生活に何とも言えない豊かな心を与えてくれます。
「一生懸命お世話したからよ。良かったね」。
お母さんに褒められた幼児はどんなに嬉しかったことでしょう。
朝顔の成長を眺めることは、一朝一夕ではできません。
土の中に埋めた種が芽を出してのびる、そして、花を咲かせる。それがまた萎れる。このようなことは文字や絵で説明しても理解できないものなのです。
土の中から種が芽を出してきて、双葉となる道程などはとても不思議なことです。
「どうして種から芽が出るの?」「どうして茎に蕾がつくの?」「どうして花になるの?」
花にいろいろな色がつくのはとても珍しいことでありますが、幼児が目でみて、肌で感じることができるのです。それをこの夏の間に知ることができたのです。
9月になった時のことです。
あるお母さんから、
「せっかく持って帰ってきた朝顔に一つも花が咲かなかったのです。もっと良い種を植えて花が咲くようにしてください」。
ということばを聞きました。
種を植えると必ず花が咲くというものではありません。花の咲かない朝顔もあるのです。それを知ることも大きな収穫になるのです。
花が咲くことは良いことですが、花の咲かない朝顔には、どのようなことでそうなったのか、水が足りない? 逆に雨が多すぎて根が腐った? 肥料が足りない? その原因を調べる方向付けを幼児に知らしめることだってできるのです。
やがて芋掘りも経験します。土を掘った時に、芋がつるに一つもついていないのに腹を立て、「一つも芋がついていないなんて、つまらないわ。もっといい畑にすればいいのに」と、幼児を前にしてこのことばは禁物です。
土の中に必ず芋が二つずつ出来ているのなら、どこかのスーパーで購入し、畑に並べておけばいいのです。
土を掘ってみて、土の中から出てくる芋が大きかったり、小さかったり、全くできていないところもあるのです。それがわからないところに芋掘りの楽しさがあり、科学の芽生える余地があるのです。
自分の目で、手で知ることができること、時間をかけなければ知ることができない経験を与えることができるのです。
失敗から学べるもの、それも経験から学べるものは幼児にとっていかに得難いものかを知っておくと、その時の幼児へのことばは変わってくるはずです。